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ガーナ特集は2011年6月末日をもって終了しました





 熱帯の森の中、数百年の時を経て今に続く黄金の王国アシャンティ。

 豊かな歴史に彩られた国ガーナには、アフリカの伝統が息づいている。
 アシャンティ王国の都クマシにて 過去の特集を見る>>

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*本稿で特に断りなしにガーナといった場合は現代のガーナ共和国を指す

〜ガーナの歴史・民族・社会〜
 ガーナ共和国は西アフリカはギニア湾に面した国である。東西約350km、南北約700km、面積約24万ku、西はコートジボワール、北はブルキナファソ、東はトーゴに面し、南は海岸線となっている。国土はおおむね平坦であり、南北を貫いてボルタ川が流れている。南部は熱帯気候であるが北(内陸部)に向かうにつれ、降雨量が少なく乾燥した気候へと変わっていく。かつてこの地域の沿岸部から大量の金が輸出されたため、黄金海岸(Gold Coast)とも呼ばれていた(同様にリベリアは胡椒海岸、コートジボワール=象牙海岸、ベナンは奴隷海岸と呼ばれていた)。

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アシャンティ王国の都クマシの市場 サハラ以南のほかのアフリカ諸国と同様ガーナ共和国の古い歴史についてはいまだ解明されていないことが多い。紀元前14〜15Cに現れたと見られる新石器時代の遺跡群(キンタンポ文化)があるものの、それらの人々がその後どうなったのか、現代ガーナとの連続性などに関しては不明なままである。

 今日のガーナの人口の約4割を占めるアカン系住民がこの地域に移住してきたのがおそらく12〜16Cごろのことといわれている。北方のスーダン地方からやってきた(と思われる)これらのアカン系住民は先住民族と抗争、混交を繰り返しながらいくつもの民族に分かれ、現ガーナ、コートジボワール地方の森林地帯へと浸透して行った。

 彼らは移住した土地にそれぞれの小国家群、ボノ=マンソ、デンキイラ、アダンシ、アクワムアキムファンテアサンテなどを築い
             アシャンティ王国の都クマシの市場
た。草原や疎林地帯の広がる北のスーダン地方(早く、広く移動できる)と違いこれらの地域は森林に覆われ、すばやい移動が困難(騎馬隊などの機動力が発揮できない)なため初期にはこの地域で大規模な国家は発展しなかった。

 これらの小国家群の中で最初に発展したと思われるのが現ガーナ中西部に位置したボノ=マンソであり、領内で取れる豊富な金を北方のマリ帝国、後にはソンガイ帝国に売却する事により繁栄した(この地域はおそらくアカン人の移住以前から金やコーラナッツの産地として北方のスーダン地方の王国、古代ガーナやマリ帝国、後にはソンガイ帝国などとの交易にかかわってきたと思われる)。

 16,17Cになるとさらに多くのアカン系国家が金の交易を背景として力をつけ始めてきた。この時代になると金の交易はそれまでの内陸交易網(北のサヘル地方の国家‐マリ・ソンガイ帝国やハウサ諸国‐を通してサハラ縦断交易の主要商品となっていた)だけでなく、15C末にこの地域の沿岸部に来航したヨーロッパ商人との取引も増加し、新たにデンキイラ、アクワムなどの国家が力をつけてきた。

 17C後半には後に今日のガーナのほぼ全土を支配することになるアシャンティ連合王国が誕生した。それまで弱小であり、近隣の強国デンキイラやアクワムに貢納していた周辺のアシャンティ民族の小国家群を統一して(統一の結果アシャンティ民族というアイデンティティが形成されたともいえる)、クマシに首都を置くアシャンティ(連合)王国をつくったのが初代国王オセイ=トゥトゥ一世とその側近、高僧オコムフォ=アノキエであった。連合内の各王国の王はそれぞれの国、氏族を象徴する床几を持ち、連合国王は天から降りてきたという伝承を持つ黄金で飾られた床几を持っていた。この黄金の床几はアシャンティ民族全体の象徴とされ神聖視され現在まで受け継がれている。

