ヨルバの彫像 |
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*本稿は2013年6月の「ナイジェリア特集」コラムに、加筆訂正・写真の入れ替え等したものです。
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〜ナイジェリアとは〜
西アフリカギニア湾に面した、アフリカ最大の人口1億6000万人(一説には2億超)を抱える大国ナイジェリア。ベナン(西)、ニジェール(北)、チャド(チャド湖をはさんで北東)、カメルーン(東)に三方を囲まれ南はギニア湾に面する。北部はサハラにつながるサバンナ地帯、南部は熱帯地方に属する。中央にはジョス高原が、カメルーンとの国境地帯にはアダマワ高原、マンダラ山地がそびえ、国土を南北に貫いて西アフリカ一の大河ニジェール川が流れる。
ナイジェリアの古代史は、サハラ以南アフリカの大半の国と比べるとかなり研究が進んでいるといえる。ナイジェリアの古代史で特筆すべきはサハラ以南アフリカ最古ともいわれる鉄器文化:ノク文化の存在であろう。前500年頃〜後200年頃にかけてナイジェリア中部ジョス高原に栄えたこの文化は代表的な遺跡の名をとってノク文化と呼ばれる。粘土製の彫像(人物像、動物像等)で有名であり、サハラ以南のアフリカの彫刻文化として現在遺物が残っている文化の中では最も古いものの一つである。またノク文化はサハラ以南のアフリカでは最初期の鉄器文化としても有名であり、周辺のニジェール河下流域、チャド湖周辺からも同時代の鉄器製造の遺構が発掘されていて、同地域がサハラ以南のアフリカで初めて製鉄技術が開発、または導入された地域と考えられている。
ユーラシア大陸の歴史とは逆にサハラ以南のアフリカでは鉄器文化が青銅器文化に先行していたが、アフリカ初の青銅器文化もまたナイジェリアで産声を上げた。ニジェール河下流域、現在主としてイボ民族が住んでいる地方に9C?〜?Cに栄えた文化:イボ=ウクウ文化はおそらくアフリカ最古の青銅器文化と考えられている。イボ・ウクウの青銅彫刻は失蝋法で造られていて、その様式は非常に緻密かつ装飾的であり、後のイフェ、ベニンの青銅彫刻等とはかなり異なっていた。
時代が下りナイジェリア南西部に栄えたのがイフェをはじめとするヨルバ諸国であった。最初のヨルバ国家イフェが形成されたのはおそらく11Cのはじめ頃と考えられている。伝承によれば、天の神オロルンがイフェの初代王オドゥドゥワをイフェの地に遣わし、イフェ王国が生まれたとされている。その後各地に建てられたヨルバ諸国の建国者はすべてこのオドゥドゥワの息子と言われている。イフェ以後のヨルバ諸国はイフェをヨルバ発祥の地としてあがめ、宗主国として、また宗教的聖地として尊重したため、世俗的なの国力はさほどでもなかったにもかかわらず全ヨルバ諸国の中で特権的な地位を享受し、その宗教的権威によって19C末まで存続していた。現在でもヨルバ人の宗教的、精神的な聖地としての地位を保っている。13・14C頃には同地域に十数のヨルバ人の王国が形成されていたが、数あるヨルバ国家の中で最大の版図と勢力を誇ったのがオヨであった。 13・14Cごろに始まりスーダン(ハウサ諸国:後述)と東ギニアを結ぶ交易網の要衝として栄え、ヨーロッパ諸国との交易が始まると奴隷貿易で大きな利益を上げたオヨ王国は、奴隷交易を通じヨーロッパ人から手に入れた銃火器を装備し、現在のナイジェリア西部州からガーナのボルタ河流域にいたる王国を築き、18Cにはダホメー、アジャ等の周辺諸国を朝貢国とした。
ヨルバ諸国の東、ニジェール河により近い地方ではヨルバ文化の影響のもとエド人によるベニン王国(13C頃〜)が建国された。 ベニンは初期にはベニンシティー周辺のみを支配する都市国家であったが、15C半ばにはすでにかなりの規模の国家となり、15C半ばに即位したエウアレ王の治世下さらに領土を拡大し、国家組織の整備に努めた。その後もエシギエ王などの英明な君主が何代か続き、ヨーロッパ人との交易(15C末〜:奴隷など)で栄え、16、7Cには東ギニア最大の国となった。また、ベニンの版図よりも北方(現ナイジェリア中部)にもイガラ、ヌペ、ジュクンなどの王国がつくられていた。
一方、ナイジェリア北部地方には10C以降ハウサ人による都市国家群が建設され、サハラ縦断交易網と東ギニア南部の森林地帯との交易を仲介し大いに繁栄していた。サハラ縦断交易に伴いもたらされたイスラム教はハウサランドを含む西アフリカ内陸部にかなり浸透していたが、在来の民族宗教との習合的なものであった。これを批判したハウサランドのフルベ人イスラム学者ダン=フォディオが起こしたジハードは瞬く間にハウサランドを制圧。近隣地域も平定し広大な版図を持つソコト帝国が成立した。ソコト帝国をさきがけとするフルベ・トゥクロールによるジハード運動は19Cの西アフリカ内陸部を席巻することとなった。 |
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ヨーロッパ諸国は、西・中部アフリカとの沿岸交易を始めた当初(15C末〜)は内陸部への領土的野心を持たず、沿岸部のアフリカ人王国との交易(主な商品は奴隷・象牙・金・香辛料など)にとどまっていたが、産業革命を経て経済構造が変化したことにより、19C半ばから内陸部への進出・植民地獲得へと政策を転換した(アフリカ分割の時代)。現ナイジェリア地域へはイギリスが侵攻し、沿岸部から内陸へと圧倒的な武力を背景に保護領化(植民地化)していき、1900年にはナイジェリア全土がイギリスの支配下に置かれた。
