Nkisi像(バコンゴ/コンゴ民主共和国) |
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〜コンゴ河とは〜
コンゴ河(旧ザイールではザイール川と呼ばれていた)は全長4700km(アフリカ第2位)、流域面積実に369万ku(アフリカ第1位。世界ではアマゾン川に次いで第2位)を誇るアフリカを代表する大河である。この369万kuとは日本の面積の約10倍、広大なアフリカ大陸(3022万ku)の約12%に相当する。数多くの支流が覆うその流域はコンゴ民主共和国(旧ザイール・以下RDC)全土、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国、ガボン、カメルーン、ブルンジ、ルワンダ、タンザニア、ザンビア、アンゴラに及ぶ。河口地帯にはコンゴ王国・ロアンゴ王国が、上流部にはクバ王国やルバ‐ルンダ王国などが栄えた。
数多くの支流を持ちその中で本流とみなされるルアラバ川はRDC南東部ザンビアとの国境付近に端を発し途中ルブア川、タンガニーカ湖から流れ出るルクガ川などの支流(支流といっても1000kmを越える大河がたくさんある)と合流しRDC北東部キサンガニからコンゴ河(ザイール河)と呼ばれるようになる。さらにRDC南部を覆うカサイ川、中央アフリカから流れてくるウバンギ川などの大支流を集めアンゴラとRDC国境付近で大西洋に注ぐ。
アンゴラ、RDC国境で大西洋に注ぐが河口からしばらく入った地域からは滝や急流があり河口から内陸への河川交通を阻んでいる。両コンゴの首都キンシャサとブラザビルが河を挟んで並ぶ地域から上流は川幅も広くRDC東部の主要都市キサンガニまでは大型船による河川交通も盛んである。熱帯雨林に覆われ道路事情の悪いこの地域では河川交通は地域の住民の生命線ともなっている。
また豊かな水量を誇るコンゴ河は水産資源の宝庫でもある。流域には数多くの漁労民族が居住し、投網漁のような小規模なものから巨大な簗を使った大規模な漁法までさまざまな方法で魚を取っている。
コンゴ河の源流のひとつはRDC・ウガンダ国境のルウェンゾリ山地であるがこの山地はナイル(白ナイル)の水源でもあり、ルウェンゾリの東に降った雨はやがてナイル河となりアフリカ大陸を北上し地中海へ、西に降った雨はコンゴ河へと流れ込み大西洋に注ぐ。18C後半からのアフリカ内陸探検ブームの中、地理的「発見」を求めて多くの欧米人探検家がコンゴ河の水源を目指した。1874年、イギリスの探検家キャメロンはタンガニーカ湖とルアラバ川がルクガ川によって結ばれていることを確認。ルアラバ川がコンゴ河の源流であると予想したが未検証に終わった。
アメリカ人探検家スタンリーは1876年にタンガニーカ湖からルクガ川を下りルアラバ川に到達した。ルアラバ川がコンゴ河の源流であることを証明するためにスタンリーは翌年までかけてさらにルアラバ川を下り、河口まで到達した。アフリカ三大水系、ナイル川、コンゴ川、ニジェール川の源流探索のうち最後に解決したのがコンゴ河の源流探索であった。
アフリカ大陸中央部に位置するコンゴ盆地はコンゴ川の流域とほぼ重なり約350万kuの面積を持つ。コンゴ盆地北部は広大な熱帯雨林に覆われその周辺部(南北)はには広々としたサバンナ地帯が広がっている。
一口にコンゴといっても川の名前としてのコンゴ、国名としてのコンゴ、または地理上の地名、歴史的地名としてのそれがありかなりややこしい。国名として現在コンゴの名を使っているのはコンゴ共和国(コンゴ‐ビラザビル)とコンゴ民主共和国(コンゴ‐キンシャサ・旧ザイール)の2ヶ国である。地名としてコンゴという場合は狭い意味でコンゴ盆地(上述)をさす場合と、さらに広く歴史的地名として中部アフリカ一帯をさす場合とがある。歴史的地名としてのコンゴはギニア湾から大湖地方の間の中部アフリカ一帯をさす言葉であり、現国名としてはコンゴ共和国・コンゴ民主共和国・アンゴラ・カメルーン・ガボン・中央アフリカ共和国・赤道ギニア・サントメプリンシペの全部、または一部が含まれる。 |
