アサンテの都クマシの市場 |
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〜アカン系民族とは〜
アカン系民族とはニジェール-コルドファン語族クワ語派に属するアカン系言語を話す諸民族の総称。主にガーナ中部南部,コートジボアール中部に住む民族が多い。ガーナでは人口の約4割がアカン系民族であると推定される。アカン系民族のうち人口が多いのがアシャンティ、ファンティ、バウレなど。他にもアオウィン、アヴァティム、アキム、アグニ、アクワム、アクワペム、アジュクル、アシン、アティエ、アディジ、アハフォ、アハンタ、アビカム、アブレ、アブロン、アベ、アラジャン、エブリエ、エホティレ、エバルウェ、クワウ、セフウィ、チャコシ、デンキイラ、ムバト、ヤウレ、ワッサ、ンゼマなど多数の民族が含まれ、総人口は4000万人に上ると見られている。
アカン系諸民族は中世以降、中部ギニアの金産地を掌握し、いくつもの王国を建てた(アシャンティ王国、アクワム、デンキイラ、アキムなど)。彼らの祖先は北からやって来た古代ガーナ王国の末裔との伝説を持っているため、アカン系民族が多数を占める旧イギリス領黄金海岸の独立時にガーナ共和国との国名が採用された。
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〜アカン系民族の歴史・社会・文化〜
アカン系民族の祖先が現在の居住地であるガーナ・コートジボワール中部(中部ギニア)に移住してきたのがおそらく12〜16Cごろのことといわれている。ガーナ王国崩壊の混乱を避けて北方のスーダン地方からやってきた(と思われる)これらのアカン系民族の祖先たちは先住民族と抗争、混交を繰り返しながらいくつもの民族に分かれ、現ガーナ、コートジボワール地方の森林地帯へと浸透して行った。
彼らは移住した土地にそれぞれの小国家群、ボノ=マンソ、デンキイラ、アダンシ、アクワム、アキム、ファンテ、アサンテなどを築いた。草原や疎林地帯の広がる北のスーダン地方(早く、広く移動できる)と違いこれらの地域は森林に覆われ、すばやい移動が困難(騎馬隊などの機動力が発揮できない)なため初期にはこの地域で大規模な国家は発展しなかった。
これらの小国家群の中で最初に発展したと思われるのが現ガーナ中西部に位置したボノ=マンソであり、領内で取れる豊富な金を北方のマリ帝国、後にはソンガイ帝国に売却する事により繁栄した(この地域はおそらくアカン人の移住以前から金やコーラナッツの産地として北方のスーダン地方の王国、古代ガーナやマリ帝国、後にはソンガイ帝国などとの交易にかかわってきたと思われる)。
16,17Cになるとさらに多くのアカン系国家が金の交易を背景として力をつけ始めてきた。この時代になると金の交易はそれまでの内陸交易網(北のサヘル地方の国家‐マリ・ソンガイ帝国やハウサ諸国‐を通してサハラ縦断交易の主要商品となっていた)だけでなく、15C末にこの地域の沿岸部に来航したヨーロッパ商人との取引も増加し、新たにデンキイラ、アクワムなどの国家が力をつけてきた。
17C後半には後に今日のガーナ共和国のほぼ全土を支配することになるアシャンティ連合王国が誕生した。それまで弱小であり、近隣の強国デンキイラやアクワムに貢納していた周辺のアシャンティ民族の小国家群を統一して(統一の結果アシャンティ民族というアイデンティティが形成されたともいえる)、クマシに首都を置くアシャンティ(連合)王国をつくったのが初代国王オセイ=トゥトゥ一世とその側近、高僧オコムフォ=アノキエであった。連合内の各王国の王はそれぞれの国、氏族を象徴する床几を持ち、連合国王は天から降りてきたという伝承を持つ黄金で飾られた床几を持っていた。この黄金の床几はアシャンティ民族全体の象徴とされ神聖視され現在まで受け継がれている。 |
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アシャンティの統一を果たしたオセイ=トゥトゥは1701年にデンキイラを打ち破った。続くアキムとの戦いで戦死したが彼の後継者たちは18C半ばにアキムを破り、北方ではゴンジャ、ボンドゥクなどを朝貢国とし、アシャンティ王国は現ガーナのほぼ全域および周辺国の一部を支配する強大な国家となった。領内で取れる金の交易を中心として栄えたアシャンティ王国は、19世紀末から20世紀初頭の数次にわたり当時同地方の植民地化を進めていた英国に対して激しい抵抗戦を繰り広げるも1901年についにイギリスの植民地(英領ゴールドコースト)となった(アシャンティ王国そのものは現在もガーナ共和国内に存続している)。
