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アフリカ関連用語集

〜より充実した内容を目指し、随時更新していきます。〜

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概説
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・ハイエナ 食肉目ハイエナ科に属する動物の総称。ブチハイエナ、シマハイエナ、カッショクハイエナ、アードウルフ(ツチオオカミ)の4種が含まれる。インドから東アフリカにかけて棲息するシマハイエナの他は、すべてアフリカ(主にサバンナ地帯)に棲息する。

小型ハイエナであるツチオオカミを除き、体調は100〜160cmほどの間。大きなあごと鋭い牙を持つ。一般に死肉をあさる動物としてあまりいいイメージをもたれていないが、ハイエナの中で一番の大型種であるブチハイエナは、優れたハンターである(死肉漁りもするが、食料の大部分は狩りで得ている)。

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・ハイレ=
セラシエ一世
1892年〜1974年。エチオピア帝国最後の皇帝。メネリク二世の遠縁として生まれたハイレ=セラシエはメネリク二世の二代のちの女帝ザウディトゥの摂政として事実上エチオピアの支配者となり、1930年に皇帝に即位したのち近代化政策に取り組み一定の成果を挙げた。

第2次大戦期一時的にイタリアに占領されたが(1936〜1941)その後もエチオピアの統治者として帝位に在り続けたが、大戦後アフリカの年(1960)を経てアフリカに次々と独立国(民主主義国家といえるかどうか怪しい国も多かったが、建前上は民主主義を標榜していた)が誕生する中、旧態依然とした帝政に国民の不満が高まり、1974年の革命により廃位された(後に処刑)。

独立の維持、憲法制定、立憲君主制の導入、議会設立、普通選挙実施、アフリカ統一機構(現AU)の本部を首都アジスアベバに招致するなど、その業績には一定の評価がある一方、古くから続く半封建的な社会体制を改善せず、74年の革命を招いた。

なお、彼の幼名のラス=タファリはジャマイカ発祥のラスタファリズムの語源となっている。


・バヴィリ ガボンの海岸部からコンゴ共和国コンゴ民主共和国海岸部にかけて居住するバントゥー系民族。コンゴ地域の大民族バコンゴのサブグループの一つである。犬やサルの彫像、Nkisi仮面(白、黒、赤等の顔料で彩色されたものが多い)の製作などで知られている。


・ハウサ ナイジェリア北部およびニジェールに居住する民族。ニジェールとナイジェリア北部州で最大の人口を抱える民族(両国あわせて1000万以上)。14C〜19C半ばまで同地方にハウサ諸国と呼ばれる都市国家群を作った。現在も同地方(ハウサランド)では壁に美しい文様を施したハウサスタイルの家を見ることが出来る。

サハラ縦断交易圏とギニア地方との遠距離交易の仲介者として活躍してきたハウサ人の言語、ハウサ語は現在西アフリカ内陸部でもっとも広く通用する共通語(リングアフランカ)となっている。

ハウサは商業民族としても有名であるが、有能な職人としても知られていて、ハウサ都市で作られる皮革製品、装身具などはアフリカ各地にその名を知られ、特に革細工はモロッコ革の名で遠くヨーロッパにまで名を知られていた(ハウサランドからサハラを越えてマグレブ諸国モロッコなど−に運ばれそこからヨーロッパに出荷されていたためモロッコ革と呼ばれることになった)。

また藍染めでも有名で、トゥアレグが好むほとんど紫に近い濃い藍色の砧打ちの布はほとんどが北ナイジェリアのカノなどのハウサ都市で作られている。
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・ハウサ諸国 現在の北ナイジェリアのハウサランドと呼ばれる地域に形成されたハウサ人の都市国家群。城壁に囲まれた都市を中心に周辺部の村落を統治した。

伝承によればその起源は10Cにまでさかのぼるが、現実にはおそらく14C半ば頃までに王国群が形成されていたと考えられている。伝説上のハウサの祖バヤジッダの子孫がそれぞれハウサ七国(ハウサ-バクワイ)の祖になったといわれている。カノゴビルカツィナ、ビラム、ダウラ、ラノ、ザリアの7つの都市国家ががハウサ七国と呼ばれているが他にもいくつもの大小のハウサ都市国家が興亡を繰り返した。

