アラブ系遊牧民によるラクダキャラバン(マリ共和国) |
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〜砂漠(沙漠)とは〜
*当HPでは通常「沙漠」の表記を採用しているが本稿では一般の慣例に従い「砂漠」と表記する。
砂漠とは、いくつかの定義があるが、一般に降水量が少いにもかかわらず水分の蒸発量が多く、乾燥しているため草木がほとんど生育せず砂礫や基盤岩石が露出している地域のことを指す。
アフリカにはいわずと知れた世界最大の砂漠「サハラ」の他にもカラハリ、ナミブ、ダナキルなどの砂漠地帯がある。 |
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〜アフリカの砂漠〜
・カラハリ砂漠 アフリカ南西部、ボツワナの中部、西部からナミビアの東部にかけて広がる砂漠・半砂漠地帯。面積は約50万ku。カラハリ砂漠は南部に行くほど乾燥が進み,サン民族の生活圏となっている。南部では大規模な砂丘地帯も見られるが、北部は次第に乾燥の度合いが弱まり、北のオカバンゴ大湿地帯・ザンベジ河水系などへとつながっていく。
サン人とはいわゆるブッシュマンと呼ばれていた民族でありコイ人と共にコイサン語族に属する言語を持つ。アフリカ最古の住民とも言われ、古くはアフリカ中部、東部、南部などに広く居住していたが、バントゥー系民族の拡大、ヨーロッパ人の進出などにより、次第にカラハリ砂漠などの僻地に追いやられていった。
南部アフリカ各地にはサンの祖先が描いたと考えられる岩壁画が多数のこされていて、その範囲はタンザニアから南ア共和国南端にまで及ぶ。制作年代については6000年前くらいから19Cまでと考えられている。現在でも一部のサンはカラハリ砂漠で狩猟採集生活をおくっているが、純粋な狩猟採集生活を送るものはだんだんと少なくなってきている。
・ナミブ砂漠 南部アフリカ西岸、アンゴラ南部からナミビア沿岸地方全域にかけて南北1600km、東西40〜130km、約14万kuを占める典型的な海岸性砂漠(寒流-この場合はベンゲラ海流と西風の影響でできる西岸砂漠)。ナミブ砂漠はカラハリ砂漠の一部だと考える地理学者もいる。
アフリカの南半球部分では最も乾燥した地域であり、乾燥地帯の苛酷な自然環境に適応した独特な生態系が発達し、多くの固有種が生息している(1000年以上生きるといわれているウェルウィッチアなど)。またナミブ砂漠は8000万年ほど前に形成されたと考えられ現存する世界最古の砂漠であり、砂丘もよく発達し世界最大といわれる砂丘もこのナミブ砂漠にある。
・ダナキル砂漠
エチオピア北東部からエリトリア南部にかけて広がる砂漠地帯。その地域の多くはアファール盆地と重なっている。この盆地はアフリカの角に位置する盆地でありエリトリア南部、エチオピア北東部(ダナキル砂漠)、ジブティ、ソマリア北西部にまたがり、アフリカ大陸最低標高地点もこの盆地内にある(−155m。アッサル湖:ジブティ)。地球上で最も暑い地域としても知られ、乾期の平均気温は実に48℃にも達する。アフリカ大地溝帯の一部であるため多くの火山が存在する。ダナキルの主な住民はラクダ遊牧民のアファール。砂漠の各地には塩湖が点在し湖塩の採掘が行われている。 |
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〜サハラ砂漠〜
サハラ砂漠はアフリカ大部北部を横断する形に横たわる世界最大の砂漠であり、総面積約1000万ku、アフリカ大陸の約1/3を占め、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダン共和国、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニア、西サハラの10(11)カ国にまたがる。「サフラーウ/荒れ果てた地」という意味のアラビア語からサハラと呼ばれる。
