*ラクダに水をやるアラブ系遊牧民(サハラ/マリ) |
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トゥアレグ・フルベ・マサイ
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〜遊牧民とは〜
遊牧民とは移動型の牧畜を基本的な生業形態とする人々・民族である。牧畜は狩猟採集・農耕とともに人類の基本的生業形態のひとつであり、家畜とともに移動しながら牧畜を営む生活形態を遊牧と呼ぶ(季節ごとの定住地を持ちそのあいだを移動する牧畜様式は移牧と呼ぶ)。
アフリカの牧畜(遊牧・移牧・定住牧畜)には大きく分けてラクダ牧畜と牛牧畜がありラクダ(ヒトコブラクダ)はサハラ、アフリカの角などの乾燥地域で、牛牧はサハラ以南のサバナ地域で行われている。ラクダ牧畜民としてはサハラのトゥアレグ・ベルベル・アラブ・トゥブ、スーダン共和国東部のベジャ、アフリカの角のソマリ・アファール・ガブラ・レンディーレなどが挙げられる。牛牧畜民としてはサヘルのフルベ、南部アフリカのコイ・ズールー・コーサ・ヘレロ・ヒンバ、東アフリカのマサイ・ヌエル・ディンカ・サンブル・ボディ・トゥルカナ・ポコット・ドドス・ジェ・カラモジョン・ボラナなどが挙げられる。ここではラクダ牧畜民・牛牧畜民と書いたが、どちらもラクダとウシを柱にヒツジやヤギなどの小家畜も多数飼育し食肉となるのは通常こちらの小家畜のほうである。いずれも牧草を求めて移動生活(遊牧・移牧)を行うが現在は農耕牧畜として定住生活を送るものも多く、生粋の遊牧生活を送るものは年々少なくなってきている。
サハラ縦断交易の中心であったアラブ・ベルベル・トゥアレグなどや、ダナキル沙漠の塩のキャラバンに従事してきたアファールなどラクダ遊牧民は行動範囲が広域にまたがるため古代から交易民としても活躍してきた。 |
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〜サハラのラクダ遊牧民・トゥアレグ〜
アルジェリア・ニジェール・マリの砂漠地帯を中心に周辺諸国にも居住するベルベル系ラクダ遊牧民トゥアレグ。「サハラの青い貴族」として、または美しいアクセサリーの製作者として世界でも日本でも知られている「トゥアレグ/ Touareg」という呼び名はアラブ人による他称であり(神に見捨てられた者、の意味/異説あり)、トゥアレグ自身は自らをケル-タマシェク/Kel-Tamachek(民族全体の総称)またはケル-オウェイ/Kel-Owey、ケル-アハガール/Kel-Ahaggal(氏族名)などと呼ぶ。
タマシェクという言語を話し、ティフィナグという独自の文字を持つ。サハラ各地に残された壁画に見られる古代リビア文字がこのティフィナグ文字の基になったと考えられ、岩面画(ラクダの時代)の製作者と思われる人々(古代ギリシア人がガラマンテス人と呼んだ民族)がトゥアレグの祖先ではないかといわれている。この頃(前1000年頃〜)の壁画には馬が描かれていて、サハラがまだそれほど乾燥していなかったことを示している。サハラの乾燥化に伴い、西アジアからラクダが導入されはじめた。トゥアレグもこの過程でラクダ遊牧民になっていったと考えられている。
7世紀に始まるサハラへのアラブの進出以前はサハラの広大な範囲を支配していたトゥアレグは、アラブ侵入後も北アフリカ内陸部からサハラを越えて西アフリカにいたるサハラ縦断交易に重きをなし、自ら交易に従事したり、キャラバンの保護、保護を受け入れないキャラバンへの略奪、南方の黒人王国(マリ、ソンガイなど)への侵攻を繰り返し,サハラの支配者として周辺の民族から恐れられた。
伝統的なトゥアレグ社会は厳格な階層社会であり、トゥアレグの象徴ともいえる濃い藍色のターバン、長衣は貴族階級(イムシャール)のみが身に付けることができた。貴族の下に家臣階級があり、さらに従属的な階級として工人・職人階層があり、アクセサリー、武器の製造などはこの階級に属する人々の仕事であった。(おおむね階級が上がるほど肌が白く、下がるほど肌が黒くなる。)
1970〜80年代の大干ばつ、サハラ交通の変化(ラクダからトラックへ)などで伝統的な遊牧生活を続けるものは激減したが、アルジェリアのホガール山地、ニジェールのアイール山地、マリのイフォラ山地などを中心にはまだ多数のトゥアレグが遊牧、ラクダキャラバンによる交易などの伝統的生業に従事している。 |
