セネガル式のお茶の準備。セネガル人のお茶好きは周りの国にもよく知られている |
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*本稿は2014年6月の「セネガンビア特集」コラムに、加筆訂正・写真の入れ替え等したものです。 |
〜セネガンビアとは?〜
セネガンビアとは現在のセネガルとガンビアに相当する地域を現す地名。ヨーロッパ人による西アフリカ来航当初(15C〜) は彼らの地理的知識が沿岸地方にしか及ばなかったためセネガル川とガンビア川の間の沿岸地域を指したが、彼らの知見が広がるにつれ次第にその内陸地域も含むようになり、やがて現セネガルとガンビアに相当する地域をあらわす地名となった。
英仏の植民地獲得競争が原因となり同地域はセネガル(旧仏領)とガンビア(旧英領)の2つの国家に分かれて独立した。1980年代には両国の合邦による連邦国家セネガンビア連邦が誕生したが89年には再び分離した。
*写真:セネガルとモーリタニアの国境となるセネガル川河口の街「サンルイ」のボートレース
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〜セネガンビアの歴史・民族・社会〜
セネガンビア地方を構成する二つの国セネガルとガンビア。大きいほうの国セネガルは大西洋に面したアフリカ最西端の国。モーリタニア、マリ、ギニア、ギニア=ビサウと国境を接し、南部ではガンビアの東西に細長い国土を三方から囲んでいる。モーリタニアと国境を接する北部は半沙漠状のサヘル地域となっていてサバンナに大きく枝を広げたバオバブの姿を見ることが出来る。南部に行くにつれ降水量も増え、南部のカザマンス地方では亜熱帯性の気候となり、所々にヤシの木の生えた美しい湿地を目にすることができ、ギニアとの国境地帯では熱帯雨林が発達している。
ガンビアは西アフリカ、ガンビア川に沿って東西に細長い領土を持つ国(東西300km、南北数10km)。大西洋に面した海岸線以外の北・東・南の三方をセネガルに囲まれたアフリカでもっとも小さな国のひとつ(面積1.1万ku)。日本でも放映されたテレビドラマ「ルーツ」の主人公クンタ=キンテの故郷としても知られいる。
この地域の古い歴史はアフリカの多くの地域と同様によくわかっていない。セネガンビア地方では8C頃に建てられたと考えられる巨石文明の遺跡(環状列石)がいくつも見つかっているが、その目的やそれを築いた人々については不明な点が多い。
今日セネガンビアと呼ばれている地域が、初めて現在知られている歴史(文字資料)に登場するのは古代ガーナ王国の時代である。10Cごろにガーナの版図となり、ガーナ崩壊後はセネガンビア北部にテクルール王国(トゥクロール帝国とはまったくの別の王国)が興った他、セネガル河流域の一部はモロッコのムラービト朝の勢力下に入った。その後マリ帝国やそれに続くソンガイ帝国の影響の下にセネガンビア中部、沿岸部にウォロフ王国が興り、その後しばらくして南部にはシン・サルームなどのセレール人の王国が勃興した。
ウォロフ王国がいくつもの姉妹国家に分裂しあい争うなか、15C半ばには早くもヨーロッパ勢力(ポルトガル)がこの地域に到達し、以後ヨーロッパの列強がこの地域の権益を争い最終的にフランスがそれを勝ち取った(ガンビア川流域だけはイギリスが獲得した)。19C半ばからフランスは西アフリカの植民地化を本格的に推し進め、カヨールのラット=ジョールやエル・ハジ=ウマルのトゥクロール帝国などから激しい抵抗を受けながらも20C初頭には現在のセネガル領の植民地化をほぼ完了。セネガルの首都ダカールがフランス領西アフリカ全体の首都となった。一方のガンビアは18C末にイギリス植民地となり1965年に独立を果たした。
セネガルは1960年6月隣国のマリとの連邦国家「マリ連邦」として独立を果たすが、同年8月には連邦を解消、セネガル共和国として改めて独立を果たした。独立後は西アフリカの優等生として政治的にも経済的にも比較的安定して現在に至っている。1982年にはセネガル南部にくさびのように打ち込まれた国土を持つガンビアとの国家連合「セネガンビア連邦」を結成したが1989年に解消した。
*写真;セネガルの首都ダカールのサンダカ市場入口 |
