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アフリカ関連用語集

〜より充実した内容を目指し、随時更新していきます。〜

ら行
斜体字は民族名です
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概説
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・ライオン ネコ科のなかで最大の肉食獣のひとつ(アフリカ大陸に生息する中では最大)。インド北西部とサハラ以南アフリカのサバンナ地帯に棲息する。オスの成獣は首周りに発達したたてがみを持つ。

百獣の王とも呼ばれ生態系の頂点に君臨するライオンは古来からアフリカのみならず、オリエント世界、ヨーロッパ世界でも勇猛さや王者の象徴となってきた。

サハラ以南のアフリカにおいてもライオンは王者や勇者の象徴とみなされてきた。東アフリカの牧畜民マサイの戦士は槍を用いた単独の狩りでライオンを倒してのけたという。
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・ラクダ 偶蹄目ラクダ科ラクダ属に属する動物の総称。中央アジア起源のフタコブラクダと西アジア起源のヒトコブラクダがあり、アフリカのラクダは西アジアから導入されたヒトコブラクダである。アフリカでは北アフリカサハラアフリカの角に広がる乾燥地帯で広く飼育され、食用にされることもたまにあるが主に搾乳、運搬、騎乗などに利用される。

背中のこぶに蓄えた脂肪(エネルギー)、やわらかい砂の上も沈まずに歩ける幅広の足、砂が入らないようにのびた長いまつげ、開閉できる鼻の穴、塩分の強い水でも飲めるなど沙漠に適応した特徴を持ち、重い荷物にも耐えられる頑健な体を持つラクダは、古来「砂漠の舟」たとえられてきた。血液中に水分を蓄えることができ(特殊な赤血球を持っているため血液中の水分が増えても溶血が起こらない。通常の赤血球だと血液中の水分が増えすぎると浸透圧により赤血球が壊れてしまう)、酷暑の乾燥地域でも水の補給なしに数日間行動可能なラクダはまさに砂漠の舟の名にふさわしい生き物である。

アフリカにラクダが導入されたのはサハラの乾燥化が進んだ前2,3Cのことであったと考えられている。そのご7,8Cに始まるアラブイスラムの北アフリカ進入に伴いラクダも大量に北アフリカ、サハラに導入されサハラ縦断交易の輸送手段として、また乾燥地に適応した大型家畜として盛んに飼育されてきた。

サハラそのものを縦断するような大規模なラクダキャラバンはもはや存在しないが、サハラの塩のキャラバンや短距離の交易、交通には現在もラクダが活躍していて、特にマリタウデニ-トンブクトゥ間では現在でも百頭を越す大規模なアザライ(ラクダキャラバン)を見ることが出来る。

アフリカのラクダ遊牧民としてはサハラのトゥアレグベルベルアラブトゥブスーダン共和国東部のベジャ、アフリカの角のソマリアファールガブラレンディーレなどが挙げられるが、そのほとんどが非黒人系民族でありイスラム教徒である(サンブルトゥルカナなどケニアエチオピアの黒人系非ムスリムの牧畜民でラクダを飼っている民族もいくつかある)。
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・ラット=
  ジョール
1842〜1886年。本名ラット=ジョール=ンンゴネ=ラティール=ジョップ。カヨール王国の実質上最後の王。1865年にフランスによる鉄道建設に反対してフランス軍と交戦するも敗北。1871年にフランス領西アフリカの拡大に対し再び軍を起こした。

敗れはしたもののラット=ジョールの抵抗はセネガル人の記憶に長く残り、現在でも民族の英雄、抵抗のシンボルとしてたたえられている。


・ラービフ
   帝国
アラブ人奴隷商ラービフ=アル・ズバイルが現ナイジェリア北東部から現チャドにかけて一代で築いた帝国。現スーダン共和国の首都カルトゥーム郊外に生まれたラービフ(1840年代〜1900年)はムハンマド・アリー朝エジプトの軍隊を退役した後、現スーダン南部および南スーダン共和国の大奴隷商人のもとで働きその軍隊の司令官に出世した(1870年代)。大物奴隷商がエジプト政府に逮捕された後ラービフは軍隊を率いてエジプト(スーダン)を逃れ(1879年)、現チャド方面へと向かった。

