アフリカ雑貨アザライは西アフリカを中心とした、アフリカの雑貨・ひょうたん・アクセサリー・民芸品・美術品専門店です | ||||||||||||||||||||||||
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<<アフリカ写真館トップに戻る マリ北部トンブクトゥからはるか北のかなたサハラの真ん中にある岩塩鉱タウデニを目指す。 トンブクトゥの北20kmほどのところにあるアラブ系遊牧民のキャンプ地。沙漠とはいえ このあたりはまだまだ水も緑も(サハラ基準で言えば)豊富で羊やらくだの牧草地となっている。 トンブクトゥ北方のアラブ系遊牧民のキャンプ地にて。この日はここにお泊り。野営の支度をしていたら キャンプ地の子供たちが遊びに来た。そういえばこのキャンプ地では女子供しか見なかったけど 男衆は放牧や塩のキャラバンにでも行っていたのかな? アラブ系遊牧民の子供たち。らくだに乗ってあらわれた外人に興味津々。 子供たちにとってもらった写真。そこそこうまく撮れてるじゃん。 トンブクトゥの北20kmほどのところにある遊牧民のキャンプ地の井戸。 水汲みは子供たちの大事な仕事。 マリ北部トンブクトゥから50kmほど北。ガイドのバシール(アラブ系)のキャンプ。3、4家族のテントが集まり 周辺の草葉に家畜を放している。びっくりしたのはなんと沙漠のど真ん中でネコを飼っていたこと(画面右下)。 こんなとこネズミもいそうにないし飼ってて何か役に立つのだろうか? ガイドのバシール(右端)とその家族。バシールは私の払ったガイド料でトンブクトゥで羊やラジカセを買い込んだ らしくこの日はラジカセのお披露目。彼らの生活は基本的には昔とそう変わっていないように見えるが、 暮らしの道具の多くは現代の工業製品だし、主食となる小麦なども外国からの 輸入品であったりする。昔ながらの生活をかたくなに続ける遊牧民の暮らしも、 好むと好まざるとにかかわらず世界経済の末端に組み込まれている。 バシールのテント。夕食の支度をするお母さんの横ではご近所の女衆が集まって髪を結いあっていた。 この晩のメニューは羊の炊き込みご飯の上にヨーグルトをかけまわしたもの。涙が出るほどうまかった。 翌朝飲ませてもらったよく冷えたラッシーみたいな飲み物もうまかったな〜 ガイドのバシールの息子と近所のあんちゃんたち。ここはトンブクトゥから50kmほど離れているが、 周りに明るい場所が全くないため夜にはトンブクトゥの方向の空がぼんやり明るくなっているのが見えた (トンブクトゥというのも夜に煌々と灯りがともっているという町ではないのにもかかわらず)。 (左から)バシールの娘さん、息子、奥さん。この子達が大きくなったときには 彼ら遊牧民の生活はどのようになっているのだろう? 伝統的な遊牧生活を続けていて欲しいと思うのは先進国の人間の勝手な感傷だろうか? サハラを進むガイドのバシール。家族の住むテントに別れを告げ北を目指す。 マリ北部、トンブクトゥの北200q位のところにある井戸。50mほどの深さがありラクダにロープを引かせて 水を汲み上げる。このときは俺とガイドのラクダ三頭と水を汲みに来ていた遊牧民のラクダ一頭に 羊数頭だけだったので水汲みも数回ですんだが、これがラクダ何十頭もの大キャラバンだと 全部のラクダに水を飲ませるだけでも一仕事だ。 汲み上げた水はまずラクダや羊などに飲ませる。家畜どもが心ゆくまで水を飲んだ後、 やっと人間様の番が回ってくる。写真中央で水を上げている兄ちゃんはたまたま井戸で一緒になった遊牧民。 このドラム缶に水をあけてその水を水筒や水袋に移す。サハラの地下数10mから汲み上げた水は ひどく濁ってなまぬるいうえ、いったんラクダどもが口をつけたドラム缶にあけるものだから なんとも生臭くい水だった。そんな水でも「命の水」、飲まなきゃミイラになるだけ。 それにしてもあんな水、生で飲んでよく腹壊さなかったな... サハラの夕暮れ。井戸のところであった兄ちゃんと暫く一緒に進む。