Wabele/火を吹く仮面(セヌフォ/コートジボアール) |
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〜コートジボアールの歴史・民族・社会〜
コートジボアールは西アフリカはギニア湾に面したほぼ真四角(一辺約600q。32万ku)の形をした国であり、リベリア、ギニア共和国、マリ、ブルキナファソ、ガーナと国境を接する。南部の沿岸地域では熱帯雨林気候、北(内陸部)へ進むにつれ降雨量が減りサバナ気候となる。リベリア、ギニアとの国境地帯には山岳部があるがそのほかはおおむね平坦な地形をしている。国名のコートジボアールCote d'Ivoireはフランス語で「象牙海岸」を意味する。かつてこの地域から大量の象牙がヨーロッパに輸出されたことからつけられた名前である(同様にリベリアは胡椒海岸、ガーナは黄金海岸、ベナンは奴隷海岸と呼ばれていた)。
現在コートジボワールと呼ばれているこの地域でいつ頃から人類が活動を始めたかは考古学的な遺物・遺跡の乏しさから未だに詳しく解明されていない(高温多湿な気候のため遺物が残りにくい)。おそらくは1万7千年前くらいには人類がすでにこの地域に居住していたと考えられているがはっきりしたことは不明である。
文字資料の少なさ、大規模な王国が発達しなかったことなどから、コートジボワールの歴史を復元することは非常に困難ではあるが、北部に関してはアラブ商人や、スーダン諸国からの資料が、南部に関してはヨーロッパ人交易者の記録が史料として残されている。コートジボアールに関する最初の文献資料は北アフリカのアラブ商人の見聞に基づくもので、サハラ縦断交易網の背後(南)に位置する象牙、金、奴隷の産地として記されている。サハラ縦断交易が始まった時代から15〜16Cまでは大雑把に言って、コートジボアールをはじめとするギニア湾諸国(ギニア湾諸国特集参照)で取れた金・象牙・奴隷などの産物がサヘルの広域国家(ガーナ・マリ・ソンガイ・カネム=ボルヌー帝国など)を経て、サハラを越え北アフリカ・ヨーロッパへと運ばれるという交易システムが西アフリカに成立していた(またこの地域はサヘル地域で好まれる嗜好品コーラナッツの供給源でもあった)。交易品の原産地の確保を目指したソンガイ帝国のマンデ系商人や軍人によって建設されたのがゴンジャ(現ガーナ北部)やコング、ボンドゥク(コートジボアール北部)等の交易都市国家的性格を持つ王国群であり、コングは18C初頭に現マリ出身の王を得てからは地域有数の強国となった(ボンドゥクはその後アサンテ王国の支配下に入った)。
南部に関してもヨーロッパ人来航以前の歴史はほとんどわかっていない。15C末にヨーロッパ人が始めてこの地域に来たときの沿岸部の住人はクル語系の民族であったと考えられている。18C半ばに東のアシャンティ王国(現ガーナ)の後継者争いから逃れてやってきた一団のアカン系民族が、アウーラ=ポクという女性リーダーに率いられ現コートジボアール南部のブアケ周辺に住み着きバウレ人の 密林の谷にかかるツルで編んだ橋。コートジボアール西部マン。
祖先となった。アウーラ=ポクの後継者アクワ=ポニ女王の
もとでバウレ王国とも呼ぶべき王国を形成したが、ポニ女王の死後内紛が起き王国は分裂した。その後はバウレとしての統一を果たすことはなかったが19C末頃まではこのバウレ系諸王国がコートジボアール南部の大部分を支配していた。また同じアカン系民族のアグニ、アブロンなどもそれぞれの移住先で独自の小王国を形成した。
15C末に始めてこの地域に来航したヨーロッパ人はポルトガルであった。その後イギリス、フランスなどがやってきたがコートジボアール沿岸の交易を取り仕切ったのは主にフランスであった。主要な交易品は国名にもなっている象牙(Cote d'IvoireのIvoireは象牙の意味)であった。ギニア湾沿岸地方において船でやってくるヨーロッパ人と直接交易をすることが盛んになるにつれ、サヘル・サハラを通って北アフリカ・ヨーロッパに運ばれるギニア地方の産物が少なくなり、サハラ縦断交易の衰退、サヘルの広域国家の没落を招いた。
初めの頃は沿岸部に拠点を築いて交易をするだけで満足していたヨーロッパ勢力はやがて内陸部への領土的野心をむき出しにし始める。19C半ばから末のアフリカ分割の時代にフランスはコートジボアールの植民地化を進め、19C末には現コートジボアールのほぼ全土を植民地支配下に置き1893年にフランス領コートジボアールが成立、1904年には他の西アフリカのフランス領と共にフランス領西アフリカとなった(首府は現セネガルのダカール)。同じくフランスによる植民地化の波にさらされていた現ギニア・マリで一大帝国を築きフランス軍に激しく抵抗していたサモリ=トゥーレは90年代初頭にコートジボアール・ガーナ北部へと転進。同地域を本拠地(第二次サモリ帝国)としてフランスによる植民地化に頑強に抵抗したが、98年についに降伏し、流刑先のガボンで死亡した。
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第二次大戦後「アフリカの年」1960年に独立を達成。親仏・西欧路線をとり順調な経済発展を遂げ「イボアールの奇跡」、「黒い日本(この表現と関係があるかどうか知らないが、同国の代表的歌手アルファ=ブロンディの歌に「ブラックサムライ」という曲がある)」などと称され、首都アビジャンは高層ビルが立ち並ぶ西アフリカ屈指の大都会へと発展した(1983年からは内陸部のヤムスクロが法制上の首都となっているが実際の首都機能はアビジャンに残っている)。サハラ以南アフリカ屈指の経済発展と政治的安定によってアフリカの優等生と呼ばれていたコートジボワールだが、1999年にはクーデターが、2002年には内戦が勃発し、政府支配地の南部と反政府勢力支配下の北部とに国土が分断されてしまった。2007年に和平合意が成立したものの依然北部は反政府軍の勢力下にあり統合は進んでいない。