チャドに入ったラービフは銃火器で武装した軍隊を駆使し、バギルミ王国を滅ぼし、カネム=ボルヌー帝国の残存勢力を征服し、チャド湖周辺地域を中心に強力な軍事国家を作り上げた。中央スーダン屈指の強国となったラービフ帝国であったが1890年代から同地域に侵攻してきたフランス、イギリスと対立。何度かフランス軍を打ち破ったものの1900年にチャド湖南方のクッセリの戦いで戦死。彼の死とともに彼の帝国も瓦解した。


・ラフィア布 アフリカで最も早い時期に始まったと考えられている織物。ラフィアヤシの葉の繊維を糸として垂直機を用いて織る。織り上げたには染色、刺繍、アップリケなどを施す。

かつてはラフィアヤシの分布する地域で広く製作されていたと考えられているが、木綿布の製作技術の普及に伴いその製作はすたれていった。現代までその技術が伝えられてきたのはナイジェリアカメルーンコンゴ民主共和国などであり、コンゴのバクバの作るラフィア布は有名である。

ラフィア布を柔らかくするために臼でついたりで打ったりしたときにできる穴をふさぐため、これらの地域ではアップリケの技術が発達した。

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・ラフィアヤシ ヤシの一種。ヤシ科ラフィアヤシ属に属する植物の総称。アフリカ・マダガスカル・中南米の熱帯地方に広く分布する。

非常に長い葉柄を持つ葉を持ち、その繊維は頑丈でありさまざまな用途に使用される。アフリカで最初に始まった織物はこのラフィアヤシの繊維を使ったものであったと考えられ現在もコンゴ共和国などで作られている(→ラフィア布)。

樹液を発酵させてヤシ酒を作ることもある。
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・ラム ケニア南部インド洋沿岸に位置するラム諸島(主島はラム島)は古くからインド洋交易のアフリカ沿岸部における交易港として知られてきた。1Cの航海案内書「エリュトゥーラ海案内記」にもラム諸島について言及していると思われる箇所があり、遅くともその時代までにはすでに交易港として発展していたものと考えられている。

その後イスラム勢力がインド洋交易を掌握するようになるとラム諸島もイスラム化し、アラブ・イスラムとアフリカの文化が混ざり合ったスワヒリ文化が花開いた。ラムには現在もその時代の街並みが遺されていて世界遺産として登録されている。


・ランギ ウガンダ北中部を主な居住地とする民族。ランゴとも呼ばれる。16C末〜17C初頭頃に現エチオピア方面から南へ移住を開始した東ナイル語系牧畜民族の一団があり、そのうちの西進した集団(アテケルと総称される)の中の一派が現居住地に住み着きランギの祖先となったと考えられている(東に進んだ集団はマサイカレンジンの祖先となった)。

出自をたどれば東ナイル語系の言語を持っていたと考えられるが、隣人であるアチョリ人(ルオの一派)との長きにわたる接触・交流の間にもともとの言語を失い、現在ではルオ語(西ナイル語系言語)の一派であるランゴ語を母語としている。


 
・リカオン 食肉目イヌ科リカオン属の動物。一属一種である。熱帯雨林を除くサハラ以南のアフリカの大部分に棲息。体長70〜110cmほどで体表に不規則な斑点(まだら模様)を持つ。


・リグビ 主にコートジボワール北部に居住する民族。言語的にはマンデ系であるが、彫刻文化の面では近隣に居住するセヌフォから強い影響を受けている。「ド」または「ロ」と呼ばれる仮面結社を持つ。

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・リビア 地中海に面した北アフリカの国。国土のほとんどはサハラに占められ北部の地中海性気候の狭い地域にほとんどの人口が集中する。