ハウサ諸国は南方(東ギニア)の諸国・諸地域とスーダン(サヘル)諸国を結ぶ交易路の要衝として繁栄し、またハウサ商人自身も長距離交易に従事した。

ハウサ諸国同士で相争うことはあっても同盟を結び広域国家を形成することはなく、軍事的には東西の大国ソンガイ帝国カネム=ボルヌー帝国に押され、しばしば朝貢、臣従を強いられた。19C初頭のウスマン=ダン=フォディオによるジハードソコト帝国の建国)によりハウサ諸国全域が征服され、20C初頭にはイギリスの植民地に組み込まれた。


・バウレ コートジボアールの主要民族のひとつ。アカン系の言葉を話しもともとは現ガーナ領に居住していたと考えられる。18C半ばアシャンティ王国の後継者争いから逃れたアカン人の一派がアウーラ=ポクという女性リーダー(初代アサンテヘナ・オセイ=トゥトゥ一世の姪)に率いられ現コートジボアール中部のブアケ周辺に住み着きバウレ人となった。

アウーラ=ポクの後継者アクワ=ポニ女王のもとでバウレ王国とも呼ぶべき王国を形成したが、ポニ女王の死後内紛が起き分裂した。その後はバウレとしての統一を果たすことはなかったが19C末頃まではこのバウレ系諸王国がコートジボアール南部の大部分を支配していた。

バウレは彫刻の名手ぞろいのギニア湾岸諸国の諸民族の中でも芸術的に優れた民族として知られ、特に彫刻において非常に多様性に富んだ様式を持っている。なかでも円盤に角をつけたような形のゴリの仮面、眠たげな眼をした女性の仮面、精緻な浮き彫りを施した木の扉などがよく知られている。

バウレの彫刻はスーダンの彫刻とギニアの彫刻の折衷的な様式を持ち、細部まで緻密に彫り込んだ洗練された作品を多く生み出してきた(彫刻文化を持つほかの多くのアフリカの民族と違い、バウレ社会では彫刻師は世襲ではなく個人の意志によって選択される職業である)。また彫刻だけでなく、美しい絣布などの染織工芸、同地域で取れる金を使った精巧な金属工芸などでも知られている。
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・バオバブ 主にアフリカのサバナ気候帯に分布するキワタ科の高木。アフリカ大陸部に1種、マダガスカルに7〜8種、オーストラリアに2種のバオバブが存在する。

その独特の形状で有名なバオバブであるが、種によってかなり形の異なるものもある。アフリカの大陸部に分布するバオバブは「巨人が幹をつかんで根を引き抜き逆さに植え替えたようだ」と形容される独特の形状を持ち、高さ10〜30m、幹の直径(胸高)は時として3m以上にも達する樹木。老樹は幹内部が空洞化するために正確な樹齢は計測できないが数百年は生きると考えられている。サバンナに枝を広げて堂々とそびえるバオバブの姿はアフリカのサバンナを代表するにふさわしい景色である。

種は落雁状の酸味のある果肉に包まれ、そのまま食べたり、果肉を水に溶かして飲料としたりもする。若葉は食用、樹皮そのほかの部分も伝統的な民間薬に用いられるなど地域の人々の生活にとって欠かせない植物となっている。
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・バオル王国 1555年にカヨール王国から独立したウォロフ人の王国。カヨールの南、シン王国の北、現在のセネガル中部にあたる地域を支配していた。1859年に始まったフランス軍の侵攻は1875年にフランス軍の勝利で一応の決着を見たが、フランス軍がバオル王国領を完全に支配したのは1894年になってからのことであった。


・バガ ギニア共和国大西洋岸に住む小さな民族集団だが、彼らのつくるニンバ像はアフリカを代表する彫刻として広く知られている。ニンバはバガの信仰する豊穣の女神であり、豊作祈願の祭儀の際、踊り手は樹皮でつくったみの状のカバーで体を覆い隠し、頭上にニンバ像をのせて踊りる(→頭上面)。
豊かな乳房は地の実りを象徴するとともに人の実り(安産・多産)も象徴し、子孫繁栄の女神としても信仰されている。

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・バギルミ
    王国
チャド湖南東部に存在した王国。1520年代に建国され16C末にイスラムを受容した。北方の大国カネム=ボルヌー帝国の朝貢国になったこともあったが、国力が充実していた時期には周辺の小王国を従えるほどの勢力を誇った。