トンブクトゥ−アルーアン間のこの地域は まだ木や草も結構生えていて遊牧民のキャンプ、放牧されている家畜の群れなどもわりと頻繁に見かけた。 ガイドのバシールは仲間を見つけるたびに挨拶や情報交換に行き、その間は俺がラクダをひいて先頭を 歩くことになる。俺にラクダを任せる前に「あっちの方向にまっすぐ」と指示していくのだけど、そこは狭い島国で 育った日本人。ちょっとした起伏を越えたり迂回したりしているうちにすっかり方向がわからなくなり、 戻ってきたバシールに毎回「何でこんなあさっての方向に進んでいるんだ?」と怒られていた。 ろくすっぽ目印の無いだだっぴろい空間でまっすぐ進むのがあんなに難しいなんて思いもしなかった。 潅木の木陰でご飯の支度。飯の味はともかくとしてたっぷり砂糖の入った茶が飲めるのはありがたかった。 こんなちんけな木陰だけど日向と比べると嘘のように涼しい。ひなたも暑いとはいっても せいぜい30数℃なんだけどとにかく日差しが強く砂の上で炙り焼きにされている気がした。 サハラを進む。それにしてもこんなところに生えている草や木はどうやって 水分をとっているのか不思議でしょうがない。 砂の海を進む。暑いことは暑いが、湿という字を使うのがおかしいくらい湿度が低いので 汗をかくそばから蒸発していき不快指数は意外とひくい(とはいえ暑いことに変わりはないが・・・)。 ラクダを休ませる。両前足を短いロープでつないであまり遠くまで歩いていけないようにしておくが 夜の間にえさ(草や木の葉)を探して数q先まで歩いていってしまうこともある。砂漠の朝は 夜の間に遠くまで行ってしまったラクダを探すことから始まる。 サハラの夜明け。砂漠の夜は結構冷え込みがきつい。冷え切った体に太陽の光が暖かく降り注ぐ。 太陽の光が「暖かい」といっていられるのは朝の1,2時間だけ。 すぐに「暖かい」から「暑い」もしくは「痛い」くらいに強烈な光線となる。 朝日の中にたたずむアルーアンの町並み。一番近い町までは250q。 アルーアンはまさにサハラという海に浮かぶ絶海の孤島だ。 アルーアンの町から砂の谷を挟んだところにある廃墟。 年々砂が押し寄せるため町の位置も少しずつ動いていく。 地平線まで続く砂丘群。ぬけるような蒼い空。ラクダをひく遊牧民。 数百年前から変わらない光景がここにはある。 かなたに見える砂丘群。一見近いように見えるが実は結構遠くにある。 アルーアンの北でタウデニに向かう100頭規模のキャラバンと合流。 往路のキャラバンはタウデニで塩を掘る鉱夫の食料などを積んでいく。 100頭ものラクダが沙漠を進む姿はまさに壮観。サハラ縦断交易華やかなりし頃を偲ばせる。 サハラを進むアザライ(ラクダキャラバン)。荷物をしょっているのは大人のラクダ。 初めて遠距離キャラバンに参加する若いラクダは往きは空荷、帰りも大人より軽い荷物を背負う。 若いだけにわがままなやつも多く、時々キャラバンから脱走しようとするやつもいた。 野営地にて。この先は草もろくすっぽ生えない土地が続くらしいので、この日は早めにとまって ラクダたちにたっぷりと餌を食わせる。 近くの草葉で刈り取った草でロープを編む。彼らの手にかかると枯れ草の山があっという間に ロープへと変わっていく。私も試してみたが固い草を強く縒り合わせなければならないため あっという間に手のひらがだめになってしまった。 朝焼けの中を進むアザライ。この日は朝の3時ごろから歩き始めた。新月に近く足元も見えない 暗闇の中を星を頼りにして進む。尾篭な話で恐縮だがウンコをしてる間にキャラバンにおいていかれ、 真っ暗な中で一人はぐれてしまったときはどうしようかと思った(北極星の位置と足跡を頼りに キャラバンを追いかけ何とか合流した)。 病気になってしまったためアルーアンの北30〜40q地点でリタイア。キャラバンと別れ引き返すことになった。 引き返すのも勇気のうち、とは言うけれどやっぱり悔しかったな〜 タウデニをこの眼で見てみたかった。 ↓拡大↓ 地表に散らばる膨大な数の貝の化石。