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〜コンゴの歴史〜
コンゴ川流域・コンゴ盆地の歴史をたどることは困難を極める。古くから文字社会との接触のあった歴史的スーダン、東アフリカ沿岸部と異なり、コンゴ地方が文字社会と接したのは主に15C末のポルトガル人によるコンゴ王国来航以来のことであり、それ以前の文献資料はほとんど無く、また熱帯雨林地方では人類活動の遺構・遺物が残りにくく、考古学的な歴史検証をも困難にしている。
現在わかっている限りコンゴ盆地の最古の住人は現在ピグミーと総称されている人々の先祖であったと考えられている。古代エジプトの文献にもアフリカ奥地の熱帯雨林に住むきわめて身長の低い人々のことが記されており、彼らは広大なコンゴ盆地およびその周辺に広く居住し狩猟採集生活を営んでいたと思われる。
現在コンゴ河流域・コンゴ盆地を含む中部アフリカ・東アフリカ・南部アフリカ一帯に住民の大多数を占めるのはバントゥー系諸民族であり、そのためこれらの地域をバントゥーアフリカと呼ぶこともある。彼らバントゥー系諸民族の祖先はその原住地(現在のカメルーンからナイジェリア東部と推定されている)から、紀元前数世紀にコンゴ盆地へと移住を開始、千年以上にわたり拡大分裂を繰り返しながら、現在コンゴ河流域・コンゴ盆地へ拡散していった。
コンゴ川南部、密林の南に広がる広大なサバンナ地帯では14、15C頃からいくつもの王国が建国された。文字史料に残る最古のコンゴ地方の王国はコンゴという地名の由来ともなったコンゴ王国である。15C末にポルトガル人が来航した際、コンゴ川河口から現アンゴラ北部にかけての地域にすでにマニ・コンゴ(コンゴ王)の統治のもと強大なコンゴ王国が、その北方には同系統の王国ロアンゴが成立していたという。
他方コンゴ盆地サバンナ地帯の内陸部にもわかっている限り15、6C頃からいくつもの王国が勃興しはじめた。クバ王国、現カタンガ州を中心として栄えたルバ王国、ルバと同系統のルンダ王国(ムワタ=ヤンポ王国とも。ルバ王国建国の祖カララ=イルンガの末子または弟であるチビンダ=イルンガによって建国されたとの建国神話を持つ)、ルバ‐ルンダ王国(帝国と呼ばれる場合もある)の影響下に建国された一連の小王国ルタラバ、カゼンベ、ビサ、ベンバ、チョクウェなどである。これら内陸部の王国群が誕生した背景にはインド洋沿岸部との長距離交易、やや遅れて始まった現アンゴラ地方(大西洋岸)との交易による富の蓄積があり、中でも帝国と呼んでも差し支えない規模にまで発展したルバ‐ルンダ王国はコンゴ盆地南部一帯に広大な政治的・文化的影響力をもっていたと考えられている。
15C末にコンゴ地方の大西洋岸に来航したヨーロッパ勢力(初期にはポルトガル人)は当初沿岸部(コンゴ王国など)と対等な関係での交易を行っていた。当時殖民が始まっていたアメリカ大陸での奴隷需要の高まりにより、コンゴ王国から「輸出」される奴隷の量は増大した。コンゴ王国内の奴隷供給だけでは需要をまかなえず内陸の王国群からも、交易により奴隷を購入するようになった。内陸諸王国の多くは近隣への奴隷狩りを繰り返し、ヨーロッパ人との奴隷交易(他にも鉱産資源・象牙などを輸出しヨーロッパから火器・奢侈品などを輸入した)でさらに富を蓄え繁栄した。皮肉なことに交易の拡大は大西洋岸からのヨーロッパ勢力の侵入、インド洋沿岸部からのイスラム系交易商人勢力の侵入(コンゴ盆地東部の広い範囲を勢力下に置いた奴隷商人ティップ=ティプなど)を容易にし、奴隷狩りの増大による国力の低下とあいまって19C末〜20C初頭にはコンゴ川流域全域がヨーロッパ各国(英仏独葡ベルギー)の植民地支配下に置かれることになった。
