アフリカ雑貨アザライは西アフリカを中心とした、アフリカの雑貨・ひょうたん・アクセサリー・民芸品・美術品専門店です | ||||||||||||||||||||||||
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<<アフリカ写真館トップに戻る ![]() ガーナ北部ボルガタンガにて。市場のはずれにあるバオバブの巨木。 バオバブは実、若葉は食用、樹皮は薬用にと、サヘルに生きる人々に様々な恵みをもたらしている。 ![]() ガーナ北部で最大規模のボルガタンガの市場。様々なものを売る人々と様々なものを求める人々でにぎわう。 ボルガタンガのあたりで作られるカラフルなもじり編みのうちわ・カゴはガーナの特産品として人気がある。 ![]() ボルガタンガ。居候先の家にて。 ![]() ボルガタンガ。居候先の家の子供たち。図々しく居候を決め込んだ日本人に興味津々。 ![]() ボルガタンガ。居候先の家にて。アフリカではいまだ大家族制が健在。 中庭を囲んでロの字状に部屋が並び一族郎党が暮らしている。 ![]() ボルガタンガ。居候先の家にて。元気いっぱいの子供たち。 どこでも子供たちはカメラを見たとたんにはしゃぎだす。 ![]() ガーナ北部ボルガタンガの居候先の家にて。子供も大人も「フォト!フォト!!」、 と口をそろえ、夜には一族郎党挙げての撮影大会となった。 ![]() ボルガタンガの居候先にて。ふかしたヤムイモを臼でつきガーナの国民食フフ(キャッサバ、 ヤムイモなどの根菜類のモチ)を作る女衆。誰が杵を持って写真に写るかをめぐり熾烈な 争いがあったが、勝ち残ったのは一番強そうなこの二人。 フフ作りは杵の形が違うけど日本の餅つきにそっくり。 ![]() ボルガタンガの居候先にて。カメラを持った居候を迎えての写真撮影大会。 一晩でフィルム一本をほとんど使い切ってしまった。 ![]() ガーナ中部アシャンティ王国の都クマシのケジェティア市場。市場の敷地面積は 西アフリカ最大規模なのにこの混み具合。線路脇にまで所狭しと店が軒を並べている。 ![]() クマシのケジェティア市場。西アフリカ最大の市場というだけあってとにかく広い。 一度迷い込むとなかなか出てこれない。中央右の女性が頭に載せているのは ガーナの国民食フフの原料のヤムイモ。 ![]() クマシ市ケジェティア市場。ねっころがってのんびりと客を待つスパイス屋さん。 スパイス屋の立ち並ぶ一角には香辛料の強烈な香りが立ち込め、 足を踏み入れるだけでくしゃみが出そうになる。 ![]() ガーナ中部アシャンティ王国の都クマシにて。宿の庭でテントを張っていたら子供たちが集まってきた。 ![]() クマシからガーナの沿岸部へ列車で向かう。南へ行くにつれ景色も熱帯らしくなっていく。 ![]() ガーナ南部の鉄道駅にて。なぜかホームの脇にパン焼き釜が並んでいる。 ![]() ガーナ南西部海岸地帯。コートジボアールとの国境のすぐ近くにあるBeyin村にて。 この建物は1768年にイギリスが交易権確保のために建てた要塞。 現在は村のゲストハウスになっている。 ![]() ガーナ南西部Beyin村の海岸。 ![]() Beyin村から少し内陸に入ったところにある湖へ。河口付近の湿地帯をとおり、 熱帯雨林の中の水路をさかのぼる。 ![]() Beyin村から少し内陸に入ったところにある湖へ。 湿地帯から熱帯雨林の中を走る細い水路をカヌーで辿る。 ![]() Beyin村から少し内陸に入ったところにある湖へ。熱帯雨林の中を 迷路のように走る細い水路を小舟でたどってゆく。 ![]() 熱帯雨林の中の水路を抜けると広い湖面に出る。 右奥に小さく見えるのが湖水面上に建てられた集落Nzurezo。 ![]() 集落に付きまずはお出迎えの一杯。ヤシ酒を蒸留し、さらに得体の知れない草や木の根を漬け込んだ 強烈な酒(薬用酒みたいなものらしい)。一口飲んでひっくり返りそうになった。 ![]() Nzurezoの子供たち。村についたとたん家の中から走り出てきて「フォト!フォト!!」 ![]() 湖水上に建てられた高床式の集落Nzurezo。湖畔から水面上に建物が作られている。 柱、通路、家の壁などほとんどのものがラフィアヤシの材木で作られている。 ![]() ガーナ南西部、湖上に浮かぶ集落Nzurezoにて。船が唯一の外部との交通手段であるため、 この村では小さな子供でも器用にカヌーを操る・ ![]() Nzurezo村にて。この村に行くにはBeyin村の観光局?で入村料を払いガイドとカヌーを斡旋してもらう。 ![]() この村の主要産業はもちろん漁業。数キロはなれたところに畑がありそこで農業も おこなっているそうだ。観光客の払う入村料も貴重な副収入となっている。 ![]() 村の通路、家などはすべてラフィアヤシの材木で作られている。雨季には この通路すれすれまで増水することもあるそうだ。 ![]() 村の通路は水面から1〜2m離して作られていて、家の床はそこからさらに30cmほど上げてある。 ![]() 村には小学校までしかないため、中学以上の子供は片道50分くらいカヌーをこぎBeyin村まで通う。 ![]() Nzurezo村を離れる。この湖の水は水中に沈んだ木の葉や枝の成分が溶け出して 紅茶かコーラのような色をしている。飲むと健康にいいといっていたが本当だろうか? ![]() NzurezoからBeyinへの帰り道。ガイドのお兄さんの本業は漁師。 道々仕掛けたわなに獲物がかかってないか調べていた。 ![]() ちょっと見づらいけど獲物が入っていました。カワスズメの仲間の魚が獲れた。 ![]() ガーナ沿岸部の町ケープコーストの郊外。防砂林がヤシ並木なのがアフリカらしい。 ![]() ケープコーストから10qくらい西にあるエルミナ要塞(写真中央にかすんで 見えているのがそう)。かつて奴隷貿易の拠点として使われていた。 ![]() エルミナ要塞城内の地下牢。「捕獲」してきた奴隷を「出荷」まで閉じ込めておいた。 エルミナはこの地域で最大規模の奴隷積出港の一つであった。 ![]() エルミナ要塞の地下牢内の神社。宮司さんが何かの儀式をおこなっている。「出荷」前の奴隷は ときにこの狭く通気の悪い地下牢に立錐の余地もないほど詰め込まれ、その環境の悪さから 地下牢内で死亡する奴隷も多かったという。 ![]() 地下牢から船着場へと出る扉。奴隷たちはこの先にある船着場から奴隷船へと積み込まれ アメリカ大陸などに「出荷」された。奴隷たちにとってこの扉をくぐることは二度と帰れない 航海への船出を意味していた。 ![]() エルミナ要塞の船着場。奴隷たちはここからはしけで奴隷船に積み込まれた。 現在では地元の漁師たちが利用するのどかな光景が見られる。 ![]() エルミナ要塞(正式にはセントジョージ要塞)。1652年にスウェーデンにより築かれ何度か持ち主(いずれも ヨーロッパの国)が変わった後イギリスの所有となり、1876年までイギリス西アフリカ植民地政府の首都と しての役を担っていた。現在では奴隷貿易に関する博物館となり、ユネスコ世界遺産に指定されている。 ![]() エルミナの町並み。現在は海辺ののどかな漁師町であり、ガーナ有数の観光地としても知られている。 ![]() ガーナの首都アクラの国立博物館。わかるとは思うけど馬に乗った人はマネキンで その前を歩いてる人は本物の人間。 ![]() ガーナの首都アクラの国立博物館。アシャンティ特有の床机各種。アシャンティの中の各氏族ごとに それを象徴する床机を持ち、アシャンティ全体の王は黄金の床机を持っている。 ![]() ガーナの首都アクラの国立博物館。ガーナの伝統的な楽器各種。 <<ガーナの商品を見る アルジェリア エジプト エチオピア ガーナ ギニア コートジボアール ザンビア ジンバブウェ スーダン セネガル チャド チュニジア トーゴ ナミビア ニジェール ブルキナファソ ベナン ボツワナ マリ サハラ・塩の道(マリ) 南アフリカ モーリタニア モロッコ <<アフリカ写真館トップに戻る |
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