ギリシャ、フェニキア、ローマ、アラブイスラム、オスマン帝国、イタリアなどの勢力が行き交い複雑な歴史を形成。現在のリビアの南部国境地域は南の黒人帝国カネム=ボルヌー帝国の勢力圏になっていたこともある。

現在人口のほとんどはアラブ系住民であるが北部にはベルベル系住民の共同体があり、南西部の沙漠・山岳地帯にはトゥアレグトゥブなどの遊牧民が暮らしている。

アラブ世界の豊かな工芸文化を持ち、織物、じゅうたん、金属工芸などが盛んである。


・リビングストン デビッド=リヴィングストン。1813年〜1873年。スコットランド出身の宣教師、探検家。1840年代に南部アフリカで伝道活動を行い中部アフリカ内陸部探検を志す。1850年代に現アンゴラから現モザンビークまで南部アフリカを横断して探険家としての名声を確立した。この探検のときにアフリカ一の滝ビクトリアフォールズを「発見」しイギリス女王の名をつけた(当然現地の人たちは滝の存在をリビングストンよりはるか昔から知っていて、名前−モシ=オ=トゥーニャ−も付けていたわけだが)。

50年代末から60年代にかけてザンベジ河流域を探検。60年代後半からのナイル河の水源探査の途上現タンザニアで消息を立ち一時は生存を絶望視されていたが、アメリカの探検家スタンリー(出身はイギリス)によって生存が確認された。スタンリーとの邂逅後も帰国せずに73年にタンザニアで病没。

リビングストン本人は知的好奇心やキリスト教伝道、奴隷貿易廃止のために探検を行っていたが(当時東アフリカ地域では主にアラブ商人によって奴隷貿易が行われていた)、彼の業績(アフリカ内陸部の地理的・民族的知識など)は結局はイギリスによるアフリカ侵略に利用されることとなった。


・リベリア アフリカ西部、ギニア湾に面した国。19C前期からアメリカ大陸からの解放奴隷の入植が始まり1847年に独立。アフリカ初の共和国となり19C末から始まったアフリカ分割の時代にもエチオピアとともに独立を保った(とはいえリベリアもアメリカなどからの帰還奴隷入植者による植民地化によってできた国とも言え、入植者たちと先住民族との間の対立があった)。

主な民族としてはエリート層を占める帰還奴隷の子孫のアメリコ・ライベリアン、ヴァイクペレクルグレボマノダンローマキシゴラなど。東部のコートジボアールとの国境地帯に居住するダンは彫刻に長けた民族として世界的に名を知られている。



・リンガラ語 アフリカを代表するクレオール語のひとつ。コンゴ河流域のいくつかのバントゥー系言語を基にして、交易言語として成立、発達した。

首都キンシャサを中心としてコンゴ民主共和国コンゴ共和国に多数の母語人口を持つ。第二、第三言語としてのリンガラ語話者はさらにコンゴ河流域全域、中央アフリカアンゴラ北部、スーダン共和国南部(現南スーダン共和国)にまで及び、アフリカの地域共通語としてはスワヒリ語ハウサ語等と並びもっとも有力な言語のひとつである。


・リンバ シエラレオネ北部を中心に居住する民族。同国で三番目の人口を抱える民族であり伝統的生業形態は農耕、狩猟、交易等である。13C頃に現ギニア共和国フータ=ジャロン山地近辺から移住してきたと考えられている。

・リンポポ河 アフリカ大陸南東部、南アフリカ共和国ボツワナジンバブウェモザンビークを流れる国際河川。全長約1800q(アフリカ7位)、流域面積約44万ku(アフリカ第9位)の大河であり、南ア共和国北部、モザンビーク南部の農工業、生活用水を支える生命線でもある。

かつては支流の上流域にモノモタパ王国が栄えた。


 
・ルアラバ川 コンゴ河の本流。いくつもある支流の中で一番水量が多いため本流とみなされている(河口から一番離れているのはチャンベシ川)。コンゴ民主共和国(旧ザイール・以下RDC)南東部ザンビアとの国境付近に端を発し途中ルブア川、タンガニーカ湖から流れ出るルクガ川などの支流と合流しキサンガニからコンゴ河(ザイール河)と呼ばれるようになる。