サハラが海だった頃の名残である(2億年位前?) キャラバンと別れ、まだ日のあるうちから野営の準備。アルーアンの南はまだ木が生えていたので薪で 飯を炊いたがアルーアンから北はほとんど木がないため枯れ草で飯を炊く。からっからに乾いているので 意外と火力は強い。 ただいま炊事中。 人間様が飯を食っている間にラクダもお食事。両前足をロープで縛り行動を制限しているとはいえ、 えさを求めて結構遠くまで行ってしまう。 この夕方タウデニから塩をつんで帰ってきた小さなキャラバン(20頭規模)が野営地にやってきて、 アルーアンまで一緒に行こうということになった。タウデニまでいくことはできなかったけど、短い間とはいえ 塩を積んだアザライ(ラクダキャラバン)と同行できたのは、まあ不幸中の幸いだったのかな... マリ北部サハラの真ん中にある岩塩鉱タウデニから砂の海を越え岩塩を運ぶラクダキャラバン「アザライ」。 トンブクトゥ-タウデニ間750kmを40日ほどかけて往復する。 トンブクトゥの北250kmほどの位置にある村アルーアンの北30kmほどの地点にて。地面に置かれている 白い板状のものがタウデニで掘り出された岩塩板。1枚が大体100×60×5cm/35kgほど 砂の上に置かれた岩塩。夜はラクダから岩塩を下ろし、ラクダを休ませてやる。 私が同行したこのキャラバンは20頭ほどのラクダを2人で率いていた。大きなキャラバンになると 数百頭規模のものもある(あった)という話だ。 塩の板はこのようにお互いに立てかけるようにして砂の上に置かれる。このようにしておけば ラクダに積み込むときに効率的に作業が進められる。塩の板の上に乗っているのはラクダの背あて。 まずラクダの背に厚手の布をかけ、その上にこの背あてを載せ、その上に載せる塩の板と ラクダの皮膚がこすれないようにする。 ガイドのバシール。無数のひびの走るその足の裏は、サハラに生きることの厳しさを物語っている。 バシールにしろ他のキャラバニエにしろ、ビーサンを引っ掛けただけの足で(時には裸足で) サハラの砂の海を踏破する。 キャラバンの出発準備。普通は朝の3時とかに起きて出発するので出発準備は暗い中で おこなわれる。この日はアルーアンまで7,8時間の距離ということで例外的な遅発ち。 塩の板をラクダの背に積み込む。ラクダの背に布をかぶせ、背あて(クッション)を当て、塩の板を載せ、 腹帯で固定する。塩の板は一枚30〜40kg、一頭のラクダに大体4枚の板を積む。彼らは疲れる様子も 見せずに、この重労働をラクダの頭数分テキパキと進めていく。 塩の板を積み、出発を待つラクダたち。一頭座り込んでる横着者がいるが、 こういう怠け者もけつを蹴り上げられしぶしぶ立ち上がる。 出発!サハラを進むアザライ(ラクダキャラバン)。見渡す限りの砂の海が地平線まで続いている。 二列縦隊で進むアザライ(キャラバン)。リーダーが先頭を引っ張り、 見習いの少年は後ろからラクダたちの様子を見張っている。 サハラを進むアザライ(キャラバン)。それにしても彼らはなんでこの何の目印もない 沙漠で、迷いもせずに正しい道を見つけられるのだろう。多分彼らの目には沙漠も まためじるしでいっぱいなのだろうが... サハラを往く。 サハラを進むアザライ。砂の海の上にラクダの足跡だけが残されていく。 一頭当たり平均140kgもの塩の板をかついでサハラを進むラクダたち。 その姿はまさに「沙漠の船」の名に恥じない力強さに満ちている。 サハラを進む。見渡す限りに地平線が広がる中、生きて動いているのは 二十数頭のラクダ達と我々だけであった。 サハラの過酷な日差しの下を進む。突き抜けるような碧い空、燦々とふりそそぐ日光,、 地平線まで続く砂の海。非常に絵になる光景だが実際歩いてるほうはつらいんです。 サハラに生まれサハラに生きる彼ら遊牧民にとってはこの強烈な日差しも物の数ではないらしい。 暑くないのかと訊いたら「夏よりましだ。」との答えが返ってきた。 携帯コンロでお茶を沸かす。