19C初頭には北東の強国ワダイ王国の朝貢国となりその庇護を受けたが、同世紀末、現スーダン共和国出身の奴隷商ラービフが興したラービフ帝国に滅ぼされた。

バギルミ王家は現在も存続している。


・バクバ クバとも言う。コンゴ民主共和国南東部に居住する農耕民。その彫刻は、アフリカ美術の宝庫といわれるコンゴ盆地諸民族の中にあってバルバ(ルバ)と並び最高の評価を受けている。17C頃に始まったクバ王国(伝承では93代目の王といわれているシャムバ-ボロンゴンゴ王が実質上の建国者)で宮廷美術が発展し、各王の事績をデザインに取り入れた王の像は特に有名である。それらの像はンドプと呼ばれ王の魂の憑代とされる神聖なものである。またラフィアヤシの繊維から織ったラフィア布の製作でも名を知られている。
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・バコタ コタとも。ガボン東部に住むバントゥー系農耕民。先祖の遺骨箱を飾るための人頭像の製作で知られている。薄い平面的な造形の人頭像に金属板をかぶせて装飾した像は遺骨箱の守護者であるとも言われ、アフリカ美術の中でもよく知られたものの一つである。
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・バコンゴ 多くの人口を持ちコンゴ共和国コンゴ民主共和国アンゴラにかけて広く居住するバントゥー系農耕民族。単にコンゴ民族とも。ヴィリヨンベなどのサブグループを持つ。14C〜19Cに同地方に栄えたコンゴ王国を築いた。

アフリカ美術の宝庫コンゴ盆地にあっても、ルバクバと並ぶ彫刻の名手として知られ、ヴィリ、ヨンベなどのサブグループととも広大なコンゴ文化圏を形づくっている。Phembaと呼ばれる母子像などが有名であるが特によく知られているものが全身に釘を打ち付けたNkisiと呼ばれる彫像をはじめとする呪術用(よい目的につけ悪い目的につけ)の彫像群である。

なおバコンゴ(コンゴ)、バクバ(クバ)、バルバ(ルバ)の最初につく「バ」とは複数を意味する、多くのバントゥー諸語に共通する接頭辞である。

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・バサ リベリア沿岸部に居住するクル語系民族。芸術的には近隣のマンデ系住民、特にダンに深く影響されている。

様々な秘密結社組織を持ち(アフリカでは珍しく女性だけの仮面結社もある)様々な儀礼の場で仮面が用いられる。チュデンゾと呼ばれる女性のみの結社の儀式に用いられるゲラと呼ばれる仮面が特によく知られている。

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・バサリ セネガルギニア共和国の国境地域を中心としてガンビアギニアビサウにも居住する民族。総人口は数万人ほどでいずれの国においても少数民族である。

セネガンビアの民族としては珍しく仮面を作る、イスラム化された周辺民族が多いなか民族固有の信仰(アニミズム)を維持しているなどの特徴がある。


・バザン 砧打ち布
・ハジャライ チャド南部の丘陵地帯に居住する民族。ハジャライという呼称はアラブ人が「岩山に住むものたち」と呼んだことに由来する。十数のサブグループからなり、言語も別々ではあるが多くの文化的共通点を持っている。


・バスク コンゴ民主共和国南西部に居住するバントゥー系農耕牧畜民。

バスクの仮面・彫刻は首長のための一種の宮廷美術という側面を持っている。頬の盛り上がりを強調した仮面が多く見られる。また犬を使った狩猟を好むことから頭上に犬の像を載せた仮面が多くつくられている。


・バスケタリー バスケタリーとはかご編み細工全般をさす語。英語の発音に従うならバスケトリーとなるはずであるがなぜか日本では「バスケタリー」との表記が定着している。

人類史のごく初期から作られ続けてきた道具「かご」。かごを含むバスケタリーははるかな昔から世界中の民族によって作られ、使われてきた。アフリカでも古くからさまざまな材料を用いて多様なバスケタリーを作ってきた。

アフリカのバスケタリーは、材料としては、ヤシの葉、麻、アシ、樹皮、つる、竹、イネ科植物、糸、毛、皮革から現代ではワイヤー、ビニール皮膜の電気コード、プラスチック、ビニールひもまで、技法としてはもじり編みコイル巻き編み、平編み、網代編み、斜文編みなど多岐に渡り、その製品の形状、用途もまた多彩である。

