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アフリカ雑貨アザライは西アフリカを中心とした、アフリカの雑貨・ひょうたん・アクセサリー・民芸品・美術品専門店です |
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09/4/27 NHK「世界遺産への招待状」でサハラの岩塩が紹介されました。
サハラ・タウデニの岩塩(塊状)
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サハラ・タウデニの岩塩(塊状)はこちらで販売しております>>
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天然にがりと世界の塩専門店
おちあいどっとこむ
*まだ同社HP上にはタウデニの塩がアップされていません。
ご購入についてはお手数ですが「おちあいどっとこむま」でお問合せください
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〜サハラに封じ込められた太古の海の結晶〜
マリ共和国北部、アルジェリアとの国境に程近いサハラ沙漠のど真ん中、タウデニの岩塩鉱床から掘り出された板状岩塩をお届け致します。
千年以上もの昔から、サハラの塩鉱から掘り出された岩塩はラクダキャラバン「アザライ」によって砂の海をわたり、はるか南のトンブクトゥへ運ばれ、時には等量の黄金と交換されてきました。海塩が容易に手に入るようになった今日でも、タウデニの岩塩は特別な価値を持つ塩としてマリや周辺の国で珍重されています。
二億年以上前の海の味をそのまま閉じ込めたサハラの岩塩。広大なサハラの悠久たる時の流れを思い起こさせる、そのまろやかでこくのある味わいをぜひお試し下さい。
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〜タウデニ〜
マリ共和国の北半分を占めるサハラ沙漠。アルジェリアとマリの国境に程近いところにタウデニの岩塩鉱床がある(タウデニの位置を見る>>)。太古海の底にあったこの地が隆起し、内陸部に取り残された海が塩湖となり、やがて水分が蒸発し、残った塩分が堆積し、岩塩層が形成されたのが約2億年前のことと考えられている。
〜塩金交易〜
サハラにはこのような岩塩鉱や濃い塩分を含む湧水池がいくつか存在し、はるかな昔から人類が利用してきた。生存に不可欠な塩分の確保は人類の歴史が始まったときから常に人類にとって重要な問題であり、世界中で様々な方法で塩が作られてきた。
海から遠い西アフリカの内陸部に住む人々にとって塩は非常に貴重なものであり、サハラ縦断交易が始まったときからサハラの岩塩は交易の主要な商品であった。サハラの南で取れる金とサハラで取れる岩塩の交易を柱としたサハラ縦断交易はラクダの利用が広まった8Cごろから盛んになり始めた。ガーナ王国、マリ帝国、ソンガイ帝国など西スーダンに興った大帝国はいずれもサハラ縦断交易の利益に立脚し、サハラの南縁、サヘルの北縁にはトンブクトゥ、ガオ、ワラタなどの交易都市が栄えた。
北からは・繊維製品・装飾品・ガラス・馬・などのアラブ世界、地中海世界の商品が、南からは象牙・銅・奴隷などがサハラを越えて運ばれたが、いつの時代にも交易の柱はサハラの タウデニから切り出された岩塩板。一枚約35kgの重さがある。
塩と南の金の交換であった。海岸線
から遠い西アフリカ内陸部の住民にとって生存に不可欠な塩の入手は常に重要な問題であり、サハラを越えて運ばれてくる岩塩は非常に貴重かつ高価なものであった。サハラ南縁の交易都市に運ばれてきた岩塩は時には同じ重さの金と交換されたともいわれ、岩塩は「サハラの白い黄金」と称された。1591年にサード朝モロッコの軍隊がサハラを越えソンガイ帝国に侵攻したのも、当時のサハラの岩塩採掘の中心地タガザとサハラ縦断交易路の支配権を握るためであった事から解るとおり、サハラの岩塩は時には国家の命運を左右するほど重要な産物だったのである。