サハラというと見渡す限りの地平線に延々と連なる大砂丘群、という光景を連想する人も多いが、砂丘が発達するような砂砂漠は実際には全サハラの1〜2割の面積を占めるだけであり、残りの面積を岩石、砂礫に覆われた礫砂漠か、岩山の連なる山岳砂漠が占める。
現在でこそ世界最大の砂漠として知られるサハラであるが数万年単位の時間の流れの中では乾燥化、温暖湿潤化を繰り返してきた。1万1000年程前のサハラの湿潤化が始まった時期から乾燥化が始まった4000年前までの、サハラが緑に覆われていた時代をさして特に「緑のサハラ」の時代と呼ぶことがある。5000年〜7000年前に一時サハラが乾燥化した時期があったものの、この時代のサハラの南限はアルジェリア中部まで北上し、現在サハラに覆われている地域の大部分は草木の繁る水の豊かな土地であり、ゾウやキリン、サイなどの大型獣が多数生息していた。 |
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緑のサハラの時代は約4000年前に終わりを告げ、サハラは徐々に乾燥し始め、2000〜2500年程前には現在の乾ききった大砂漠が形成されていたと考えられている。サハラは紅海から大西洋までアフリカ大陸を北と南に分断する形で横たわる砂の大海原であり、サハラ以南のアフリカを世界の他地域と隔てていたと一般には考えられてきたが、実はサハラ縦断交易(トランスサハラ交易)を通じて地中海世界と活発な人的、物的交流があり、地中海世界を通してヨーロッパ世界とも結びついていた。
トランスサハラ交易の歴史を辿ることは資料文献の少なさから難しいが、ニジェール河河畔のガオなどで見つかった四頭立て馬車の岩壁画から3000年ほど前(サハラの岩面画における馬の時代)にはフェニキア人またはガラマンテス人がこの地域まで到達し、おそらく交易を行なっていたであろうことが推察される(古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの著書にもサハラ中部の山岳地帯の住民に関するものと考えられる記述が見られる)。
その後サハラの乾燥化に伴いサハラ交通の手段は馬から西アジア原産のラクダへと移っていった。7Cに始まるアラブの北アフリカ侵入の結果トランスサハラ交易の主役はアラブ人、トゥアレグなどのベルベル人(北アフリカの先住民)によるラクダキャラバンへと移り(マリ、ソンガイ帝国の時代には黒人系民族もサハラ越えのキャラバンに従事していた)、サハラの南、サヘル地方(歴史的スーダン)には交易の利益によりアフリカ史上最大規模を誇る国家がいくつも誕生し(現モーリタニア領を中心に栄えた古代ガーナ王国:7、8C〜1077/現マリ、ギニア領を中心に栄えたマリ帝国:13C?〜15C末/現マリ、ニジェール領を中心に栄えたソンガイ帝国:14C〜16C末/現チャド、ニジェール領を中心にさかえたカネム=ボルヌー帝国:9C〜19Cなど)、トンブクトゥ、ガオ(以上現マリ領)、アガデス(現ニジェール領)、クンビサレー(現モーリタニア領)、カノ(現ナイジェリア領)などの交易都市が栄えた。
サハラ縦断交易は西スーダンでは別名塩金交易とも呼ばれ、サハラの塩とサヘル以南で取れる金との交換が交易の柱であった。他にも北からは・繊維製品・装飾品・ガラス・馬などが、南からは象牙・銅・奴隷などがサハラを越えて運ばれた。時代により異なるが主なルートとしてトリポリ-フェザーン(以上現リビア領)-アガデスもしくはビルマ(現ニジェール領)を経由しボルヌー(現チャド領)、もしくはカノを結ぶ東ルート、現アルジェリア領からトンブクトゥ、ガオへ至る中央ルート、現モロッコ領(シジルマサなど)からアウダゴースト、ワラタ、シンゲッティ(現モーリタニア領)、さらに時代が下ってからはトンブクトゥ、ガオへと至る西ルートがあった。
サハラ縦断交易の生み出す莫大な利益はサハラの南に栄えた黒人王国の繁栄の源泉ともなったが、それは時にその利益を狙う外敵をひきつける甘い蜜ともなった。現モーリタニア南部に栄えたガーナ王国は現モロッコから南下してきたベルベル人のモラービド朝により滅び、ソンガイ帝国はサハラの塩鉱とサハラ縦断交易の利潤を狙いサハラを越え侵攻してきたモロッコのサード朝に滅ぼされた(1591年)。
