地平線まで続く砂の海。アルーアン付近にて(マリ共和国) |
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*本項では主にサハラ中部・西部に関して記述する。
〜サハラの歴史〜
サハラ沙漠はアフリカ大部北部を横断する形に横たわる世界最大の沙漠であり、総面積約1000万ku、アフリカ大陸の約1/3を占め、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダン共和国、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニア、西サハラの10(11)カ国にまたがる。「サフラーウ/荒れ果てた地」という意味のアラビア語からサハラと呼ばれる。
サハラというと見渡す限りの地平線に延々と連なる大砂丘群、という光景を連想する人も多いが、砂丘が発達するような砂沙漠は実際には全サハラの1〜2割の面積を占めるだけであり、残りの面積を岩石、砂礫に覆われた礫沙漠か、岩山の連なる山岳沙漠が占める。
現在でこそ世界最大の沙漠として知られるサハラであるが数万年単位の時間の流れの中では乾燥化、温暖湿潤化を繰り返してきた。1万1000年程前のサハラの湿潤化が始まった時期から乾燥化が始まった4000年前までの、サハラが緑に覆われていた時代をさして特に「緑のサハラ」の時代と呼ぶことがある。5000年〜7000年前に一時サハラが乾燥化した時期があったものの、この時代のサハラの南限はアルジェリア中部まで北上し、現在サハラに覆われている地域の大部分は草木の繁る水の豊かな土地であり、ゾウやキリン、サイなどの大型獣が多数生息していた。
狩猟採集生活を送っていた初期人類にとって温暖湿潤な緑のサハラはまさに揺籃の地であり、サハラ各地の山岳地帯にはこの緑のサハラの時代以来サハラに住み着いた人類の残した岩壁画、岩刻画(サハラの岩面画)が数多く遺されている。主な遺跡はアルジェリアのタッシリ=ナジェール、リビアのフェザーン、チャドのティベスティ山地、エネディ山地、ニジェールのアイール山地,マリのイフォラ山地などであり、その壁画 アイール山地に残された岩面画(年代不詳)
から読み取れる情報はサハラにおける人類史を研究する上で
必要不可欠な資料となっている。
サハラ岩面画の時代区分およびそこから推察される各時期のサハラの住民
(下記のサハラ岩壁画の時代区分は木村重信氏の提唱した区分に由る) |
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サハラに人類が住みついた時期は不明であるが8000年以上前の中石器時代のものと思われる岩壁画(岩刻画)がサハラ各地の山岳地帯で見つかっている(古拙時代)。
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狩猟民の時代と呼ばれる8〜6000年前の新石器時代には動物や人間を描いた彩画、刻画が多くつくられた。この時代の人物像には瘢痕装飾、仮面らしきものをかぶった様子など現在もサハラ以南の黒人系民族にみられる固有の習俗が描かれていることから、絵の作者は黒人系の民族と考えられる。
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6〜4000、3000年前の時代は牛の時代と呼ばれ、牛、羊などの家畜の群れ、人々の生活や戦争の様子などが描かれている。 この時代の絵の作者は描かれた習俗によく似た習俗を持つサヘルの牛牧畜民フルベと考えられている。
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サハラに馬が導入されたのはおよそ3000年前であり、四頭立ての二輪馬車に乗って疾駆する人物像が数多く描かれた。この時代を馬の時代と呼び、作者はガラマンテス人(現在のベルベル人の祖先)と考えられている。
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サハラの乾燥化が進むにつれより乾燥に強いラクダ(ヒトコブラクダ)が西アジアから導入されたのが前200年頃であった。この時代ラクダを主題に下絵が多く描かれ、ラクダの時代と呼ばれている。絵とともに古代リビア文字(現在トゥアレグが使っているティフィナグ文字の原型)が描かれるようになった。
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11C以降のアラブ人とベルベル人がこの地域に共存するようになってからの絵はアラボ・ベルベル時代に区分される。
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緑のサハラの時代は約4000年前に終わりを告げ、サハラは徐々に乾燥し始め、2000〜2500年程前には現在の乾ききった大沙漠が形成されていたと考えられている。サハラは紅海から大西洋までアフリカ大陸を北と南に分断する形で横たわる砂の大海原であり、サハラ以南のアフリカを世界の他地域と隔てていたと一般には考えられてきたが、実はサハラ縦断交易(トランスサハラ交易)を通じて地中海世界と活発な人的、物的交流があり、地中海世界を通してヨーロッパ世界とも結びついていた。