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セネガルはフランス領西アフリカの首都であった影響もあり西アフリカで最も都市化の進んだ国のひとつであり、首都のダカールは西アフリカ有数の都市・貿易港としても栄えている。セネガルは世界一の落花生生産国・輸出国であり、そのほかの主要輸出品としてはリン鉱石、魚介類などがある。
セネガルの主な民族はウォロフ、フルベ、セレール、トゥクロール、ジョラ、マリンケなど。ガンビアのそれはマリンケ・フルベ・ウォロフ・ジョラ・ソニンケと、人口比こそ違うが構成民族はセネガルとほぼ同じである。西アフリカで最も早くイスラム化した地域であるため両国の国民の9割以上がイスラム教徒であり、その中でもセネガル独自のイスラム教団ムーリド派(→アマドゥ=バンバ)は政治経済にも大きな影響力を持っている。
セネガルの首都ダカールはパリダカールラリーの終着点としても知られ、また近年ではサッカーの代表チームも注目されている(たまたまセネガル代表がW杯初出場を決めダカール市内で凱旋パレードをしているところに行き会ったがものすごい熱狂だった)。北部のフラミンゴの大棲息地、奴隷積出港であったダカール沖のゴレ島(両者とも世界遺産)、豊かな伝統音楽の世界、都会的な雰囲気とアフリカ的雰囲気を同時に味わえる首都ダカールなど、豊かな観光資源を抱えた西アフリカの観光大国でもある。
*写真:セネガル南部カザマンス地方にて。庭の木陰でのんびりと晩の仕度。セネガル料理の代表格ヤッサを作るためにレモン汁を絞っているところ |
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〜セネガンビアの文化・工芸〜
セネガルの文化で最も知られたものといえばやはり音楽だろう。セネガルはお隣のマリと並び世界中で最も知られたアフリカの音楽大国である。ジェンベに代表されるドラムミュージック。コラなどを用いて演奏されるグリオの伝統音楽。それらの豊かな伝統を受け継いだ現代のポップミュージシャンたち。ユッスー=ンドゥール、クンバ=ガロ、ババ=マールなど世界的に名の通ったミュージシャンたちを何人も輩出してきた。街のレストランでは流しのグリオがコラを弾き歌を歌い、町や村のあちこちでは、しょっちゅう路地をふさいでドラムパーティーが催されている。
アフリカ美術の本にセネガルが登場することはあまりない。というのもアフリカ美術の主役といえばやはり仮面、彫像の木彫であり本もそれらを中心に編集されることが多いからである。セネガルでは南部の一部の民族、ジョラやバサリなどを別にすれば仮面や彫像の伝統がなく、黒檀でつくる現代的な木彫をのぞけば、ほとんどの民族は木彫製作をおこなわない。
そのかわりというわけでもないだろうが、セネガルでは伝統的に金銀などの金属細工・アクセサリーの製作が盛んである。おしゃれ好きなアフリカ女性の中にあってもセネガルの女性は「セネガルの着倒れ」といわれるほどのおしゃれ上手であり、その身を飾るためのアクセサリー類の種類も豊富であり質も高い。
サヘルの国でつくられる伝統的金属アクセサリーは銀に黒檀の木片や樹脂を象嵌したものが多い。セネガルでもそのタイプのアクセサリーの製作が盛んであり、首都ダカールの市場の一角には銀細工視の店が軒を連ね、非常に質のいいものがつくられている。西アフリカの国々の都市(少なくとも首都)には必ずといっていいほどセネガル人のアクセサリー店があることからもセネガルの職人たちの技術の高さが伺える(ついでに言えばセネガル料理のレストランも大体何処にでもある)。
セネガルの工芸品として知られたものは、バティック、ガラス絵、砂絵などのほかにも様々のものがあるが、アフリカで最も都市化の進んだ国でもあるセネガルらしい現代的・都会的なセンスの光るものが多い。
*写真:セネガルの首都ダカールのガラス絵ギャラリー
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セネガンビア特集Uは2021年2月末日をもって終了しました |
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