ヴードゥーの社。ベナン南西部ウィダ市 |
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〜ベナンの歴史・民族・社会〜
ギニア湾に面した西アフリカの国ベナン(英語読みではベニン:15C〜18末に現ナイジェリアに栄えたベニン王国とは別の国)は東西約120q、南北700kmと縦長の国土を持ち、そのために南北での気候、植生も大きく違ってくる。マングローブ林の茂る、熱帯性気候の沿岸部から内陸に進むにつれ乾燥が進み、ニジェール、ブルキナファソと国境を接する北部地域はサヘルとなる。東西の国境はそれぞれナイジェリア、トーゴと接し、北西部はブルキナファソと、北部ではニジェール河をはさんでニジェールと国境を接している。
他の大部分のアフリカ諸国と同様この地域の古い歴史はほとんど解明されていない。いくつかの史料からベナン南部の多くの地域が東方のヨルバ国家の緩やかな支配(朝貢国、属国となっていた)を受けていたことがわかっている。15Cにヨーロッパ人が来航した時にはこの地域の沿岸部には多数の小都市国家が割拠していたらしい。
17C頃からのアメリカ大陸でのアフリカ人奴隷の需要が高まりにつれ、同沿岸部は奴隷の一大供給地として発展していった。ヨーロッパ人たちはギニア湾の各地域にそれぞれの特産品の名前を取って胡椒海岸(現リベリア)、象牙海岸(現コートジボアール)、黄金海岸(現ガーナ)などと名づけたが、現在のベナン沿岸部に与えられた名前は奴隷海岸であった。その名の通り奴隷貿易で繁栄したベナン沿岸部には、ポポ、ウィダ、ジャキン、ポルトノボなどの都市国家が繁栄し、それぞれ交易で得た銃器などを武 ベナン南西部ウィダ市の入り江
器に内陸部での奴隷狩りを繰り返した。
内陸部に居住し、奴隷狩りの被害を受けることが多かったフォン人は、沿岸部諸国に抵抗するためにアボメーを首都とするダホメー王国を建国(もしくはもともとあった小王国を強化)した。国民皆兵制の軍事国家となったダホメー王国は18C初頭からアガジャ王のもとに急激に勢力を伸ばし、沿岸部の諸国家を征服するに至った。奴隷狩りへの自衛のために戦ったこの王国は、沿岸部の諸国家の抵抗を封じ、東方の大国オヨの圧迫を退けるためにさらなる軍事力を必要とした。ヨーロッパ人から銃と弾薬を買うために、ダホメーが自らの手を奴隷狩りに染めたのは歴史の皮肉といえるかもしれない。
18C初めに即位したゲゾ王の代にはオヨ王国の圧迫をはねのけ最盛期を迎えたダホメー王国であったが、19C半ばから同地域の植民地化を試みたフランス軍の侵攻により1894年首都アボメーが陥落、滅亡し、1900年にはポルトノボを首都とするフランス領ダホメーの一部となった、19末には現ベナン領のほぼ全土がフランス支配下に入り、1904年からはダカール(現セネガルの首都)を首都とするフランス
ベナンの首都ポルトノボ 領西アフリカの一部に組み込まれた。
様々なモチーフが浮き彫りにされている
歴史博物館(もと王宮)の扉
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1960年、ダホメー共和国として独立を果たしたが、民族対立、クーデターなどが相次ぎ、1975年に国名をベナン人民共和国に、90年には現在のベナン共和国に改称し現在に至っている(国内の特定の民族に由来する国名だと対立が起こるため、隣国ナイジェリアに栄えたベニン王国から名前を取った)。
主な住民は南部のフォン、ヨルバ、ミナ、中部の主な住民であるバリバは19Cに独自の王国を形成していた。北部にはデンディ、ベタマリベなどが住む。ベナンはパーム油や落花生などが主な輸出品の農業国であり、住民の多くは農業に従事している。北部には牛牧民のフルベが住み、乾季になると牧草を求め中部地域まで南下してくる。
北部ではイスラムが、南部ではキリスト教が広く信仰されているが南部、中部のフォン人、ヨルバ人を中心にヴードゥー教もひろく信仰されていて、名目上はムスリムだったりクリスチャンだったりするけどヴードゥーの儀式にも参加するという人は結構多い。冬季には各地でヴードゥーの祭礼がおこなわれ、毎年1月10日にヴードゥーの中心地ウィダでおこなわれる最大の祭礼の日は国民の休日となっている。