トランスサハラ交易の歴史を辿ることは資料文献の少なさから難しいが、ニジェール河河畔のガオなどで見つかった四頭立て馬車の岩壁画から3000年ほど前(サハラの岩面画における馬の時代)にはフェニキア人またはガラマンテス人がこの地域まで到達し、おそらく交易を行なっていたであろうことが推察される(古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの著書にもサハラ中部の山岳地帯の住民に関するものと考えられる記述が見られる)。
その後サハラの乾燥化に伴いサハラ交通の手段は馬から西アジア原産のラクダへと移っていった。7Cに始まるアラブの北アフリカ侵入の結果トランスサハラ交易の主役はアラブ人、トゥアレグなどのベルベル人(北アフリカの先住民)によるラクダキャラバンへと移り(マリ、ソンガイ帝国の時代には黒人系民族もサハラ越えのキャラバンに従事していた)、サハラの南、サヘル地方(歴史的スーダン)には交易の利益によりアフリカ史上最大規模を誇る国家がいくつも誕生し(現モーリタニア領を中心に栄えた古代ガーナ王国:7、8C〜1077/現マリ、ギニア領を中心に栄えたマリ帝国:13C?〜15C末/現マリ、ニジェール領を中心に栄えたソンガイ帝国:14C〜16C末/現チャド、ニジェール領を中心にさかえたカネム=ボルヌー帝国:9C〜19Cなど)、トンブクトゥ、ガオ(以上現マリ領)、アガデス(現ニジェール領)、クンビサレー(現モーリタニア領)、カノ(現ナイジェリア領)などの交
トンブクトゥの街並み(マリ) 易都市が栄えた。
サハラ縦断交易は西スーダンでは別名塩金交易とも呼ばれ、サハラの塩とサヘル以南で取れる金との交換が交易の柱であった。他にも北からは・繊維製品・装飾品・ガラス・馬などが、南からは象牙・銅・奴隷などがサハラを越えて運ばれた。時代により異なるが主なルートとしてトリポリ-フェザーン(以上現リビア領)-アガデスもしくはビルマ(現ニジェール領)を経由しボルヌー(現チャド領)、もしくはカノを結ぶ東ルート、現アルジェリア領からトンブクトゥ、ガオへ至る中央ルート、現モロッコ領(シジルマサなど)からアウダゴースト、ワラタ、シンゲッティ(現モーリタニア領)、さらに時代が下ってからはトンブクトゥ、ガオへと至る西ルートがあった。
サハラ縦断交易の生み出す莫大な利益はサハラの南に栄えた黒人王国の繁栄の源泉ともなったが、それは時にその利益を狙う外敵をひきつける甘い蜜ともなった。現モーリタニア南部に栄えたガーナ王国は現モロッコから南下してきたベルベル人のモラービド朝により滅び、ソンガイ帝国はサハラの塩鉱とサハラ縦断交易の利潤を狙いサハラを越え侵攻してきたモロッコのサード朝に滅ぼされた(1591年)。
15C頃から始まったヨーロッパ世界とギニア湾地方の船舶による交易によって、ヨーロッパ人はそれまでサハラ縦断交易を通してしか手にすることができなかったギニアの黄金、象牙、奴隷などを直接入手できるようになった。それは同時にサハラ縦断交易の必要性が薄れることを意味した。ギニアとヨーロッパの海上交易が盛んになるにつれ衰退し始めていたサハラ縦断交易はこのソンガイ帝国の滅亡により衰退が加速し、サハラの南に交易大帝国が栄えることは二度と無かった(カネム=ボルヌーは19Cまで命脈を保ったが)。
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その後19C末〜20C初頭のアフリカ分割の時代にサハラも分割され、それぞれフランス(現モロッコ、アルジェリア、チュニジア、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニア)、イギリス(現エジプト、スーダン共和国)、スペイン(現モロッコの一部、西サハラ)、イタリア(現リビア)の支配下に入った(サハラの奥地−例:ティベスティ−などどこまで実効支配できたかは別問題として)。
第二次大戦後1950年代に入りまず北アフリカの国々が独立、もしくはヨーロッパの間接統治から脱却(アルジェリアは54年から続いた凄惨な対仏独立戦争を経て62年に独立を達成)し、続く1960年(アフリカの年)には、チャド、ニジェール、マリ、モーリタニアを達成した。1976年にはサハラ地域で最後まで残っていた植民地西サハラからスペインが撤退したが、西サハラの領有をめぐり、西サハラ共和国、モロッコ、モーリタニアの間で戦争が勃発。現在はモロッコが実効支配しているが最終的な解決にはいたっていない。
サハラの南側の諸国、モーリタニア、マリ、ニジェール、チャド、スーダンなどでは北のアラブ系またはベルベル系住民と南の黒人系住民の対立がくすぶっている国が多く、時に大規模な武力衝突・内戦を引き起こし大きな問題となっているが(トゥアレグの反乱:マリ・ニジェール、チャド内戦・ダルフール紛争:スーダン共和国、など)、これも植民地時代に行われた現地の実情を無視した国境の線引きが大きな原因となっていることは言うまでも無い。
