ニジェール河内陸デルタの小村 |
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〜ニジェール河〜
西アフリカを横断して流れるアフリカ第三の大河ニジェール河。全長は4180km、流域面積は209万kuに及ぶ。ギニア共和国東部シエラレオネとの国境に位置する山岳地帯に端を発し、、マリ共和国中部に広大な氾濫原(ニジェール河内陸デルタ)を形成しつつそのままサハラの南縁の乾燥地帯を貫きトンブクトゥ、ガオを北端とする大きな弧を描く。、ニジェールを通り南下したニジェール河はナイジェリアに入った後、ベヌエ、カドゥナ、ソコト川等の支流を集め、ナイジェリア東部の熱帯地方で大きなデルタ地帯を造りつつギニア湾に注ぐ。
古来、ニジェール河は流域地帯の農業、漁業、交通、物流の大動脈であり、早くから人類が定住、農耕を行い多くの文明を育んできた。上・中流域にはガーナ(正確にはセネガル河流域だがニジェール河流域も一部領有)、マリ、ソンガイの大帝国が勃興しジェンネ、トンブクトゥ、ガオなどの交易都市が繁栄。下流域ではイボ・ウクウ文化、ヨルバ諸国、ベニン王国などが栄えた。エジプトがナイルの賜物と言われるように、サハラ以南のアフリカ史上最大級の王国がいくつも盛衰し、アフリカ文化史の中で重要な位置を占める文化・文明が花開いた西スーダン・東ギニアは、まさに「ニジェール河の賜物」ということができるだろう
乾燥した大地を縫って流れるニジェール河(マリ)
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〜ニジェール河流域史〜
ニジェール河流域での人類活動がいつ頃始まったのかはいまだ定かではないが、4〜5000年前にはすでに農耕が始まっていたと考えられる遺跡が見つかっている。同時期に始まったサハラの乾燥化に伴いそれまで緑のサハラに暮らしていた人々が徐々に南下してきたことでニジェール河流域の人口も増えていったと思われる。
古代のニジェール河中流域について特筆すべきことはこの地域が稲・モロコシ・トウジンビエなどの穀物を主体とするスーダン農耕文化の発祥の地であったということであり(異説も有り)、下流域については同地域においてサハラ以南のアフリカ最古の鉄器文化が確認されていることであろう(例:タルガ遺跡・前500年頃以前、ノク文化・前500年頃〜:共にナイジェリア。中流域ではおそらくジェンネ=ジェノが最古:マリ・前250年ごろ〜)。またニジェール川中・下流域一帯(マリ・ニジェール・ナイジェリア・ちょっと外れるけどブルキナファソなど)では、古いものでは紀元前2世紀頃にさかのぼると見られる素焼きのつぼ、塑像が大量に出土している。 ニジェール河中流域での農作業は舟にのって行うことも多い(マリ)
鉄器使用が広まっていくにつれ、農業生産の拡大、人口の増加、さらに富・権力の集中がもたらされ、やがてまずはニジェール河上・中流域でいくつもの王国社会が形成されていった。ニジェール河中流域≒西スーダンにまず王国社会が形成された要因としては、乾燥・半乾燥地域である同地域では南の森林地帯に比べ長距離移動が容易であったことが挙げられるが、最大の要因はサハラ縦断交易による富の蓄積であろう。サハラの南の縁を流れるニジェール河中流域はサハラを越え南と北の文物を結び付けてきたサハラ縦断交易網の南の終着点であり、南の森林地帯の産物と北の産物を交換する交易都市がいくつも発展した。
このサハラ縦断交易(サハラの岩塩と南の金の交換が柱だったため塩金交易とも呼ばれる)がもたらした富の蓄積により、西アフリカ最初の大規模国家となったのが現モーリタニア南部を中心として栄えたガーナ王国であった(7、8C〜1077年)。ガーナ王国がムラービト朝(現モロッコ)により滅ぼされた後、100年以上にわたる動乱の時代を経て、西スーダンに覇権を確立したのがマリ帝国であった。西スーダンの広大な地域を安定したマリ帝国(13C〜15C末)の出現によりサハラ縦断交易はますます発展し、ニジェール河中流域には、サハラのラクダキャラバンとニジェール河水運の中継地であるトンブクトゥ、ガオ、ニジェール河水運の要であるジェンネなどの交易都市が繁栄した。