オセイ=トゥトゥ一世の死後に起きた後継者争いに巻き込まれ現コートジボワール地方に亡命した一世の姪アウーラ=ポクと彼女が率いたアカン人の一団は現コートジボワール南部のブアケ周辺に住み着きバウレ人の祖先となった。彼らはアウーラ=ポクの後継者アクワ=ポニ女王のもとでバウレ王国とも呼ぶべき王国を形成したが、ポニ女王の死後内紛が起き王国は分裂した。その後はバウレとしての統一を果たすことはなかったが19C末頃(フランスによる植民地化以前)まではこのバウレ系の小王国群がコートジボワール南部の大部分を支配していた。また同じアカン系民族のアグニ、アブロンなどもそれぞれの移住先で独自の小王国(グヤアマン王国など)を形成した。
アカン系民族のうち、全てでないにしろ多くの民族、アシャンティやファンティなどが伝統的に母系社会構造を持つ(母系の出自原理:生まれた子は父方ではなく母方の一族となり、財産・地位なども母方の家族から子へと受け継がれる)。アフリカの母系民族としては他にセネガルのセレール、サハラのトアレグ、中部アフリカからタンザニア、マラウィ、ザンビアにかけての母系ベルトと呼ばれる地域に暮らす諸民族などが挙げられる。 |
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〜アカン系民族の工芸・文化〜
アカン系民族のうち人口が多いのがアシャンティ、ファンティ、バウレなどであり、芸術・工芸に秀でた民族として知られている民族もおおむねこの三つとヤウレであろう。これらの中で最も知られた芸術民族はコートジボワールのバウレ人たちである。
バウレ人は芸術的に優れた民族として知られ、特に彫刻において非常に多様性に富んだ様式を持っている。なかでも円盤に角をつけたような形のゴリの仮面、眠たげな眼をした女性の仮面、精緻な浮き彫りを施した木の扉などがよく知られている。バウレの彫刻はスーダンの彫刻とギニアの彫刻の折衷的な様式を持ち、細部まで緻密に彫り込んだ洗練された作品を多く生み出してきた(彫刻文化を持つほかの多くのアフリカの民族と違い、バウレ社会では彫刻師は世襲ではなく個人の意志によって選択される職業である)。バウレの彫刻は国や地域を代表するだけでなく全アフリカを代表する優れた彫刻のひとつとして世界的に評価が高い。また彫刻だけでなく、美しい絣布などの染織工芸、同地域で豊富に取れる金を使った精巧な金属工芸などでも知られている。
ガーナの最大民族アシャンティ(アサンテ)もまた多彩な工芸品を作り出す民族として知られている。アシャンティはさまざまな象徴、神話、ことわざなどと結びついた多数のモチーフを持ち、それらのモチーフを用いた多様な工芸品(代表的なものとしてアディンクラ布:ひょうたんに彫ったモチーフを捺印した布、分銅などがある)を生み出してきた。それらのモチーフの中で最も知られているのが至高神を意味する「ジ・ニャメ」と呼ばれるマークである(参照;バティック)。またケンテ布(鮮やかな原色を用いたよこ縞模様や細かな織り模様が特徴。トーゴのエウェも織る)はアフリカの織物の中で最高のもののひとつとの評価を受けている他、ファンティのアップリケ(もともとはアサフォとよばれる軍旗の製作から発展したもの)もよくしられている。またアシャンティ、ファンティなどガーナ以西のアカン人たちはスーダン地方の影響を受けたバウレ・ヤウレの木彫とは一風変わった木彫を製作する。中でもアシャンティのつくる月をかたどった人形アクワバはアフリカ彫刻としてはバンバラのチワラ、バガのニンバなどと並び最もよく知られているもののひとつである。 |
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アカン系民族(アシャンティ・ファンティ・バウレ・ヤウレ)の商品 |
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木彫りキーホルダー(ジ・ニャメ)
トーゴ ¥525
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バウレかすり(絣・大)
バウレ ¥10500
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バウレかすり(絣・大)
バウレ ¥10500
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バウレかすり(絣・細長)
バウレ ¥6300
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バウレかすり(絣・細長)
バウレ ¥4200
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バウレかすり(絣・大)
バウレ ¥10500
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バウレかすり(絣・大)
バウレ ¥10500
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アカン系民族特集は2012年9月末日をもって終了しました。
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