容器(いわゆるかご。形状、大きさも人一人入るくらいのものから掌に乗るくらいのものまで様々である)、バッグ、マット(敷物としてだけでなく、家の壁、塀、時には屋根としても用いられる)、うちわ等々。つるなどの柔軟な素材を使った場合は袋、網、さらには吊り橋までも作ってしまうこともあるし、帽子・サンダルなどの日用品から、魚罠・獣罠、そのうえ戦争時に携帯する盾なども作ってしまう。現代ではかご編みの技術をアクセサリーの製作にいかすこともある(ルワンダのサイザル麻ピアスなど)。

現在安価なプラスチック製品がアフリカにも大量に出回っているが、伝統的な手編みのかごも健在で、市場などでかごを編みながら売っているおばちゃんたちを目にする機会も多い。

鮮やかな彩色を施した材料を使い、複雑な文様を織り込んだ美しいかごの数々は、アフリカの人々の日用品としてだけでなく土産品としても人気を博している。ガーナ北部のもじり編みのかご、ブルキナファソの平編みかご、ルワンダのとんがり屋根型のふたのついたかごなどがよく知られている。
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・バスト王国 19Cごろ現レソト王国を中心とした地域に建国された王国。北方から移住してきたソト人によってつくられた。ズールー人、ボーア人など周辺の強大な勢力に囲まれていたため19C半ばにイギリス保護領として生き残りを図った。その後イギリス植民地期を経て1966年にレソト王国として独立した。


・バソンゲ ソングェとも。コンゴ民主共和国南東部ルアラバ川流域に暮らす農耕民族。近隣のルバ人とは同じ祖先を持つとの伝承がある。

仮面・彫刻のつくり手としても知られていて、
Bishimbaと総称される彫像も有名ではあるがなんと言っても特徴的なのはその仮面である。kifwebeと呼ばれるソングェの代表的な仮面は白・黒・赤などの縞模様で彩られ頭頂部にはモヒカン刈りのような突起が付けられていることが多い。
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・バチョクウェ チョクウェとも呼ばれる。コンゴ民主共和国アンゴラザンビア国境地帯の広い地域にに居住するバントゥー系農耕狩猟民族。17,18Cにアンゴラに栄えたルンダ王国に属していたがやがて独立し、いくつかの独自の王朝を立てた。

Mgongeと呼ばれる男性結社とUkuleと呼ばれる女性結社が、伝統的なチョクウェの社会では重要な役割を果たしていた。

彫刻の名手として知られていて、宮廷美術と民間工芸の二系統の作品を生み出している。チョクウェのPwoと呼ばれる仮面は非常によく知られている。

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・ハッザ タンザニア中部エヤシ湖周辺に住む人口1000人ほどの少数民族。おそらくアフリカ最古の住民のひとつであると考えられている。その1/4ほどが現在も昔ながらの狩猟採集生活を続け、サンピグミードロボなどとともにアフリカ最後の狩猟採集民とも呼ばれている。

ハッザの言語はクリック音を含むため以前はコイサン語族の中の一言語と考えれらてきたが、最近の研究ではハッザ語は他のどのアフリカの言語とも関係が見出せない孤立言語ではないかと考えられている。


・バティック ろうけつ染め
・バテケ コンゴ民主共和国コンゴ共和国ガボンにまたがって住むバントゥー系民族。15C頃に同地域に移住してきたと考えられ、交易者として名をはせた(バテケとは「買う人」の意味)。かつてバテケが中心となりこの地域にティオ王国(テケ王国)を建国した。

信仰のための様々な偶像をつくり、像に超自然的な力を持つ呪物を取り付ける。バテケの作る仮面は円盤状の仮面が有名であり、幾何学的な彩色を施す(中には日本の遮光器土偶そっくりのデザインのものもある)。
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・ハート型
     の顔
中部アフリカ一帯の多くの民族の間で作られる仮面や彫像の顔に見られる特徴的な造形のこと。眉毛の線を境に眼窩から頬の部分をハート型にへこました様式であり、ガボンなどに住むのクウェレ人が作るEkukと呼ばれる仮面が最もよくその特徴をあらわしている。