その後、半世紀以上の植民地支配を経て第二次大戦後の植民地解放の流れの中、1960年に独立を達成。独立後も百万を超える死者を出した悲惨な内戦(ビアフラ戦争:1967年〜1970年))、度重なるクーデター、軍政などが続き現在は民政が定着したようであるが、北部ではイスラム原理主義組織ボコ=ハラムとの(事実上の)内戦状態にある(2022年9月現在)。南部の産油地域でも反政府武装勢力が跋扈する。世界有数の産油国であり、アフリカ屈指の経済大国でもあるナイジェリアには、プライベートジェットを持つような大金持ちが多数存在する一方、国民の大半は貧困層であり、アフリカのそして世界経済の矛盾を体現したような国でもある。
主な民族は南西部のヨルバ、南東部のイボ、北部のハウサ、フルベでありこの4つの民族で全人口の7割ほどを占める。他にも比較的大きい民族グループとしてはジュクン、イビビオ、イジョ、ティブなどがいる。民族グループ・言語の分類方法にもよるがナイジェリア全土では200以上の民族が居住し、数百の言語が使用されているといわれて、民族的、言語的多様性を誇るアフリカ大陸の中でも特に多様性に富んだ国のひとつである。北部ではイスラムが、南部ではキリスト教が多数派を占めるが南西部のヨルバを中心としたヴォードゥン信仰(ヴードゥー教)やニジェール河下流域諸民族のイケンガ信仰など独自の民族宗教、民間信仰も多くみられる。 |
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〜ナイジェリアの工芸〜
アフリカ最大の人口、西アフリカ最大の経済規模、アフリカ有数の民族的・文化的多様性を誇る地域大国ナイジェリアは、また大陸屈指の芸術大国でもある。北部のハウサ人は商業民族としても有名であるが、有能な手工芸職人としても知られていて、ハウサ都市で作られる皮革製品、装身具などはアフリカ各地にその名を知られ、特に革細工はモロッコ革の名で遠くヨーロッパにまで名を知られていた(ハウサランドからサハラを越えてマグレブ諸国−モロッコなど−に運ばれそこからヨーロッパに出荷されていたためモロッコ革と呼ばれることになった)。また藍染めでも有名で、トゥアレグが好むほとんど紫に近い濃い藍色の砧打ちの布はほとんどが北ナイジェリアのカノなどのハウサ都市で作られている。
しかしなんと言ってもナイジェリアを代表する芸術民族といえば南西部のヨルバ人、エド人であろう。豊かな歴史と独自の宗教を持つヨルバは王国時代に宮廷美術として花開いた豊かな工芸文化を持つことでも知られている。日本にもよく紹介されているスーダン諸民族(バンバラ、ドゴン、グルンシなど)やコンゴ諸民族(バコンゴ、バルバ、バクバ、ファンなど)と一線を画す彫刻文化を持ち、特にイフェ王国の時代に作られた一群の青銅彫刻・テラコッタ彫刻はその写実性と完成度の高さにおいて、世界的に見ても最高の水準に達していると評価されている。はじめてイフェの彫刻を見たヨーロッパ人はその芸術性の高さからアフリカ人が作ったとは信じられず、ギリシャ人か何かが造ったものがアフリカに伝わったのだろうと考えたという。無礼極まりない話だが、イフェ美術の完成度の高さを物語るエピソードである。
ブロンズ彫刻といえばエド/ベニン王国も負けてはいない。 ベニン王国でも宮廷美術が発達し、宮廷の工芸師たちはアフリカの歴史を通じて最高峰といわれる象牙細工と青銅彫刻を作り出した。中でもさまざまな場面でのオバ(王)の姿を浮き彫りにした青銅版、彫刻を施した象牙を立てるための人頭型の青銅製の台(王の肖像とも言われている)などは非常によく知られている(現在ナイジェリアにはあまり残っていない。19C末に同王国に侵攻したイギリス軍が根こそぎ持っていってしまったため現在では大英博物館に展示されている)。ベニンの青銅彫刻はアフリカ美術史上でも最高級の評価を受けていて、なかには競売で470万ドルの値がついたものもある。またベニン王国の象牙細工はビニ=ポルトギーズ(ポルトガル人交易者を通じてヨーロッパにもたらされたビニ=ベニンの象牙細工という意味)とも呼ばれヨーロッパ人の交易者が争うように求めたほど高度な水準に達していた。
ヨルバはブロンズ・テラコッタ彫刻以外にも木彫・染織工芸などに優れた才能を示しアフリカ有数の芸術民族として知られている。大きなアーモンド形の大きな目、小さなあご、(他地域の彫刻に比べて)写実的な描写などのヨルバ彫刻の特徴は周りの民族にも大きな影響を与え、エド/ベニンの彫刻にも色濃く受け継がれている。また、さまざまなことわざなどと意味する繊細な文様を染め抜いたヨルバの藍染布はアフリカの染め布の中でも最高級の評価を得ている。
さらにニジェール河河口デルタからクロスリバーデルタにかけてのナイジェリア東部、南東部南東部にはイボ、エコイ、ジュクンなどの工芸に秀でた民族が多数居住し、芸術大国ナイジェリアの名に恥じない多様性を見せてくれる。(個人的な見解ではあるがエコイの獣皮を張った頭上面やヘルメット型マスクはアフリカの彫刻の中でもっとも不気味な迫力を持つものの一つである) |
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ナイジェリア特集は2022年9月末日をもって終了しました。
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