かつてはナイル河と同一視されていたこともある(ナイルの最上流域と考えられていた)。


・ルウェンゾリ
 山地
アフリカ中央部大湖地方コンゴ民主共和国ウガンダ国境地帯、アルバート湖エドワード湖の間に位置する山岳地帯。最高峰は5109m。

ナイル白ナイル)の水源のひとつであり、古代エジプト人がナイルの水源と考えていた「月の山」とはこのルウェンゾリ山地のことであったと推定されている。

またこの山地はナイル河とコンゴ河というアフリカを代表する大河の分水嶺のひとつでもあり、ルウェンゾリの東に降った雨はやがてナイル河となりアフリカ大陸を北上し地中海へ、西に降った雨はコンゴ河へと流れ込み大西洋に注ぐ。


・ルオ ケニア西部からタンザニア西部を中心に暮らす農耕牧畜民。スーダン共和国南部(現南スーダン共和国)にも居住する。サハラ‐ナイル語族西ナイル語系)に属する言語を持ち、16,7Cに現スーダン共和国南部から現在の居住地域に移住してきたと考えられている。ウガンダ北部に居住するアチョリとは同系統の民族。

15Cには現ウガンダを中心とした強大な王国、キタラ王国バチュウェジ王朝を築き上げた。現在では牧畜よりも農耕に比重を置いた生業形態を持つが、ナイル語族の牧畜民(マサイヌエルシルックなど)と同じく、社会的、文化的にを非常に重要視する。

ちなみにオバマ大統領の父親はこのルオ民族の出身である。


・ルクガ川 コンゴ河の本流ルアラバ川の支流のひとつでありタンガニーカ湖を水源とする。長さ320km。タンガニーカ湖西岸カレミエ(コンゴ民主共和国)から流れ出し、そのまま西進してルアラバ川に合流する。


・ルグバラ ウガンダ北西部からコンゴ民主共和国北東部にかけての地域を主な居住地とする民族。ウガンダでは全人口の約4%を占める。伝統的生業形態は農耕でありナイル-サハラ語族中央スーダン諸語に属する言語を持つ。近隣の民族マーディとは言語的文化的に近い関係にある。


・ルネ=カイエ 1799年〜1838年。フランス人探検家であり、現マリ共和国の交易都市トンブクトゥを訪れかつ生還したはじめてのヨーロッパ人。トンブクトゥ到達を目指し1824年に現セネガルに渡った。大規模な探検隊を組織する資金もなかったカイエは、アラブ人商人に化けてトンブクトゥまで行く計画を立て、現モーリタニアに滞在しアラビア語、イスラム法、イスラムの慣習などを学んだ。

その後1827年4月に現ギニア共和国からマンデ人長距離交易者の隊商にアラブ人として紛れ込み、内陸部を目指した。幾多の苦難の後ジェンネから水路トンブクトゥに到達したカイエであったがそこで目にしたのは砂に埋もれかけた小さな町に過ぎなかったという。1828年4月20日から5月4日までの2週間トンブクトゥに滞在したカイエはサハラ越えの隊商に同行しモロッコまで行き、帰仏した。

カイエがトンブクトゥから生きて帰ってこれたのは、準備期間にアラビア語やイスラムの習俗を学び、アラブ人の振りをして旅をしたことが大きかったと思われる(探検隊を組織しイギリス軍人であることを隠そうとせずにトンブクトゥで殺害されたレイン少佐と対照的である)。

彼が記した報告書、探検記は同時期のアフリカ内陸部、トンブクトゥに関する貴重な資料となり、カイエはフランス地理学会が約束していた賞金1万フラン(ヨーロッパ人最初のトンブクトゥからの生還者に対しての賞金)を受け取った。