「ハート型の顔」を作る民族は主にカメルーンガボンからコンゴ盆地さらにはザンビアの一部にかけて中央アフリカを横断するように帯状の地域に居住している。
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・バナナ バショウ科バショウ属の植物またはその果実。世界各地の熱帯地方で栽培されている。バナナの原産地は東南アジアの熱帯地方と考えられ、アフリカには東南アジアからマダガスカル経由で伝えられたと考えられている。

バナナの果実は熱帯アフリカ各地で盛んに栽培されていて、熱帯地域のみならずサハラ以南アフリカのほぼ全域でも広く食べられている。甘みの少ない大型のプランテインと呼ばれるバナナは料理用として、茹でたり、焼いたり、揚げるなど加熱して主食(炭水化物)として供されることが多く、キャッサバヤムイモと並び熱帯アフリカの重要な栽培作物となっている。東アフリカの一部ではバナナを発酵させてつくったがある。

さらにバナナの葉は屋根ふきや包装材などとして、また葉や樹皮はバスケタリー(かご細工)の材料としても用いられるなど食用以外の用途にも活躍している。

バナナは一般に「バナナの木」と呼ばれるなど木と思われることが多いが草の仲間であり、果実も正確には野菜に分類される。
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・バニ川 ニジェール河の支流のひとつ。コートジボアール北部に発したバウレ川とバゴエ川がマリ南部で合流し、マリ中部モプティ付近でニジェール河本流に合流する全長1100kmの川である。下流のサンからニジェール河本流への合流地点まで毎年の増水期には広大な氾濫原が出現する(ニジェール河本流の氾濫原−モプティ付近からトンブクトゥ付近まで−とあわせてニジェール河内陸デルタとも呼ばれる)。

世界最大の泥のモスクで有名なジェンネはこのバニ川に浮かぶ中州の島である。


・パーニュ アフリカンプリント
・バハル=アル=ガザール 白ナイルの主な支流のひとつ。長さ716km、流域面積52万ku。スッド(南スーダン共和国に広がる大湿地帯)を水源とし、北へ流れノ湖で白ナイルと合流する(正確に言えばバハル=エル・ガザル川との合流地点から青ナイルとの合流地点までが白ナイルと呼ばれる)。


・パピルス カヤツリグサ科の植物パピルス草の(茎の)繊維を重ね合わせてて作った紙状のもの。文字や絵図を記すために用いられた。

古代エジプトで発明され、その後地中海世界に広がっていった。その後の羊皮紙の普及によりやや衰退していったが、8〜9Cに東方から紙の製法(中国起源)が伝わったことにより、パピルス紙の製造は行われなくなった。現在ではエジプトなどで土産品として作られている。

パピルス紙は便宜的に紙と呼ばれているが、厳密に言えば紙ではない(紙はパルプ状にした繊維を絡み合わせて作るもの)。とはいえ、パピルス(papyrus)という名称は、ヨーロッパ言語の紙という単語の元となった(例:paper/英)。
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・バーブ=アル・ 
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バーブ=アル・マンデブ海峡は紅海アデン湾を結ぶ海峡であり、アフリカ大陸(ジブチエリトリア)とアラビア半島(イエメン)を隔てる海峡でもある。海峡の幅は30km程度であるうえ、いくつかの島が点在するため航海の難所としても知られている。

はるか昔、インド洋交易が始まったころから現在に至るまでインド洋と紅海・地中海世界を結ぶ海路・地政学上の要衝であった。 近年は世界最悪の海賊多発海域としても知られている。


・バプヌ ガボン南西部、内陸の高原地帯(ングム川上流域)を主な居住地とするバントゥー系民族。プヌとも呼ばれる(「バ」はバントゥー諸語に多い接頭辞で「人」を表す。つまりバプヌはプヌ人という意味)。

隣国コンゴ共和国の南西部にも多く居住する。18〜19Cごろに南方から戦乱や奴隷狩りを避けて現住地域に移住してきたと考えられている。言語的には近隣の民族エシラとの関係が深い。

バプヌは女性の仮面を多くつくるが、それは理想の女性像であり、女性の祖先をあらわしている。バプヌの仮面は写実的な造形であり穏やかな表情をしているものが多い。多くの仮面が白く塗られているが、白は平和を表す色であると共に死者の魂を表す色でもあるため、白塗りの仮面は葬儀の場でつかわれることが多い(アフリカの多くの社会で白塗りの仮面は死と結び付けて考えられている)。