15C頃から始まったヨーロッパ世界とギニア湾地方の船舶による交易によって、ヨーロッパ人はそれまでサハラ縦断交易を通してしか手にすることができなかったギニアの黄金、象牙、奴隷などを直接入手できるようになった。それは同時にサハラ縦断交易の必要性が薄れることを意味した。ギニアとヨーロッパの海上交易が盛んになるにつれ衰退し始めていたサハラ縦断交易はこのソンガイ帝国の滅亡により衰退が加速し、サハラの南に交易大帝国が栄えることは二度と無かった(カネム=ボルヌーは19Cまで命脈を保ったが)。
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〜サハラの住民・工芸・文化〜
7C以降のイスラムの拡大に伴い北アフリカに進出してきたアラブ人は現在では北アフリカのほぼ全域に居住し、サハラの住民の大部分もアラブ系のラクダ遊牧民である。またニジェール、マリ北部にはトゥアレグが、チャド北部、ニジェール東部にはトゥブが、マグレブ諸国にはアマジク(ベルベル)系住民がそれぞれ居住し、伝統的な遊牧生活(ラクダ)を送るものもまだ多く残っている。これらの諸民族はほぼ全てがイスラム教徒であり、サハラを縦断するほどの規模ではないものの、現在でもローカルなラクダキャラバンを組織し交易に従事している。
オリエント、地中海世界の高度な工芸技術を受け継いだアラブ系諸民族の工芸品、織物・じゅうたん・金属細工・陶器などはよく知られている。またマグレブ地方の先住民であるアマジク(ベルベル)系諸民族の工芸品もまた愛好者が多いが、全サハラで最もよく知られた工芸文化の持ち主は「サハラの青い民」呼ばれるラクダ遊牧民トゥアレグであろう。
サハラの支配者として畏れられてきた一方で、トゥアレグは高度な工芸技術の持ち主としても知られてきた。銀製品をはじめとする金属工芸、鮮やかなターコイズブルーが特徴の革製品(バッグ・財布・サンダルなど)、ラクダや羊の毛織物などがトゥアレグ工芸の代表である。特にトゥアレグのシルバーアクセサリー・ジュエリーはその洗練されたデザインと繊細な技巧で世界的に知られていて、エルメスがそのデザインを取り入れたこともあるという(トゥアレグは金製品を好まず、金を身に着けることは忌まれている。かわりに銀を珍重し銀製品の製作が発展したといわれている)。
トゥアレグのつくるアクセサリーの表面に刻まれている美しい文様は、それぞれ意味があり、事物、物語、寓意などを象徴している。特に母から娘へと代々受け継がれてきたアクセサリーには、家族の歴史などが文様として刻まれていることもある。またトゥアレグに限ったことではないが、装身具とは元来多かれ少なかれまじない的な要素を持つものであり、トゥアレグの装身具にも、魔除け、蛇除け、砂漠で道に迷わないためのお守り、など呪術的意味が込められているものも少なくない。
トゥアレグの工芸品の中でもっとも有名な、トゥアレグクロスと総称される銀のペンダントは父から子へと代々受け継がれ、出身地や氏族など自らの出自をあらわすために使われてきた。出身地や氏族によってさまざまなデザインのトゥアレグクロスがあり、「アガデスクロス」、「ザンデールクロス」等、土地の名前を冠して呼ばれている。
トゥアレグクロスには何十種類ものデザインがある中、大部分のクロスに共通しているのが、上部に開いた穴、上下左右の四方に突き出した部分を持つ十字状のデザインである。穴は井戸を、十字状のデザインはトゥアレグのラクダ鞍の前飾り、トゥアレグの戦士の持つ長剣の柄、または東西南北の四つの方角を象徴するといわれている。またクロスに刻まれた文様にもそれぞれ、井戸、砂漠の道、オアシス、(方位を知るための)星、ラクダの足跡といった意味が込められている。
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アフリカの砂漠特集は2015年5月末日をもって終了しました
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