カイエがトンブクトゥにいる間滞在していたという家は現在まで残っていて一種の観光名所となっている(現在も人が住んでいる)。


・ルバ バルバ
・ルバ王国 現在のコンゴ民主共和国南部カタンガ州を中心とした王国。西隣にあったルンダ王国とは密接な関係を持っていた。

周辺の多くの小王国や首長国を支配下におきその文化的影響力はコンゴ盆地南部の熱帯雨林・周辺のサバンナ地帯一帯に及んだ。

16C末頃に小さな地方政権にすぎなかったルバの王コロンゴを、孫のカララ=イルンガ(母親がコロンゴ王の娘。父親は他所の土地から進んだ文化を携えてやってきた狩人)が倒して建国した。

王国はアフリカ中部を横断する長距離交易の要衝を占めていたため、交易の利潤で繁栄し19Cには最盛期を迎えたが19C末に外部勢力の侵攻や王位継承に絡む内紛で分裂・解体した。


・ルヒヤ ケニア西部を主な居住地とするバントゥー系民族。西隣のウガンダや南のタンザニアにも少数居住するが大多数はケニアに住み同国第二の人口を擁する民族となっている(人口に占める割合は約14%)。おそらく15C頃に同地方に(北方から?)移住してきたと考えられている。


・ルワンダ 東アフリカ内陸部の国。国土の大半は高原地帯にあり、赤道付近に位置するにもかかわらず気温はそれほど高くはなく、年間を通じて目立った乾季はない(一部の地方を除き)。

15C頃に移住してきた北方系牧畜民フツが先住のバントゥー系農耕民ツチを征服しルワンダ王国を築いたという南隣のブルンジとほぼ共通した歴史・社会構成を持つ(土着農耕民ツチと移住してきた征服者フツという構図は、植民地当局の都合により作り出された伝説という説もある)。

19C末の植民地化後も王国は存続したが1961年に王政廃止、62年に共和国として独立した。独立後もフツとツチの対立は続き1994年には世界史上最悪規模の大虐殺がおき100万人以上が犠牲になった。

主な民族はツチ、フツ、ピグミー系の先住民トワなど。三者ともにバントゥー系言語であるニアルワンダ語(ブルンジの言語ルンジ語と類似している)を母語とする。

コイル巻き編み技法を用いたルワンダのかご細工はその完成度の高さに定評があり近年ではアメリカの大手百貨店などでも売られている。
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・ルワンダ
    王国
バニャルワンダ(王国)とも。15C〜1962年まで現ルワンダに存在した王国。15Cごろ北方から現ルワンダ領に移住してきた牧畜民フツの首長ブティンバによって、先住民であるツチ(農耕民)、トワ(ピグミー系狩猟採集民)を支配する形で建国されたと伝えられている(土着農耕民ツチと移住してきた征服者フツという構図は、植民地当局の都合により作り出された伝説という説もある)。

ルワンダ王国は建国後拡張の道をたどり19C後半、キゲル・ルワグギリ王の治下、強大な軍事力を背景に最盛期を迎えたが、19C末アフリカ分割の時代に入るとドイツ領、第一次大戦後にはベルギー領となった。

植民地体制化でも王国は存続していたが第二次大戦後フツの王制打倒運動とそれに続く国民投票の結果によってルワンダ共和国が成立したことに伴い王国は消滅した。


・ルンダ王国 17C半ばに現在のコンゴ民主共和国南部を中心に建国されたバルンダ人の王国。その版図は最盛期にはアンゴラ北部、ザンビア北西部に及んだ。その王号からムワタ=ヤンボ王国と呼ばれることもある。

東隣のルバ王国とは密接な関係を持ち、ルンダ王国の建国者はチビンダ=イルンガ(ルバ王国の建国者カララ=イルンガの末子)と言われている(別の伝承ではカララ=イルンガの腹違いの兄弟ムワタ=ヤンボが建国の祖とされている)。