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・パペル セネガル南部のカザマンス地方からギニアビサウギニア共和国にかけての地域に居住する民族(米作農耕民)。モイウム、パペイなどとも呼ばれ、ギニアビサウにおいては人口の7%ほどを占める。


・バペンデ ペンデとも。コンゴ民主共和国西部に居住するバントゥー系民族。伝統的生業形態は農耕。母系の家族親族構造を持つ(中部アフリカからタンザニアマラウィザンビアにかけての地域は母系の民族が多く暮らし、母系ベルトと呼ばれている)。近隣のヤカスクなどとは文化的にも近い関係にある。

多彩な仮面を作ることでも知られている他、牙彫なども知られている。
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・バボア ボア、ブワ、アバブアとも。コンゴ民主共和国北東部の中央アフリカ南スーダンと程近い地域を主な居住地とする民族。バントゥー系言語を持つ。

同国を植民地支配していたベルギーに対して20世紀初頭に大規模な反乱を起こした。

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・ハミガキノキ ハミガキノキという名前の木があるわけではないが、西アフリカでは歯をみがくのに木の枝を使うことが多い。長さ10〜20p程度、直径5〜15o程度の木片の先端を噛んでささら状にしてその部分で歯をみがく(日本の房楊枝を単純にしたようなもの)。

単純に木の枝を適当な長さに切っただけのものや、木材を割って適当太さにしたものなど、いくつかの種類があり、木のにおいや材質などによって人それぞれの好みがある(どの木でもいいというわけではなく、歯みがきに適した木というものがいくつかある)。アフリカの人の歯が真っ白なのは、かたい木でしょっちゅうゴシゴシやっているからかもしれない。

セネガルではなぜか夜に歯をみがくと家族(両親)に不幸があるといわれ、一種のタブーになっている。


・バミレーケ カメルーン西部高地およびその周辺地域に居住する農耕・牧畜民族。伝統的首長(フォン)に率いられている大小のサブグループに分かれている。

バミレーケの工芸文化はアフリカを代表するものとして広く知られている。代表的なものとしては幾何文様や人像、動物像などの透かし彫りで支えられたバミレーケの丸イスや、仮面、イス、ひょうたん、そのほかの工芸品の表面に施す精緻なシードビーズ細工などが知られている。
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・バムン ムムとも呼ばれる。カメルーン北西部、グラスランドと呼ばれる高原地帯に居住し小規模な王国を形成した(する)民族。バントゥー系言語と近縁の言語を話す。19C末にバムン王国のンジョヤ王がバムン語を記述するための独自の文字(アカウク文字)を開発した。

頬を膨らませた表情が独特な仮面を作ることでも知られている。
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・ハヤ タンザニア北西部を中心に居住するバントゥー系民族。バントゥー民族の拡大・移住に伴い同地域にやってきたと考えられている(時期は不明)。同地域で最も早い時期に金属器の使用を開始した民族のひとつと考えられている。17C頃に北からやってきたキジバ王国の支配下に入った(キジバ王国は1961年に消滅)。


・バヤ 中央アフリカ共和国を中心にコンゴ共和国北部、コンゴ民主共和国北西部、カメルーン中部、東部にも居住する民族。グバヤとも呼ばれる。ニジェール-コルドファン語族アダマワ-ウバンギ語派ウバンギ語群に属する言語を持ち中央アフリカ共和国内では最大の人口を持つ民族である(同国人口の約1/3を占める)。


・バヤカ コンゴ民主共和国南西部クワンゴ川流域に居住するバントゥー系民族。氏族ごとに長老組織をもつ。

木彫の名手として知られていて、仮面、彫像、家具、楽器など多彩な木彫製品を作り出している。
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・バヤジッダ ハウサ諸国建国の祖とされる(伝説上の)人物。伝承によればバグダッド(現イラク)の王子であったバヤジッダは父王との確執から国をはなれ、チャド湖を中心とした大帝国カネム=ボルヌーを経由し現ナイジェリアダウラに到った。そこで井戸の中に住み着き、水を汲むのを妨げていた蛇を退治したバヤジッダはダウラの女王と結婚し王となり、その息子、孫が後のハウサ七国(カノゴビルカツィナ、ビラム、ダウラ、ラノ、ザリア)の祖となったと伝えられている(ビラムのみダウラの女王との結婚以前にもうけた子供が、他の王国はダウラの女王との間にできた子、孫が建国の祖と伝えられている)。