沿岸部に残されたヨーロッパ人の砦(エルミナ要塞)地下のやしろ アシャンティの統一を果たしたオセイ=トゥトゥは1701年にデンキイラを打ち破った。続くアキムとの戦いで戦死したが彼の後継者たちは18C半ばにアキムを破り、北方ではゴンジャボンドゥクなどを朝貢国とし、アシャンティ王国は現ガーナのほぼ全域および周辺国の一部を支配する強大な国家となった(オセイ=トゥトゥ一世の死後に起きた後継者争いに巻き込まれ亡命したバウレ民族の祖となった)。領内で取れる金の交易を中心として栄えたアシャンティ王国は、19世紀末から20世紀初頭の数次にわたり当時同地方の植民地化を進めていた英国に対して激しい抵抗戦を繰り広げるも1901年についにイギリスの植民地(英領ゴールドコースト)となった(アシャンティ王国そのものは現在もガーナ共和国内に存続している)。


       沿岸部に残されたヨーロッパ人の砦(エルミナ要塞)地下のやしろ

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 第一次・第二次世界大戦を経た1957年、英領ゴールドコーストはクワメ=ンクルマのもと、サハラ以南のアフリカ諸国の先陣を切って、ガーナ共和国として独立を果たした(余談ではあるが私が訪れた西アフリカのほとんどの国の首都にはこの功績を称えてンクルマの名を冠した通りや広場があった)。ガーナの国名はこの国の約4割を占めるアカン系住民古代ガーナから移住してきたとの伝承に基づいている。独立後のガーナは数回の軍事クーデターに見舞われるなど不安定な時期が続いたが91年の民政移管以降は政治的にも安定し、現在は西アフリカでは珍しいくらい議会と選挙が機能している国となっている。

 ガーナの主な住民は南部・中部のアカン系諸民族(アシャンティアキムファンティなど)、エウェガンなどのクワ語系民族、北部のモシ、ダゴンバなどのボルタ語系民族であり、北部にはサハラ縦断交易の時代に金やコーラナッツを求めて移住してきたマンデ系商人の子孫も居住している。国民の大部分はキリスト教徒であるが北部を中心にイスラム教徒も居住している。主な産業は農業(ガーナといえばカカオ)、鉱業(金、ボーキサイト、アルミニウム精錬)などであり、近年は沖合いでサハラ以南アフリカでも有数の規模の油田開発も進んでいる。

 今なお息づく伝統王国(アシャンティ王国など)、アシャンティ、モシ、エウェなどが誇る豊かな伝統工芸、沿岸部に残され、奴隷貿易の悲惨さを今に伝えるヨーロッパ列強の砦跡(エルミナなど)、豊かな自然に恵まれた国立公園など豊富な観光資源を持つガーナは、旧イギリス植民地であったため英語が公用語となっており他の仏語圏西アフリカに比べれば日本人にも敷居が低いかもしれない。また1928年に黄熱病の研究中にガーナのアクラ(現在の首都)で客死した野口英世のことはよくしられており、アクラの大学病院には彼の名を冠した研究所、庭園がある。

 国民食ともいえるフフ(マニオク:キャッサバヤムイモプランテインバナナなどからつくった餅)はなかなかの味。イスラムの影響が少ないせいか、街中には石を投げれば必ず当たるほどたくさんのバーが立ち並び(しかも安い)、飲ん兵衛旅行者には天国のようなところだ。

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〜ガーナの工芸・文化〜
 ガーナ伝統工芸の主役はやはり国内の最大民族アシャンティであろう。アシャンティはさまざまな象徴、神話、ことわざなどと結びついた多数のモチーフを持ち、それらのモチーフを用いた多様な工芸品(代表的なものとしてアディンクラ布‐ひょうたんに彫ったモチーフを捺印しアシャンティ特有の床机(こしかけ)各種た布‐、分銅などがある)を生み出してきた。それらのモチーフの中で最も知られているのが至高神を意味する「ジ・ニャメ」と呼ばれるマークである(参照;バティック)。またアシャンティ、エウェの織るケンテ布(鮮やかな原色を用いたよこ縞模様や細かな織り模様が特徴)はアフリカの織物の中で最高のもののひとつとの評価を受けている。またファンティアップリケ(もともとはアサフォとよばれる軍旗の製作から発展したもの)もよくしられている。

 アフリカ芸術の華、木彫に目を向ければ北部のモシを忘れるわけにはいかない。またアシャンティなど中部・南部の民族はスーダン地方の影響を受けた北部の木彫とは一風変わった木彫を製作する。中でもアシャンティのつくる月をかたどった人形アクワバはアフリカ彫刻としてはバンバラチワラバガニンバなどと並び最もよく知られているもののひとつである。

                                    アシャンティ特有の床机各種。各氏族ごとにそれを象徴する床机を持つ。

〜熱帯雨林の中で育まれたガーナ工芸品のほんの一部をご紹介します〜

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