布を織る少年。最大都市コトヌーにて |
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*本稿は2009年4月の「ベナン特集」コラムに、加筆訂正・写真の入れ替え等したものです。 |
ギニア湾に面した西アフリカの国ベナン(英語読みではベニン:15C〜18末に現ナイジェリアに栄えたベニン王国とは別の国)は東西約120q、南北700kmと縦長の国土を持ち、そのために南北での気候、植生も大きく違ってくる。マングローブ林の茂る、熱帯性気候の沿岸部から内陸に進むにつれ乾燥が進み、ニジェール、ブルキナファソと国境を接する北部地域はサヘルとなる。東西の国境はそれぞれナイジェリア、トーゴと接し、北西部はブルキナファソと、北部ではニジェール河をはさんでニジェールと国境を接している。
他の大部分のアフリカ諸国と同様この地域の古い歴史はほとんど解明されていない。いくつかの史料からベナン南部の多くの地域が東方のヨルバ国家の緩やかな支配(朝貢国、属国となっていた)を受けていたことがわかっている。15Cにヨーロッパ人が来航した時にはこの地域の沿岸部には多数の小都市国家が割拠していたらしい。
17C頃からのアメリカ大陸でのアフリカ人奴隷需要の高まりにつれ、同沿岸部は奴隷の一大供給地として発展していった。ヨーロッパ人たちはギニア湾の各地域にそれぞれの特産品の名前を取って胡椒海岸(現リベリア)、象牙海岸(現コートジボアール)、黄金海岸(現ガーナ)などと名づけたが、現在のベナン沿岸部に与えられた名前は奴隷海岸であった。その名の通り奴隷貿易で繁栄したベナン沿岸部には、ポポ、ウィダ、ジャキン、ポルトノボなどの都市国家が繁栄し、それぞれ交易で得た銃器などを武器に内陸部での奴隷狩りを繰り返した。
*写真:ベナン南部ウィダの海岸のヤシ並木 |
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内陸部に居住し、奴隷狩りの被害を受けることが多かったフォン人は、沿岸部諸国に抵抗するためにアボメーを首都とするダホメー王国を建国(もしくはもともとあった小王国を強化)した。国民皆兵制の軍事国家となったダホメー王国は18C初頭からアガジャ王のもとに急激に勢力を伸ばし、沿岸部の諸国家を征服するに至った。奴隷狩りへの自衛のために戦ったこの王国は、沿岸部の諸国家の抵抗を封じ、東方の大国オヨの圧迫を退けるためにさらなる軍事力を必要とした。ヨーロッパ人から銃と弾薬を買うために、ダホメーが自らの手を奴隷狩りに染めたのは歴史の皮肉といえるかもしれない。
18C初めに即位したゲゾ王の代にはオヨ王国の圧迫をはねのけ最盛期を迎えたダホメー王国であったが、19C半ばから同地域の植民地化を試みたフランス軍の侵攻により1894年首都アボメーが陥落、滅亡し、1900年にはポルトノボを首都とするフランス領ダホメーの一部となった、19末には現ベナン領のほぼ全土がフランス支配下に入り、1904年からはダカール(現セネガルの首都)を首都とするフランス領西アフリカの一部に組み込まれた。なおダホメー王国(王家)は儀礼的存在として現在まで存続している。
*写真:ヤムの餅(フフと似たようなもの)とベナンビール |
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1960年=アフリカの年、ダホメー共和国として独立を果たしたが、民族対立、クーデターなどが相次ぎ、1975年に国名をベナン人民共和国に、90年には現在のベナン共和国に改称し現在に至っている(国内の特定の民族に由来する国名だと対立が起こるため、隣国ナイジェリアに栄えたベニン王国から名前を取った)。