燃料はラクダの糞。ラクダの後ろを歩いていればいくらでも拾える。 重い荷物を運んでくれる、餌も水もろくすっぽとらずに沙漠を歩ききる、燃料を提供してくれる。 ラクダとは本当にありがたい動物だ。 歩きながらお茶を入れる少年キャラバニエ。アザライ(ラクダキャラバン)の行動中は お茶を沸かすのもお茶を入れるのも、ものを食べるのも全て歩きながらおこなう。 小便をしてる人間を止まって待ったりもしない。止まることがあるとすればラクダに何か 不都合があった時だけ。人間様の都合では絶対に止まらず一定のペースでその日の 目的地まで歩き続ける。 歩きながら茶を入れるキャラバンの見習い少年。写真を撮ってたらターバンを巻いて おめかししてポーズをとってくれた。たっぷりと砂糖を入れた茶はのどの渇きを潤すだけでなく 貴重な栄養源でもある。 黙々とサハラを進むアザライ。 ラクダに乗っているのがアザライのリーダー。歩いているのはガイドのバシール。 アザライのリーダー。彼の目にはこの不毛の土地はどのようにうつっているのだろうか? 荷が崩れたので立ち止まってラクダに積み直す。こういうことでも なければアザライ(キャラバン)が止まることはない。 塩の板をしっかりと縛りなおす。鉱物といっても岩塩の板は結構もろい。 時々割れてしまうものがあるが、皮ひもでうまいこと補修する。 サハラを進むアザライ。日本人の目には何の目印もないように見えるだだっ広い だけの空間で、正確な道を見つける彼らの能力にはただただ驚くほかない。 過酷な日差しの中を歩むアザライ(キャラバン)。遠くに砂丘が見えるが、このような砂丘沙漠は サハラの全面積の中でほんの2〜3割を占めるに過ぎない。サハラの大部分は山岳沙漠と 礫沙漠で占められている。 サハラを進む。所々に草が見えるが、この乾ききった土地のどこから水分を摂っているのだろう。 この道中であろうことかソフトボール大のスイカを見かけた。あの実の中の水分はどうやって ため込んだのか不思議でしょうがない。食べようとしたらガイドに止められた。 砂漠の舟といわれるタフなラクダたちにとっても140kgの荷を背負ってのこの道のりは楽なものではない。 ラクダの首筋についている大の字のようにも見える傷跡はラクダの所有者のマークである。 はるか前方にアルーアンが見える。アルーアンはトンブクトゥの北250qに位置するオアシス。 トンブクトゥからアルーアンの間は結構人が住んでいるがここを北に出ると無人の荒野が広がっている。 アルーアンの近くにて。放牧されているラクダの群れ。 アルーアン到着。ここからトンブクトゥまでは沙漠とはいえ、 草木も生え、人口密度も結構高い(サハラ基準でいえば)。 ラクダに積まれてる草の束はラクダたちの晩飯。 アルーアンの町。中央に給水等が見える。 この日は遅く出てまだ日のあるうちにその日の目的地(アルーアン)につくという楽な日だった。 荷物を降ろしてアルーアンの人々と夕べのティータイムと洒落込む。 サハラの夜明け。昼間は40度近くになるが夜や朝方はかなり冷え込む。すぐに耐え難いまでに 暑くなるのがわかっていながらも、この時ばかりは太陽の光が待ち遠しい。 アルーアンの家並み。日干し煉瓦で造った砂色の家が建ち並ぶ。人口は1000人くらいとのこと。 町には診療所(医者がいないときのほうが多いが)、学校があり、太陽発電の施設もある。 アルーアンの丘からの眺望。町のすぐ外には砂丘が連なり、茫漠たるサハラが広がっている。 まさに砂の海の中の離れ小島といった趣である。 <<サハラの岩塩を見る アルジェリア エジプト エチオピア ガーナ ギニア コートジボアール ザンビア ジンバブウェ スーダン セネガル チャド チュニジア トーゴ ナミビア ニジェール ブルキナファソ ベナン ボツワナ マリ サハラ・塩の道(マリ) 南アフリカ モーリタニア モロッコ <<アフリカ写真館トップに戻る |
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