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〜サヘルの牛牧畜民・フルベ〜
フルベとは東はスーダン西部から西はセネガルまで、北はニジェール北部から南はギニア、カメルーンまで、サヘルの広大な地域に居住する牛牧畜民。自称はフルベ。周辺の他民族からフラニ、プール、フラなど様々な呼ばれ方をされている。
6〜4千年前、サハラがまだ緑に覆われていた時代にサハラ各地で牛牧をおこない多数の岩壁画を残した人々がいた(牛の時代の壁画)。その壁画に描かれた生活、風俗と現在のフルベ人のそれとの間に共通点が多く見て取れることから、それらの壁画を描いた人々がフルベの遠い祖先ではないかといわれている。フルベ人の起源については長年の間様々な説が唱えられてきたが現在最も有力と思われる説は、フルベ発祥の地はセネガル河流域であるというものである。セネガル河流域にいたフルベ人たちが15,16C頃からサヘルを東に移動し始め、各地で定着、移動を繰り返し、フルベの居住地域はついにはサヘルを横断しスーダン共和国のナイル河周辺にまで及ぶようになった。
現在フルベが一定数居住する国は、モーリタニア、セネガル、ガンビア、ギニア共和国、ギニアビサウ、シエラレオネ、コートジボアール、マリ、ブルキナファソ、ガーナ、トーゴ、ベナン、ニジェール、ナイジェリア、カメルーン、チャド、中央アフリカ共和国、スーダン共和国など20ヶ国近くに及び、おそらくアフリカでもっとも広範囲にわたって居住する民族であるといえる。
フルベの伝統的な生業は牛を中心とした牧畜だが半定住の半農半牧、定住し農耕、商業に従事する者、都市生活者も多く、現在では純粋な遊牧・移牧生活を送るものは、ボロロ/ウォダーベくらいとなっている。ボロロとはニジェール、カメルーンなどで現在も伝統的な牧畜生活を続けるフルベのサブグループであり特徴的な髪型、美男子コンテストなどの祭りで知られている。上記の国では市場などで乳製品(チーズ、バターなど)を売るフルベの女性の姿がよく見られる。
考古学的研究からはフルベの故地はセネガル河流域と考えられているが、フルベ自身の伝承によれば遠い祖先が東からやって来たといわれていて(西アフリカにはほかにも東方または北方起源伝承を持つ民族がいくつかあるーヨルバ、アシャンティなど)、その祖先は白い肌をしていたという。実際、典型的なフルベ人は長身痩躯、赤銅色の肌に波状の毛髪、長く通った鼻筋といった、周辺の黒人系住民とは異なる特徴を持っている。このことからフルベ人は地中海人種と黒人系住民が長い間の交婚を繰り返して生まれた民族ではないかとも言われている。その結果かどうかはわからないが、フルベの女性の美しさは自他共に認めるところで、周辺の民族の中にはフルベ女性の美しさを謳った歌を持っている民族もいる。
フルベの女性はまた顔の刺青を入れることでもしられていて、地域によって刺青を入れる箇所、文様などは様々である(口の周りを黒く塗りつぶす:セネガル・マリなど。口の周り、頬、眉間などに幾何文様を彫る:ニジェールなど)。
西スーダンでは比較的早い時期に民族単位でイスラム化したフルベ人たちは18C後半から19C後半にかけて、当時西アフリカで一般的であった土着の信仰との習合的イスラム信仰を批判し、西スーダン各地で相次いでジハードをおこした。フルベのジハードの結果として各地でイスラム神権国家が樹立され、西アフリカのイスラムかに拍車がかかった。 主なフルベ・イスラム国家としてウスマン=ダン=フォディオのソコト帝国、マシーナ王国、エル・ハジ=ウマルのトゥクロール帝国などが挙げられる。
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〜アフリカの駱駝遊牧民の工芸〜
全サハラで最もよく知られた工芸文化の持ち主は「サハラの青い民」と呼ばれるラクダ遊牧民トゥアレグであろう。サハラの戦士として畏れられてきた一方で、トゥアレグは高度な工芸技術の持ち主としても知られてきた。銀製品をはじめとする金属工芸、鮮やかなターコイズブルーが特徴の革製品(バッグ・財布・サンダルなど)、ラクダや羊の毛織物などがトゥアレグ工芸の代表である。特にトゥアレグのシルバーアクセサリー・ジュエリーはその洗練されたデザインと繊細な技巧で世界的に知られていて、エルメスがそのデザインを取り入れたこともあるという(トゥアレグは金製品を好まず、金を身に着けることは忌まれている。かわりに銀を珍重し銀製品の製作が発展したといわれている)。