ルバの地からやって来たチビンダはルンダの首長の娘ルウージュの婿となり近隣の諸民族を統合してルンダ王国を作り上げた。王国は中部アフリカで最も強力な中央集権国家の一つとなり、ルンダ王国の周辺には移住したルンダ人による小王国群がいくつも建国された(ムワタ=カゼンベ王国など)。

ルバ王国と同じく中南部アフリカの長距離交易の要衝として繁栄し、ルバ・ルンダの文化的影響力はコンゴ盆地南部の熱帯雨林・周辺のサバンナ地帯一帯に及んだが、19C後半にチョクウェの侵攻によって王国は解体した。


 
・レイヨウ アンテロープとも呼ぶ。ウシ属とヤギ亜科以外のウシ科の野生種のほぼ全てを含むグループ。分類学上の定義ではなくウシ科のさまざまな属・亜科の動物が含まれ、その多くがアフリカ大陸に棲息する(インパラガゼルなどが代表的)。

体重2.5kgの小型種から1tに達する大型種まで実に多くの種(約70種)がふくまれ、そのなかの多くの種がすらりと伸びた2本の角、ばねのきいた脚といった共通の特徴を持つ。

アフリカの多くの地域ではレイヨウの角は呪術的な力を持つとされ、角そのものを呪物として使用する他、仮面、彫像のモチーフとして使われることも多い(マリバンバラ人チワラ像など)。
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・レオ=
 アフリカヌス
1489?〜1550年?。スペインのグラナダ生まれのアラブ人。レコンキスタ後はモロッコに移り住み、二度に渡ってサハラを越えソンガイ帝国を訪れた。二度目のソンガイ帝国訪問後はそのままエジプトまで旅をし、後に海賊にとらわれローマに送られ、時の教皇レオ10世に洗礼を受けカトリック教徒となり、レオ=アフリカヌス(アフリカのレオ)を名乗る。

レオ=アフリカヌスの記した旅行見聞録「海と陸の旅」はのちに「アフリカ誌」の名で広く知られるようになった。この9巻からなる大著は当時のヨーロッパ人がアフリカを知る上の貴重な資料であったが、置いては、文献史料の少ないアフリカ史研究においては現在でも第一級の史料である。

・レグバ ヴードゥー教の神々の中で最もひろく知られている神の一人。ナイジェリアではエシュと呼ばれる。ヴードゥーの至高神マウ=リサの末子。

太陽神としての性格も併せ持っているが、トリックスターとしてよく知られるこの神は、十字路、道、扉、など人界と異界の境と考えられている場所を司り、両方の世界を行き来することから、神と人間の仲介者、通訳としての役割を担っている。

カリビアンヴードゥーの儀式ではまず最初にレグバの名を唱え、他の神々との仲介を依頼する。
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・レソト 正式にはレソト王国。南部アフリカの山岳地帯(バスト高地:最高峰はタバナ・ヌトレニャナ山で3482m)に位置する内陸の王国であり、国境のすべてを南アフリカ共和国に囲まれている。

18C頃に北から移住して来たバントゥー系民族ソトがこの地域にバスト王国を築いた。19C半ばからは近隣のズールー人、ボーア人(オランダ系移民)の圧迫を受けたためイギリス保護領下に入った(イギリス保護領バストランド)。1966年にレソト王国として独立。サハラ以南のアフリカではスワジランドとレソトだけが君主制国家である(実権を伴わない儀礼的存在として国家の中に存続している王国はサハラ以南アフリカに数多く存在する。北アフリカの君主制国家はモロッコのみ)。

主な民族はソト・ズールーなど。


・レユニオン島 インド洋の島国モーリシャスの南西に浮かぶ面積2500kuのフランス領の火山島。地理的にはアフリカ州に含まれる。無人島であったこの島を1513年にポルトガル人が「発見」し、1638年にフランス領となり現在に至る(現在はフランス海外県および海外地域圏)。