モロッコ軍によるソンガイ帝国侵攻の原因となったタガサの岩塩鉱は17C初頭にはほぼ掘りつくされていた。変わってサハラの岩塩採掘の中心地となったのがタガサの南に位置するタウデニであった。タウデニの岩塩鉱床は地殻変動の影響等を受けなかったため地表から数mの深さに水平堆積鉱床として存在している。
〜ラクダキャラバン〜
岩塩の採掘は現在でも昔と変わらぬちょうな一本による手掘りで行われ、掘り出された岩塩は鉱夫の手によって約100×60×5p・約35kgの板状に整えられる。現在ではトラックによる輸送もおこなわれているが、この岩塩板を運ぶ主役は今日でもやはりラクダキャラバンである。
一頭あたり約140kgもの塩の板を背負いサハラを進むラクダたち
サハラの酷暑が多少なりとも緩む10月頃、トンブクトゥや周辺の遊牧民キャンプからラクダキャラバンがはるか北のタウデニを目指し次々と出発し始める。鉱夫の食糧などを積んだキャラバンは20日ほどかけてタウデニに到着、岩塩板を積み込み750kmの道のりを二十日程かけてトンブクトゥへ引き返す。キャラバンの規模は様々であるがおおむねラクダが20〜100頭、人間が2〜8人くらいのことが多いようである。一頭のラクダに4枚の岩塩板(約140kg)を積むので(若いらくだは少し軽めの板を積む)100頭規模のキャラバンでは約14tの岩塩を運べることになる。
このラクダキャラバンは毎年サハラが耐え難いまでに暑くなり始める3〜4月くらいまで続けられる。背に真っ白な塩の板を背負い、砂と空以外何もないサハラを二列縦隊になって進むラクダキャラバンの姿は、まるで中世に紛れ込んだかのような幻想的な美しさを湛えている。
トンブクトゥはサハラの南の縁、ニジェール河大湾曲地帯の北端、「砂と水の出会う場所」に位置する交易都市であり、トンブクトゥへ運ばれてきた岩塩はここからは船に載せられる。ニジェール河をさかのぼり約400q西の交易都市モプティへと運ばれ、そこからマリ各地、周辺諸国へと運ばれていく(昔はトンブクトゥからジェンネへと運ばれていた)。
トンブクトゥを目指しサハラを進むアザライ(ラクダキャラバン)
〜タウデニの岩塩〜
マリ各地に運ばれたタウデニの岩塩は適当な大きさに小分けされ市場などで小売りされる。海水から作った塩が安価に手に入るようになった現在でもタウデニの岩塩はマリの人々にとって特別な価値を持つものであり、海塩よりも高く取引され、コーラナッツと共に贈答品としても用いられている。またマリではタウデニの岩塩は様々な病気を治す力があると信じられていて、市場の中の民間薬売り場におかれていることも多い。
また単純に海塩よりも岩塩のほうが味がいいということでタウデニの岩塩を好む人も多い。特にトンブクトゥの住民などは「タウデニの岩塩の味を知ったら他の塩なんか食えない。」というほどである。ナイフや金槌で砕いたり、臼で搗いて細かくして調理に用いるが、煮込み料理やスープ類の味付けに使う場合、適当な大きさの岩塩の塊でスープをかき混ぜ、適度な塩分が染み出たところで塊を取り出すという、豪快な使い方もある。
〜アザライ〜
タウデニの岩塩を運ぶラクダキャラバンは現地の言葉(アラブ語由来かタマシェク-トゥアレグの言語-由来かは諸説あるが)で「アザライ」と呼ばれている。この言葉は広義にはこの地域でサハラ縦断交易に従事していたラクダキャラバンなどを含むラクダによるキャラバン全体を意味する。サハラ縦断交易に従事しサハラの南と北を、アフリカと外の世界を結び付けてきたラクダキャラバン「アザライ」。当店「アフリカ雑貨アザライ」の名はこのラクダキャラバンに因み、アフリカと日本を結ぶ現代の「アザライ」を目指す、との思いを込めて名付けました。
モプティにて。小さく切り分けられた岩塩を売る少女。
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