大航海時代に始まる海上交通の発達、さらに近年の自動車の普及に伴い地中海からサヘルまでのサハラを縦断するほど大規模なラクダキャラバンはもはや見られなくなったが、小規模なラクダキャラバンはまだ各地で健在であり、特に砂漠の塩鉱タウデニとトンブクトゥを結ぶ塩のキャラバンは有名である。主役こそ詩的なラクダキャラバンから散文的なトラックに取って代わられたとはいえ、サハラ縦断交易そのものは今日も健在であリ、ラクダ乗りならぬトラック野郎がサハラを縦横無尽に走り回っている。
現在はラクダと自動車という交通手段の違いからルートも変わり(ラクダキャラバンは水の見つけやすい山岳沙漠を通る傾向が強く、自動車は走りやすい平地を選ぶ傾向がある)、モロッコ-西サハラ-モーリタニアを結ぶ西ルート、タマンラセット(アルジェリア)-トンブクトゥもしくはガオ(ともにマリ)を結ぶ中央西ルート、タマンラセット-アガデス(ニジェール)を結ぶ中央ルート、セブハー(リビア)-ビルマ-ア 現役の長距離ラクダキャラバン(マリ北部・塩の道)
ガデス(ともにニジェール)を結ぶ中央東ルート、エジプト-スーダン共和国を結ぶ東ルートが主に使われている。近年ではサハラ以南の国からヨーロッパへ非合法の出稼ぎに行くにはセネガル沿岸からの海上ルートが主に使われているが、10年位前までサハラ越えのルートがよく使われていた。02年春にニジェールからアルジェリアへ陸路トラックで向かったときには、ヨーロッパへの出稼ぎ組みが多数同乗していた(彼らはニジェールの国境からは不法出入国専用のトラックに乗り換えていた)。 |
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〜サハラの住民・工芸・文化〜
7C以降のイスラムの拡大に伴い北アフリカに進出してきたアラブ人は現在では北アフリカのほぼ全域に居住し、サハラの住民の大部分もアラブ系のラクダ遊牧民である。またニジェール、マリ北部にはトゥアレグが、チャド北部、ニジェール東部にはトゥブが、マグレブ諸国にはアマジク(ベルベル)系住民がそれぞれ居住し、伝統的な遊牧生活(ラクダ)を送るものもまだ多く残っている。これらの諸民族はほぼ全てがイスラム教徒であり、サハラを縦断するほどの規模ではないものの、現在でもローカルなラクダキャラバンを組織し交易に従事している。
オリエント、地中海世界の高度な工芸技術を受け継いだアラブ系諸民族の工芸品、織物・じゅうたん・金属細工・陶器などはよく知られている。またマグレブ地方の先住民であるアマジク(ベルベル)系諸民族の工芸品もまた愛好者が多いが、全サハラで最もよく知られた工芸文化の持ち主は「サハラの青い民」
今日も伝統的な生活を送るアラブ系遊牧民(マリ) と呼ばれるラクダ遊牧民トゥアレグであろう。
サハラの支配者として畏れられてきた一方で、トゥアレグは高度な工芸技術の持ち主としても知られてきた。銀製品をはじめとする金属工芸、鮮やかなターコイズブルーが特徴の革製品(バッグ・財布・サンダルなど)、ラクダや羊の毛織物などがトゥアレグ工芸の代表である。特にトゥアレグのシルバーアクセサリー・ジュエリーはその洗練されたデザインと繊細な技巧で世界的に知られていて、エルメスがそのデザインを取り入れたこともあるという(トゥアレグは金製品を好まず、金を身に着けることは忌まれている。かわりに銀を珍重し銀製品の製作が発展したといわれている)。
トゥアレグのつくるアクセサリーの表面に刻まれている美しい文様は、それぞれ意味があり、事物、物語、寓意などを象徴している。特に母から娘へと代々受け継がれてきたアクセサリーには、家族の歴史などが文様として刻まれていることもある。またトゥアレグに限ったことではないが、装身具とは元来多かれ少なかれまじない的な要素を持つものであり、トゥアレグの装身具にも、魔除け、蛇除け、砂漠で道に迷わないためのお守り、など呪術的意味が込められているものも少なくない。
トゥアレグの工芸品の中でもっとも有名な、トゥアレグクロスと総称される銀のペンダントは父から子へと代々受け継がれ、出身地や氏族など自らの出自をあらわすために使われてきた。出身地や氏族によってさまざまなデザインのトゥアレグクロスがあり、「アガデスクロス」、「ザンデールクロス」等、土地の名前を冠して呼ばれている。
トゥアレグクロスには何十種類ものデザインがある中、大部分のクロスに トゥアレグの銀細工師
共通しているのが、上部に開いた穴、上下左右の四方に突き出した部分を持つ十字状のデザインである。穴は井戸を、十字状のデザインはトゥアレグのラクダ鞍の前飾り、トゥアレグの戦士の持つ長剣の柄、または東西南北の四つの方角を象徴するといわれている。またクロスに刻まれた文様にもそれぞれ、井戸、沙漠の道、オアシス、(方位を知るための)星、ラクダの足跡といった意味が込められている。
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〜広大なサハラにラクダとともに生きる遊牧民。
彼らが育んできた沙漠の工芸品の世界へとご案内します〜
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サハラ特集は2009年11月末日をもって終了しました。
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