・レレ グルンシのサブグループのひとつであり主にブルキナファソ中西部に居住する。レラとも呼ばれる。人口は13万人ほど。


・レンディーレ 主にケニア北部の乾燥地帯をテリトリーとするクシ語系遊牧民。ラクダを主体としてヤギ、羊などを飼育する。遊牧は青年の仕事であり、老人、女子供は半定住式の集落(年に数度短い距離で移住を繰り返す)を作りそこで生活する。レンディーレは独自の宗教を持っているが、クシ語系ラクダ遊牧民で非ムスリムという民族はかなり珍しい。


・ロアンゴ王国 14,5C〜19Cに中部アフリカはコンゴ河下流北岸に栄えた王国。コンゴ河南岸のコンゴ王国、北のティオ王国(テケ王国)とは起源神話に共通点が見られるなど同系の王国であったと考えられている。

17Cには最盛期を迎えるが、ヨーロッパ勢力の侵入などにより国力が衰え、19C末に王の後継ぎ争いにより滅亡した。

・ろうけつ染め 溶かしたロウを用いてに防染を施す技法(→染色)。ろうけつ染めで染め上げられた布はジャワのろうけつ染め布の名をとってバティックとも呼ばれる。アフリカでは古くはロウの替わりにキャッサバなどからつくったノリで防染を施す、ノリ防染法が一部の地域で行われていた。ノリ防染で精緻な模様を染め抜いたヨルバ藍染めは特に有名である。

現在では木綿の幅広布(工業生産品)に色鮮やかなろうけつ染めを施した布が西アフリカ各地で盛んにつくられ、それぞれの地域性も見られアフリカの布工芸品の代表格になってきている。描く主題も自然の風景から人々の営み、伝統的な文様から抽象的な現代絵画風のものまで幅広く、アフリカらしい大胆で鮮やかな色づかいで絵を染め上げている。

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アフリカの染め布


・ロコ シエラレオネ北部地方や首都フリータウンを主な居住地とする民族でありマンデ系言語を持つ。伝統的生業形態は農耕。


・ロジ ザンビア西部で多数派を占めるバントゥー系民族。アンゴラ南部、ボツワナ北部、ナミビア北東部(カプリビ回廊)にも居住する。17〜18Cに現コンゴ民主共和国方面から現住地域に移住してきたと考えられている。


・ロズウィ王国 15C頃から19C前半にかけて現ジンバブウェを中心にザンビアボツワナ南ア共和国モザンビークの一部を領有し栄えたロズウィ人の王国。11C頃から同地域に栄えたモノモタパ王国の後継王朝。

モノモタパ王国を同じく豊富な鉱産資源(金など)をもとにした海外交易(インド洋交易:現モザンビークのソファラが主な貿易港))により繁栄したロズウィ王国は、レンガ状に切り揃えた石材を用いた巨大製造建築物を次々につくっていった(グレートジンバブウェカミドーロ・ドーロなど)。ロズウィ王朝期の遺跡から、頭部に鳥の彫刻を施した石柱がいくつか見つかっていて、この鳥の彫刻は現在ジンバブウェの国旗・国章にも使用されている。

18C末の旱魃などで国力が弱ったところに南方からングニ、ンデベレなどが侵入、1834年に最後の国王が殺害されロズウィ王国は滅亡した。


・ロビ ブルキナファソ南部、コートジボアール北部にかけて居住する農耕民。ブルキナファソの人口に一定の割合を占める。1770年代に現在のガーナにあたる地域から移住してきたと考えられている。タグバという創造神を奉じる伝統宗教を信じる人も多い。

ロビの工芸品としては抽象化された四本足の獣をかたどったイスが知られている。
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・ローマ 主にリベリア-ギニア共和国国境地帯の山間部に居住するマンデ系農耕民族。リベリアでは人口の約5%を占める(リベリア、ギニア合わせて約25万人ほど)。近隣のマンデ系諸民族からはトマと呼ばれることもある。
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・ロムウェ タンザニアマラウィモザンビークにかけてを主な居住地とする民族。モザンビークやマラウィでは大きな人口比を占める民族である。バントゥー系言語を持つが方言差が大きいため相互理解不可能な場合がある。


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