エドのブロンズ像 |
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〜ヨルバとは〜
ヨルバは主にナイジェリア南西部、ベナン、トーゴにかけて居住するアフリカ屈指の人口3000万人超を抱える大民族。独自の宗教を持ち(ベナンのヴォードゥン/ヴードゥー信仰と多くの共通点をもつ)、ニジェール-コルドファン語族クワ語派に属する言語を話す。11C頃からナイジェリア南西部にヨルバ諸国群と呼ばれる都市国家群(イフェ、オヨ、イバダン、イジェブ、エグバなど)を形成してきた。
最初のヨルバ国家イフェが形成されたのはおそらく11Cのはじめ頃と考えられている。伝承によれば、天の神オロルンがイフェの初代王オドゥドゥワをイフェの地に遣わし、イフェ王国が生まれたとされている。その後各地に建てられたヨルバ諸国の建国者はすべてこのオドゥドゥワの息子と言われている。イフェ以後のヨルバ諸国はイフェをヨルバ発祥の地としてあがめ、宗主国として、また宗教的聖地として尊重したため、世俗的なの国力はさほどでもなかったにもかかわらず全ヨルバ諸国の中で特権的な地位を享受し、その宗教的権威によって19C末まで存続していた。現在でもヨルバ人の宗教的、精神的な聖地としての地位を保っている。
また奴隷貿易によりアメリカ大陸に連れ去られたアフリカ人たちがその土地で発展させた宗教(ヴードゥー:ハイチなど、サンテリア:キューバなど、マクンバ:ブラジルなど)の中でヨルバ的要素の果たす役割は大きく、イフェはそれらの宗教の信者からも神聖視されている。
13・14C頃には十数のヨルバ人の王国が形成されたがそれぞれの国は独自の政治組織を持ち、ヨルバ諸国全体としての統一性は小さかった(全ヨルバ諸国はヨルバ発祥の地イフェを宗主国としていた)。ヨルバ諸国の中で最大の勢力を誇ったのが現ナイジェリア南西部オヨ州に位置したオヨ王国であった。ニジェール河下流域の西に作られたオヨも初代国王オラニヤンがイフェの建国者の末息子である、という伝承を持っている。
ヨルバの彫像
オヨ王国は13・14Cごろに始まりスーダンとギニアを結ぶ交易網の要衝として栄え、ヨーロッパ諸国との交易が始まると奴隷貿易で大きな利益を上げた。奴隷交易を通じヨーロッパ人から手に入れた銃火器を装備したオヨ王国は16C末頃から版図を拡大。現在のナイジェリア西部州からガーナのボルタ河流域にいたる王国を築き18Cにはダホメー、アジャ等の周辺諸国を朝貢国とした。オヨ王国では18C末頃から内乱、ソコト帝国の圧迫、ダホメーの離反などが相次ぎ国力は衰退し、19C半ばに消滅した。ヨルバランド他地域でも19C半ばからのイギリス軍の侵攻により同世紀末には全域がイギリスの支配下となった。
1960年のナイジェリア独立以後はハウサ、イボと並ぶナイジェリアの三大民族としてナイジェリアの政治、経済、文化において重要な役割を果たしている。
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〜エドとは〜
エドはナイジェリア南部エド州を中心に居住しエド語(ベヌエ・コンゴ語派)を話す民族。ビニ、ベニンとも呼ばれる。現ナイジェリア南西部ベニンシティーを都とし、13C頃〜19C末にかけて栄えたベニン王国(現在のベナン共和国、英語読みでベニン共和国とは直接的な関係は無い)を建国した。文化的、政治的に西の隣人であるヨルバ人と深い関係がある(ベニンのエド人たちが自らの王を追放し、イフェの王子を自分たちの主君として迎え入れたという伝承が残されている)。
ベニン王国は初期にはベニンシティー周辺のみを支配する都市国家であったが、15C半ばにはすでにかなりの規模の国家となっていた。15C半ばに即位したエウアレ王の治世下さらに領土を拡大し、国家組織の整備に努めた。その後も英明な君主が何代か続き(エシギエ王など)、ヨーロッパ人との交易(15C末〜)で栄え、16、7Cには東ギニア最大の国となった。17C末から国内の反乱、西のオヨ王国からの圧迫などで国力が衰えはじめ18C末にはもはや滅亡寸前であった。19Cにパーム油の交易などで一時勢いを取り戻したものの19C後半に相次いだイギリスとの紛争の末1897年に滅亡した。
エドのブロンズ像
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〜ヨルバ・エドの工芸〜
豊かな歴史と独自の宗教を持つヨルバは王国時代に宮廷美術として花開いた豊かな工芸文化を持つことでも知られている。日本にもよく紹介されているスーダン諸民族(バンバラ、ドゴン、グルンシなど)やコンゴ諸民族(バコンゴ、バルバ、バクバ、ファンなど)と一線を画す彫刻文化を持ち、特にイフェ王国の時代に作られた一群の青銅彫刻・テラコッタ彫刻はその写実性と完成度の高さにおいて、世界的に見ても最高の水準に達していると評価されている。はじめてイフェの彫刻を見たヨーロッパ人はその芸術性の高さからアフリカ人が作ったとは信じられず、ギリシャ人か何かが造ったものがアフリカに伝わったのだろうと考えたという。無礼極まりない話だが、イフェ美術の完成度の高さを物語るエピソードである。
ブロンズ彫刻といえばエド/ベニン王国も負けてはいない。 ベニン王国でも宮廷美術が発達し、宮廷の工芸師たちはアフリカの歴史を通じて最高峰といわれる象牙細工と青銅彫刻を作り出した。中でもさまざまな場面でのオバ(王)の姿を浮き彫りにした青銅版、彫刻を施した象牙を立てるための人頭型の青銅製の台(王の肖像とも言われている)などは非常によく知られている(現在ナイジェリアにはあまり残っていない。19C末に同王国に侵攻したイギリス軍が根こそぎ持っていってしまったため現在では大英博物館に展示されている)。ベニンの青銅彫刻はアフリカ美術史上でも最高級の評価を受けていて、なかには競売で470万ドルの値がついたものもある。またベニン王国の象牙細工はビニ=ポルトギーズ(ポルトガル人交易者を通じてヨーロッパにもたらされたビニ=ベニンの象牙細工という意味)とも呼ばれヨーロッパ人の交易者が争うように求めたほど高度な水準に達していた。
ヨルバはブロンズ・テラコッタ彫刻以外にも木彫・染織工芸などに優れた才能を示しアフリカ有数の芸術民族として知られている。大きなアーモンド形の大きな目、小さなあご、(他地域の彫刻に比べて)写実的な描写などのヨルバ彫刻の特徴は周りの民族にも大きな影響を与え、エド/ベニンの彫刻にも色濃く受け継がれている。また、さまざまなことわざなどと意味する繊細な文様を染め抜いたヨルバの藍染布はアフリカの染め布の中でも最高級の評価を得ている。 雷神シャンゴの巫女像(ヨルバorフォン) |
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ヨルバ・エド特集は2011年10月末日を持って終了しました。
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