アボメー市のダホメー王国の王宮(現在博物館になっている。世界遺産)、ウィダーを中心としたヴードゥー文化、ガンビエの水上集落など豊かな伝統に裏打ちされた多様な文化遺産、北部のW国立自然公園(ベナン、ニジェール、ブルキナファソにまたがる)、ペンジャリ国立自然公園(ベナン、ブル ヴードゥーの祭礼。ダホメー王国の故地アボメー市にて
キナ)など豊富な観光資源を持ち毎年多くの観光客が訪れる。イスラム、キリスト教以前の伝統宗教、伝統文化が色濃く残り、「アフリカらしさ」を強く感じさせてくれる国である。
私も実際にヴードゥーのやしろや儀式、王様の家でおこなわれた儀式などを見る機会があり(どのレベルの王様かはわからないがたぶん地域の小さな首長だと思う。何の儀式かは不明。儀式の最後に王様から臣民?にジュースが下賜され、なぜか他所者の俺までおこぼれにあずかった)、脈々と受け継がれてきたアフリカの伝統を体感することができた。
蛇足ではあるが、ベナンに住むフルベが作るチーズにモッツァレラに似ている物があるのだが、それを揚げてソースで煮込んだやつをかけたぶっかけ飯は、私がアフリカの屋台で食った飯の中でも一二を争う旨さだった。
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〜ベナンの文化・工芸〜
ベナンの美術・工芸で最も知られているものはやはり宮廷美術の発達したダホメー王国関連かヴードゥー教関連のものであろう。ダホメー王国の代々の王はそれぞれ固有の紋章を持ち、その紋章を施した様々な工芸品:彫刻、アップリケ、織り布、ひょうたん細工の数々が作られた。王宮の外壁には、王の紋章や様々な故事を表す彩色された漆喰の浅浮き彫り(日本の鏝絵-こてえ-みたいなもの)が施され、それらは現在も王宮跡や民家の外壁に見ることができる。
ベナンの工芸品としてもとっも有名なものに極彩色のアップリケがあるが、これももともとはダホメー王国の軍旗であったり、王国の歴史、故事を描く垂れ幕から発展したものであった。古い作品にはモチーフの一つ一つ意味が込められていてフォンの象徴論に従って見れば一枚のアップリケ布に一遍の物語を読み取ることも可能である。現在は花鳥風月などの華やかな絵柄のものが多く作られ、ベナンの特産品として広く知られている。
ベナンではヨルバ、フォンなどが木彫文化の担い手として知られているが、彼らの作品は日本に紹介されることの多いスーダンタイプ(直線的、抽象的、堅牢)の木彫文化とも、コンゴタイプ(写実的、曲線的、ハート型の顔)のそれとも一線を画し、アーモンド型の目、
ベナンの名産品極彩色のアップリケを作るおじさん 比較的写実的な、曲線を多用した描写、白木のまま、または多色で彩色するなどギニア湾沿岸諸民族の多くに共通する、いわばギニアタイプともいうべき特徴を持つ。フォンやヨルバの彫刻はヴードゥー関連の物が多く、ヴードゥーの神像、儀式の際の祭具などが多くつくられている。中でもシードビーズで彩色したヨルバの彫刻(頭上面など)はよく知られている。
ベナンの工芸品を語る上で忘れてはいけないのがひょうたん細工である。アフリカではひょうたんの表面に様々な装飾を施すことが広くおこなわれているが、フォン、バリバなどの民族が作るひょうたん容器には、様々な寓意的なモチーフが繊細な線で彫り込まれ、アフリカで最も美しいひょうたん工芸の一つに数えられている(スーダンのひょうたんは幾何文様が多いがこちらは動植物などのモチーフが中心:個人的にはアフリカで一番だと思っている)。またひょうたん細工の伝統をいかしたモダンなひょうたん工芸も盛んである。
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〜南北に伸びた小さな国土に多様な文化が息づく国ベナン。
ギニア湾沿いの小さな国に花開いた工芸品の世界をお楽しみ下さい〜
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ベナン特集は2009年4月末日をもって終了しました。
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