ニジェール河の中州の交易都市ジェンネの大モスク
マリ帝国にとってかわったソンガイ帝国(15C末〜16C末)の時代にはサハラ縦断交易は最盛期を迎える。ジェンネ、トンブクトゥ、ガオ(帝国の首都でもあった)などの交易都市は空前の繁栄を遂げ、ニジェール河中流域は黄金時代を謳歌したが、16末のサード朝モロッコ軍の侵攻により帝国は崩壊、同地域は再び動乱の時代を迎えることとなった。
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一方のニジェール河下流域での森林地帯ではサハラ以南の他の地域に先駆けて青銅器文化が出現していた。イボ=ウクウ文化と呼ばれるこの文化は現ナイジェリアのニジェール河下流域、現在主としてイボ民族が住んでいる地方に9C頃から栄えたが、下流域の他の後発の文化との関係、現在その地に暮らしているイボ人との関係などは明らかでない。
ニジェール河下流域の西部に栄えたのがイフェをはじめとするヨルバ諸国である。13・14C頃には同地域に十数のヨルバ人の王国が形成されていたが、数あるヨルバ国家の中で最大の版図と勢力を誇ったのがオヨであった。 13・14Cごろに始まりスーダン(ハウサ諸国:後述)と東ギニアを結ぶ交易網の要衝として栄え、ヨーロッパ諸国との交易が始まると奴隷貿易で大きな利益を上げたオヨ王国は、奴隷交易を通じヨーロッパ人から手に入れた銃火器を装備し、現在のナイジェリア西部州からガーナのボルタ河流域にいたる王国を築き18Cにはダホメー、アジャ等の周辺諸国を朝貢国とした。
ヨルバ諸国の東、ニジェール河により近い地方ではヨルバ文化の影響のもとエド人によるベニン王国(13C頃〜)が建国された。 ベニンは初期にはベニンシティー周辺のみを支配する都市国家であったが、15C半ば ニジェール河内陸デルタの小村
にはすでにかなりの規模の国家となり、15C半ばに即位したエウアレ王の治世下さらに領土を拡大し、国家組織の整備に努めた。その後も英明な君主が何代か続き(エシギエ王など)、ヨーロッパ人との交易(15C末〜:奴隷など)で栄え、16、7Cには東ギニア最大の国となった。また、ベニンの版図よりも上流域にもイガラ、ヌペ、ジュクンなどの王国がつくられていた。
ガーナ、マリ、ソンガイなどの大帝国が栄えた16C頃まではニジェール河流域における歴史の主役は中流域であった。かわって15.16C頃からニジェール河流域史・西アフリカ史の表舞台に立ったのはヨルバ(オヨ)、ベニンなどのニジェール河下流域におこった強力な王国であった。これはソンガイ帝国の崩壊により衰退したサハラ交易網に変わり、西アフリカと外部世界の交易の主役がギニア湾岸におけるヨーロッパ人との交易に移ったためでもある。
ニジェール河中流域の西方、現在のナイジェリア北部地方には10C以降ハウサ人による都市国家群が建設され、サハラ縦断交易網と東ギニア南部の森林地帯との交易を仲介し大いに繁栄していた。サハラ縦断交易に伴いもたらされたイスラム教はハウサランドを含む西アフリカ内陸部にかなり浸透していたが、在来の民族宗教との習合的なものであった。これを批判したハウサランドのフルベ人イスラム学者ダン=フォディオが起こしたジハードは瞬く間にハウサランドを制圧。近隣地域も平定し広大な版図を持つソコト帝国が成立した。ソコト帝国をさきがけとするフルベ・トゥクロールによるジハード運動は19Cの西アフリカ内陸部を席巻することとなり、ニジェール河中流域ではセグー王国、カアルタ王国などのバンバラ系の王国が次々とジーハード国家(トゥクロール帝国、マシーナ王国など)によって併呑されていった。
ジェール河内陸デルタの漁村
ヨーロッパ諸国は、西・中部アフリカとの沿岸交易を始めた当初は内陸部への領土的野心を持たず、沿岸部のアフリカ人王国との交易(主な商品は奴隷・象牙・金・香辛料など)にとどまっていたが、産業革命を経て経済構造が変化したことにより、19C半ばから内陸部への進出・植民地獲得へと政策を転換した(アフリカ分割の時代)。内陸部へと侵攻するヨーロッパ勢力の圧倒的な武力に対して果敢に抵抗したアフリカ人勢力もあったものの、火力の差は如何ともしがたく、ある王国は滅ぼされ、ある王国は保護領下の傀儡となり、20C初頭にはニジェール河流域全域が植民地支配下に置かれた(下流部のみイギリス植民地:現ナイジェリア。他はフランス植民地)。それから半世紀以上の植民地支配を経て第二次大戦後の植民地解放の流れの中、ニジェール河流域の先頭を切り1958年にギニア共和国が独立を達成。アフリカの年と呼ばれた1960年にはマリ・ニジェール・ダホメー(現ベナン)、ナイジェリアが独立を達成し現在に至る。