第二次大戦後、半世紀以上の植民地支配を経てコンゴ河流域各地は独立を達成するが(コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国、ガボン、カメルーン、は1960年。タンザニア:タンガニーカが1961年、ブルンジ、ルワンダが1962年、ザンビアが1964年。アンゴラ1975年)、独立後も凄惨な内戦や独裁が続いた国が多い。代表的なものだけ挙げてもコンゴ民主共和国=旧ザイール(コンゴ動乱1960〜1963年、周辺諸国も介入しアフリカ大戦とまで呼ばれたコンゴ内戦1996〜2003:2003年に停戦合意が成立したものの依然国内各地で反政府武装勢力が活動中。現在も内戦状態が続いている)、アンゴラ内戦(1975〜2002年)、中央アフリカ共和国(ボカサの暴政1966〜1979年、2013年現在は北部の反政府勢力が首都を制圧し各地で略奪などが相次いでいる)、ルワンダ大虐殺(1994年)、などがあり、アフリカ大陸でもっとも不安定な地域のひとつとなっている。
他方鉱産資源などに恵まれている国が多いだけに(それがまた内戦の原因になっているのだが)、国が安定さえすればガボン、アンゴラなどのような発展も見込める。また、現在まで残る伝統王国、アフリカ美術の宝庫といわれるほどの豊かな工芸文化、広大な熱帯雨林の奥に受け継がれた伝統文化、ゴリラ、チンパンジー、オカピ、ゾウ等に代表される野生動物など、潜在的な観光資源も豊富な地域であり、アフリカ好きの一バックパッカーとしても、コンゴ河流域を安全に旅することできる日が一日でも早く来るのを願ってやまない。
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〜コンゴ河流域の工芸・文化〜
コンゴ川流域・コンゴ盆地およびその周辺各国はアフリカ美術の宝庫とも言われ、アフリカを代表する彫刻の名手と評価される民族が数多く居住している。広大なコンゴ地方に暮らす何百とも言われる民族の彫刻の特徴を一口で説明することは到底不可能であるが、いくつかの最大公約数的な共通点を挙げることはできる(あくまで比較的多く見られる共通的な特徴というだけで、例外はいくらでも存在する)。西スーダン地方の木彫が直線的で抽象的な造形、堅牢な印象を与える作品が多いのに対し、コンゴ地方の彫刻は曲線を多用した比較的写実的な作品が多く見られる。
コンゴ川流域という範囲からはややはみ出すがザンビア北西部からコンゴ、ガボンを通りカメルーン‐ナイジェリア国境地帯に至る地域には「ハート型の顔」とよばれる眉毛の線を境に眼窩から頬の部分をハート型にへこませた様式の仮面なり彫像なりを作る民族が多く居住しコンゴ地方の彫刻の特徴のひとつとなっている。
またコンゴ地方はアフリカの中でも特に呪術信仰の盛んな地域のひとつであり、呪術(この場合の呪術とは敵を呪うというような他人に害を及ぼすような目的だけでなく、病気治癒、家内安全、子孫繁栄、失せもの探しなどの目的のものも含む)に用いるための彫像なども盛んに作られ、その中でもっとも有名、かつ印象的なのは全身に釘や鉄片を打ちつけた「釘の偶像」と呼ばれる彫像であろう(→Nkisi)。
呪術像などは主に民間の需要で製作・使用されたのに対し、王制の発達した社会では民間の彫刻とは別に宮廷美術というべき高度な工芸が発展した。その代表的な例がクバ王国(歴代国王の像など)やルバ王国(懸崖の髪の名工、ブリの名工など)であり、両民族の彫刻はアフリカ彫刻の中でも最高峰に位置づけられている。
木彫以外に眼を向けると、コンゴ盆地の広い地域で作られているラフィア布(特にクバのものが有名)、象牙彫刻、木で彫った像に金属の板をかぶせた納骨箱(コタ)などがコンゴ地方の工芸品として知られている。
ルバ・クバ・コンゴ・ヨンベ・ヴィリ・コタ・クウェレ・チョクウェ・ソングウェ・テケ・ヤカ・ファン・プヌ、アザンデ・マングベトゥ・バンボレ・ベナ=ルルアなどアフリカ美術の本を開けば必ず眼にすることができる芸術民族が綺羅星のごとく並ぶコンゴ河流域は、まさにアフリカ美術の宝庫の名に恥じない輝きを放っている。
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コンゴ河特集は2013年11月末日をもって終了しました。
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