トゥアレグのつくるアクセサリーの表面に刻まれている美しい文様は、それぞれ意味があり、事物、物語、寓意などを象徴している。特に母から娘へと代々受け継がれてきたアクセサリーには、家族の歴史などが文様として刻まれていることもある。またトゥアレグに限ったことではないが、装身具とは元来多かれ少なかれまじない的な要素を持つものであり、トゥアレグの装身具にも、魔除け、蛇除け、砂漠で道に迷わないためのお守り、など呪術的意味が込められているものも少なくない。
トゥアレグの工芸品の中でもっとも有名な、トゥアレグクロスと総称される銀のペンダントは父から子へと代々受け継がれ、出身地や氏族など自らの出自をあらわすために使われてきた。出身地や氏族によってさまざまなデザインのトゥアレグクロスがあり、「アガデスクロス」、「ザンデールクロス」等、土地の名前を冠して呼ばれている。
トゥアレグクロスには何十種類ものデザインがある中、大部分のクロスに共通しているのが、上部に開いた穴、上下左右の四方に突き出した部分を持つ十字状のデザインである。穴は井戸を、十字状のデザインはトゥアレグのラクダ鞍の前飾り、トゥアレグの戦士の持つ長剣の柄、または東西南北の四つの方角を象徴するといわれている。またクロスに刻まれた文様にもそれぞれ、井戸、沙漠の道、オアシス、(方位を知るための)星、ラクダの足跡といった意味が込められている。 |
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〜アフリカの牛牧畜民の工芸〜
アフリカに暮らす数多くの牛牧畜民の中からこの項では西アフリカに暮らすフルベの工芸を取り上げてみたい。フルベの工芸品でもっとも有名なものはおそらくフルベ女性が身に着けている巨大な金のイヤーリングだろう。薄く板状に伸ばした金を加工して作った輪状の巨大なイヤーリングの写真を見たことのある人も多いかもしれないが、金を「腐った金属」として忌避するトゥアレグとは対照的にフルベの女性は金の装身具を好み、ねじり棒状のフープピアス、鼻ピアスなども好んで身に着ける。ビーズアクセサリー、ビーズを飾りつけた革製品などのも好まれている。
さらに工芸品の作り手としてフルベの名を高からしめているのは彼らのつくる毛織物であろう。西アフリカでは普通あまり毛織物はつくられないが牧畜民であるフルベはヒツジの毛を使い複雑かつ美しい文様を織り込んだ毛布を織ることで知られている。特にニジェール河大湾曲地帯(ニジェール河が北に大きく張り出して流れている地域)でつくられるフルベの毛布はKaasaと呼ばれ近隣地域だけでなく、遠くガーナのアシャンティまでが好んで買い求めるものである(アシャンティ自身もケンテ布というすばらしい布の織り手であり、このことからもフルベの毛布の素晴らしさがうかがえる)。現在では木綿や化学染料の普及に伴い、毛織物で培った技術を生かした綿織物も盛んに作られている。鮮やかな色に染められ縞模様や市松模様に織り上げられた布はフルベ社会の中のみならず近隣諸民族からも好まれている。
アフリカのほかの民族と同様フルベの暮らしの中でもひょうたんが重要な役割を果たしているが、牧畜民であるフルベにとって軽くて持ち運びやすいひょうたんの重要性は農耕民にとってのそれよりも高いかもしれない。複雑な幾何文様を刻み込んだフルベのひょうたん容器、長年にわたる使用の間に牛やヤギのミルクが染み込んで飴色の艶やかな光沢を帯びたひょうたん容器は、アフリカのひょうたん容器の中で最も美しいもののひとつといっても過言ではないだろう。
東アフリカのマサイの工芸としてはビーズ細工があげられる。シードビーズ(小粒のビーズ)を連ねて作ったアクセサリーがよく知られてるほか、ひょうたんなどの日用品にシードビーズで装飾を施したものも作られている。 |
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アフリカの遊牧民特集は2012年11月末日をもって終了しました。
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