この伝承にはいくつもの異説があり、その中ではバヤジッダはイラクの王子ではなくカネム=ボルヌーの奴隷であったとか、単に東からやってきた人物として語られている。

ダウラの蛇を退治したバヤジッダの剣といわれる剣が現在でもダウラに保管されている。


・バラフォン 西アフリカの広い地域で使用されている伝統楽器バラフォン(木琴)。西アフリカを代表する鍵盤楽器でありさまざまな現地名を持つが一般にバラフォン(西アフリカの言語の「バラ」という単語とヨーロッパ系言語で音を意味する「フォン」の合成語)とよばれている。

地域によって形態に多少の差異は認められるものの、木製の鍵盤の下に大きさの異なる複数のひょうたんを取り付け共鳴器とするという基本的な構造は共通している。大きいものでは20鍵以上、長さ1.5m以上に達し、民間音楽、宮廷音楽を問わず幅広く演奏されてきた。ひょうたん共鳴器によって柔らかに増幅されたその美しい音色に、世界中に多くの愛好者がいて、また近年では多数のバラフォン奏者が欧米で活躍している。

演奏者が手首に金属片や木片などを付けたブレスレット状のものを着けることがあり、その場合鍵盤をたたくたびに金属片や木片がカシャカシャと音を立て演奏に独特のリズムを加えることになる。

ブルキナファソにはバラフォンの音階やリズムで言葉を伝える、「木琴言葉」がある(西アフリカ各地には太鼓のリズムなどで言葉を伝える「太鼓言葉」も存在する)。
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・バランテ ギニア=ビサウを中心にセネガルガンビアにも居住する民族(バランテとは「抵抗者」の意味)。ギニア=ビサウにおいては同国最大の人口を持つ民族であり全人口の約1/4を占める。10C頃から14C頃にかけて段階的に現住地域に移住(バランテ自らは自分たちの祖先がエジプト方面から移住してきたとの伝承を持つ)してきたと考えられ、19Cにはセネガンビアカブ王国とも戦った。

ケントヘ、ガンジャ、バラッサなどいくつかのサブグループに分かれている。


・バリバ ベナン北中部、ナイジェリア北東部を中心に居住する農耕民族。自称はバアトヌでありベナンで4番目に大きな民族。15,6Cには同地方にボルグー王国を建設した。

動植物、人工物を題材とした寓意的なモチーフ(それぞれのモチーフが、ことわざ、物語の主人公、感情などと結び付けられている。)を施した精巧な装飾のひょうたん工芸品を作ることで知られている。
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・バルンダ コンゴ民主共和国南部、アンゴラ東部、ザンビア北部にまたがって居住するバントゥー系民族。かつてルバ王国と同盟し、強大なルンダ王国を同地域に作り上げその影響力はコンゴ盆地南部の熱帯雨林・周辺のサバンナ地帯一帯に及んだ。

バルンダの故地は現コンゴ民主共和国南部カラニ川流域であり、そこからルンダ王国の拡張と共に現在の居住地へと拡大して行った。

現在のバルンダは100以上のサブグループにわかれているがその総人口は150万以上に達すると推計されている。


・バルバ ルバとも言う。コンゴ民主共和国国南部に居住する大きなバントゥー系民族集団。伝統的な盛業は熱帯雨林周辺部のサバンナ地帯での農耕である。バントゥー語族の中でルバ語と特に近い関係にあるルルアバソンゲバルンダなどの言語はルバ語系と呼ばれる言語グループを形成し、コンゴ民主共和国の中で大きな母語人口を持っている。

16〜19Cにかけて同地に栄えたルバ王国を建国した。その彫刻はアフリカ美術の宝庫といわれるコンゴ盆地諸民族の中にのみならず、アフリカ全体でもバクバ(クバ)と並び最高の評価を受けている。女性像、もしくは男女ペア像が支える枕、いすなどの彫刻は特に有名であり、「ブリの名工」「懸崖の髪の名工」(個人名は特定できないが、作品の見つかった場所や、作風などからつけられたニックネーム)などの名人を生んできた。