主な住民は南部のフォン、ヨルバ、ミナ、中部の主な住民であるバリバは19Cに独自の王国を形成していた。北部にはデンディ、ベタマリベなどが住む。ベナンはパーム油や落花生などが主な輸出品の農業国であり、住民の多くは農業に従事している。北部には牛牧民のフルベが住み、乾季になると牧草を求め中部地域まで南下してくる。
北部ではイスラムが、南部ではキリスト教が広く信仰されているが南部、中部のフォン人、ヨルバ人を中心にヴードゥー教(ヴォードゥン信仰)もひろく信仰されていて、名目上はムスリムだったりクリスチャンだったりするけどヴードゥーの儀式にも参加するという人は結構多い。冬季には各地でヴードゥーの祭礼がおこなわれ、毎年1月10日にヴードゥーの中心地ウィダでおこなわれる最大の祭礼の日は国民の休日となっている。
アボメー市のダホメー王国の王宮(現在博物館になっている。世界遺産)、ウィダーを中心としたヴードゥー文化、ガンビエの水上集落など豊かな伝統に裏打ちされた多様な文化遺産、北部のW国立自然公園(ベナン、ニジェール、ブルキナファソにまたがる)、ペンジャリ国立自然公園(ベナン、ブルキナ)など豊富な観光資源を持ち毎年多くの観光客が訪れる。イスラム、キリスト教以前の伝統宗教、伝統文化が色濃く残り、「アフリカらしさ」を強く感じさせてくれる国である。
私も実際にヴードゥーのやしろや儀式、王様の家でおこなわれた儀式などを見る機会があり(どのレベルの王様かはわからないがたぶん地域の小さな首長だと思う。何の儀式かは不明。儀式の最後に王様から臣民?にジュースが下賜され、なぜか他所者の俺までおこぼれにあずかった)、脈々と受け継がれてきたアフリカの伝統を体感することができた。
蛇足ではあるが、ベナンに住むフルベが作るチーズにモッツァレラに似ている物(ワランガシ)があるのだが、それを揚げてソースで煮込んだやつをかけたぶっかけ飯は、私がアフリカの屋台で食った飯の中でも一二を争う旨さだった。
*写真:ベナン南部ウィダのヴォードゥン信仰のやしろ。中には蛇がうじゃうじゃ
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〜ベナンの文化・工芸〜
ベナンの美術・工芸で最も知られているものはやはり宮廷美術の発達したダホメー王国関連のものであろう。ダホメー王国の代々の王はそれぞれ固有の紋章を持ち、その紋章を施した様々な工芸品:彫刻、アップリケ、織り布、ひょうたん細工の数々が作られた。王宮の外壁には、王の紋章や様々な故事を表す彩色された漆喰の浅浮き彫り(日本の鏝絵-こてえ-みたいなもの)が施され、それらは現在も王宮跡や民家の外壁に見ることができる。
更にベナンのものというよりはお隣のナイジェリア美術の文脈で語られることが多いが、アフリカでも有数の芸術民族と評されるヨルバ美術も忘れてはならない。特にベナン内陸のナイジェリアとの国境に程近い町ケトゥはヨルバの古都として知られ、ゲレデ(ヨルバの頭上面)をはじめとするヨルバ彫刻の本場として名高い。
ベナン独自の工芸品としてもとっも有名なものに極彩色のアップリケがあるが、これももともとはダホメー王国の軍旗であったり、王国の歴史、故事を描く垂れ幕から発展したものであった。古い作品にはモチーフの一つ一つ意味が込められていてフォンの象徴論に従って見れば一枚のアップリケ布に一遍の物語を読み取ることも可能である。現在は花鳥風月などの華やかな絵柄のものが多く作られ、ベナンの特産品として広く知られている。
また、ヴォードゥン信仰(ヴードゥー教として知られている)関連の芸術品、工芸品も多くみられる。
*写真:ダホメー王国の都コトヌー。極彩色のベナンアップリケが並ぶ |
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ベナン特集Uは2021年4月末日をもって終了しました |
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