コートジボワールには主に南部・東部のアカン系民族(バウレ、アグニ、アブロンなど)、北部のマンデ系民族(マリンケ、デュラ、ダン、グロなど)、西部のクル語系民族(ゲレなど)、北部のグル語派/ボルタ語群系民族(セヌフォ、ロビなど)の4つの系統に分かれ全体では60〜80の民族が居住するとも言われている。また地域経済大国であるため近隣諸国からの出稼ぎ労働者やその家族も多数暮らしている。北部ではイスラムが、南部ではキリスト教が普及しているほか伝統宗教も広く信仰されている。
順調な経済発展を遂げてきたコートジボワール経済の主要産業は農業(コーヒー、ココアなど。ココアは世界一の生産量を誇る)、工業(ダイヤモンド、石油)などであり、外資の導
実質的な首都アビジャンは高層ビルが林立する西アフリカ屈指の大都会である 入により工業も発展し西アフリカで
最も工業化の進んだ国のひとつとなった。実質的な首都であり主要貿易港でもあるアビジャンは西アフリカ有数の大都市であり、なんとメーター付きのタクシーまで走っている。アフリカのいろんな国を旅してきたがメーター付きのタクシーを見たのは後にも先にもこの街だけで、初めてアビジャンでタクシーに乗った時は、ついいつもの癖で運転手と料金交渉を始めてしまい(アフリカでタクシーに乗るときはメーターが無いので乗る前に料金交渉するのが一般的)、「このタクシーにはメーターってもんが付いてる。お前の国にはメーター付きのタクシーが無いのか?」と運ちゃんにからかわれてしまった。
ビーチリゾート、国立自然公園、各地に残る豊かな伝統文化(さまざまな民族の仮面儀礼、祭礼など。3mを越す竹馬をつけて踊るダンのダンスは特に有名)などの観光資源があり、アビジャンは西アフリカのミュージックシーンの中心のひとつでもある。バスの中で隣の席のおばさんに押し付けられた子供にひざの上で小便を漏らされたり、マラリアでぶっ倒れて入院したりと、個人的にはあまりいい思い出の無い国ではあるが、基本的には親切でフレンドリーな人が多く、ボラれたり自称ガイドに付きまとわれたりといったいやな思いをしたことは無い。また、この国の国民食アチェケ(マニオクから作ったクスクス状の食べ物)は絶品で、米っ食いの日本人を自任する私も、コートジボアール滞在中はアチェケばかり食べていた。 |
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〜コートジボアールの工芸・文化〜
アフリカ美術界の東の横綱がコンゴなら(東というか中部だけど)、西の横綱はコートジボアールといってもまず差し支えないであろう。セヌフォ・バウレ・ダン・ロビ・グロ・ゲレ・デュラなど彫刻の名手として世界にその名を知られた民族が多数居住し、特にセヌフォとバウレの彫刻は世界的に高い評価を受けていて、無粋な話ではあるが100年ほど前に作られたセヌフォの彫像(男女一組)が2008年に400万米ドル(円ではなくドル!!)で落札されたことがある。
セヌフォのKpélyéやWabeleと呼ばれる仮面、二つの板を組み合わせて作るイス、カラオーをかたどった巨大な彫像、バウレのゴリの仮面、精緻な浮き彫りを施した木の扉、ダンのつくる「もてなしのスプーン」と呼ばれる柄にさまざまな彫刻を施したスプーンなどが特によく知られたコートジボアールの彫刻であるが、他にもさまざまな民族がさまざまな彫刻をつくっていて、その多様性とレベルの高さはまさに西アフリカの芸術王国と呼ぶにふさわしい。
セヌフォ、バウレは彫刻のほかにも多くの分野の工芸に秀でていて、西アフリカの芸術王国コートジボアールを代表する二大芸術民族といえる。
セヌフォは木彫のほかにも真鍮工芸、陶芸、皮革工芸、ひょうたん細工などでも知られているが、木彫の次に有名なセヌフォの工芸品といえばコロゴ布に代表される布工芸であろう。生成り木綿の細幅布に泥染めで絵画的な文様を染め付けたコロゴ布は西アフリカを代表する染め布としてつとに有名である。他にもコートジボアールではセヌフォ、バウレをはじめとするさまざまな民族による緯織り、経織りの縞模様布・文様を織り込んだ布や、南部のアカン系民族によるケンテクロスなどが作られている。
またバウレは古くから金工芸の名手としても知られていて現在もその伝統を受け継いだ金銀細工師が活躍している。バウレの金細工をはじめとしてアカン系の民族の間では金の計量用の分銅(真鍮やブロンズ製)の製作が発達し、さまざまな意匠を凝らした分銅はアフリカの細密工芸の代表といえる。
コートジボアール=象牙海岸の名の通りコートジボワールでは象牙が特産品であり、さまざま象牙工芸も盛んで、なかなかレベルも高いものがあるのだが、これを日本に持ち込もうとすると手が後ろに回ってしまうのでご注意を。
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〜西アフリカの芸術王国コートジボワールからやってきた
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コートジボアール特集は2010年3月末をもって終了しました。
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