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〜ニジェール河流域の工芸文化〜
ニジェール河流域には西アフリカを代表する工芸文化が綺羅星のごとく並んでいる。中流域は内陸デルタの南に住むドゴンは西アフリカのみならず全アフリカを代表する彫刻の名手として知られている。ドゴンはその壮大な宇宙観・神話体系、独特の仮面儀礼などからサハラ以南アフリカ諸民族の中で最もアフリカらしい、宗教、習慣を伝えている民族と評されることもり、彼らの世界観を木から彫りおこしたドゴンの仮面や彫像はアフリカ美術の中で重要な位置を占めている。
ニジェール河上流から中流域にかけて広く居住するマンデ系民族バンバラ・マリンケもまた西アフリカ内陸部を代表する芸術民族であり、おそらく西アフリカで一番有名な彫像「チワラ」に代表される木彫文化(仮面、彫像、民具;イス・臼 .etc)などののほかにも、泥染め布(ボゴラン)、ひょうたん工芸、伝統楽器(マリは西アフリカの音楽大国としても知られている)など多彩な工芸文化を誇る。
ドゴン、バンバラ、マリンケなどニジェール河中流域≒サヘル地帯の彫刻に共通するのは、直線的かつ抽象的な造形であり、その仮面や彫像の顔には、静謐、堅牢、哲学的な表情が見られることが多い。またこれらの彫刻は民間の宗教儀礼などに用いられるいわゆる民衆芸術であった。
玲羊をかたどった「チワラ」
一方、森林地帯である下流域を代表する芸術民族ヨルバ(ヨルバ諸国を建国)とその影響を大きく受けたエド(ベニン王国を作った民族)はそれぞれ王国を形成し、その中で専門の職人による宮廷芸術が発達した。ヨルバ・エドの彫刻には曲線が多く用いられ、写実的な描写を取り入れたものが多く、イフェ(ヨルバ)の青銅彫刻、ベニン王国(エド)初期のブロンズ彫刻(後期にはデフォルメが進んだ)はその写実性と完成度の高さからアフリカ美術史上でも最高の傑作群と評価されている。ヨルバはブロンズ彫刻のほかにも仮面・彫像などの木彫(ヴードゥー関連のものが多い)、ビーズ細工、アフリカ一とも言われる華麗な文様を施した藍染め布など多様な工芸文化を誇る西アフリカの一大芸術民族でもある。
これらの他にも、現ナイジェリア領ニジェール河下流域にはいくつかの青銅器文化が発展し、ツォエデ王の彫刻と呼ばれるヌペあるいはイダ王国製のブロンズ像や、ニジェール河下流域で発掘された、ベニン彫刻との関連がうかがわれるいくつかの青銅彫刻群がよく知られている。さらにナイジェリア北部のハウサ社会は仮面文化こそ持たないものの、分業化した専門の職人集団を持ち、手織り布、藍染め布・皮革工芸などさまざまな手工芸が発達し、特に皮革工芸はモロッコ革の名で遠くヨーロッパにまで知られていた。ニジェール河中流域、ガオ(マリ)からニアメ(ニジェール)を中心に暮らすソンガイ・ジェルマもまた鮮や
ベニン王国のブロンズ像 かな色模様を織り込み、房飾りなどをつけた手織りの布がよく知られている。
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〜西アフリカ文明を育んだ母なるニジェール河。
その流域に花開いた多彩な工芸文化の数々をご覧ください。〜
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ひょうたんボウル(焼刻・大)
ハウサ ¥5200
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ニジェール河特集は2010年5月末日をもって終了しました。
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