ルバ彫刻に見られる写実的に彫られた彫像の静謐さをたたえた表情は、全アフリカの彫刻の中で最も美しいもののひとつに数えられている。
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・ハルマッタン サハラ沙漠から冬の間南に向けて吹く季節風。その時期乾季の真っ只中のサハラでは当然砂も乾ききっているため、大量の細かい砂塵がハルマッタンに巻き上げられ、風に乗って南のサヘルギニア地方へ飛ばされる(日本に降ってくる黄砂のようなもの)。


・バレガ コンゴ民主共和国南東部ルアラバ川流域に暮らすバントゥー系民族。農耕,狩猟,漁労などをおこなう。歴史的に集権的な政治組織を持たなかったバレガの社会ではBwamiと呼ばれる結社組織が政治的、宗教的に中心的な役目を果たしている。

バレガは結社の儀式などで使う様々な仮面を作ることでも知られている。彼らの作る仮面のなかでも典型的なハート型の顔の白塗りの仮面(樹皮などで作ったひげが付いていることが多い)が特徴的である。
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・瘢痕装飾
 /刺青
身体変工の一種。体表面に刃物ややけどの傷などで文様を描く(瘢痕装飾)、またその傷に色素を刷り込み定着させる(刺青)。スーダン共和国から中部、西アフリカの広い地域で行われている(東・南部アフリカについてはよく知らない)。

近年ファッションとしての刺青(タトゥー)も見られるようになってきたが、アフリカで行われる刺青・瘢痕装飾の大部分は成人儀礼・通過儀礼として、また民族・氏族などの出自を表すものとして施術される。

特に顔面の瘢痕装飾はそういった意味合いが強くスーダン共和国南部(現南スーダン共和国)の黒人系民族から、チャドニジェールブルキナファソギニア湾諸国の諸民族に広く見られ、額や頬、口の周りなどに(多くは)線状の切り傷で文様が彫られている(切り傷による顔面の瘢痕装飾の場合、男性のほうが派手で女性のほうが地味な傾向がある)。刺青はフルベの女性の顔面の刺青がよく知られている。

胴体・四肢への瘢痕装飾は特に女性に多く見られ、通過儀礼・出自を表すためだけでなく、おしゃれ(現代ファッションとしてではなく伝統的なおしゃれ)としての側面も持つ場合もある。また戦士が殺した敵の数を肩などに刻む場合もある(カラモジョンなど)。



・バンダ 中央アフリカ共和国を中心に、コンゴ民主共和国カメルーンにも居住する民族。ニジェール-コルドファン語族アダマワ-ウバンギ語派ウバンギ語群に属する言語を持ち中央アフリカ共和国内では第二の人口を持つ民族である(同国人口の30%弱を占める)。

さまざまな木彫製品を作るが動物をかたどったスリットドラムが特に有名である。


・バントゥー
   諸民族
ニジェール-コルドファン語族ベヌエ・コンゴ語派バントゥー諸語に属する言語を話す多数の民族集団の総称。バントゥー諸民族には数百の民族集団が含まれるといわれ、彼らの居住地域はナイジェリア東部、カメルーンコンゴから赤道以南のアフリカのほぼ全域に及ぶ(カラハリ沙漠、南部アフリカ内陸部のいくつかの地域を除く)。このためバントゥー語系民族の居住するこれらの地域をバントゥーアフリカと呼ぶこともある(バントゥーという言葉は侮蔑的な意味で用いられる場合もあれば、バントゥー語系民族のアイデンティティを高めるために用いられる場合も有るため、言語学的文脈以外での使用には注意を要する)。

バントゥー諸民族の故地はナイジェリア東部からカメルーンにかけての地域といわれ、紀元前後から3Cごろの間に移動、拡張を開始。コンゴの先住民であったとピグミー、南部アフリカ一帯の先住民族であったコイサン民族をそれぞれ、熱帯雨林の奥地、カラハリの奥地へと追いやりながらそれぞれの土地に定着していった(バントゥー諸民族の故地については現中央中央アフリカ共和国サバンナ地帯とする説もある)。

バントゥー系諸民族には数百もの民族が含まれその生活形態も狩猟、牧畜、農耕と多岐にわたるにもかかわらずバントゥー系諸言語の間にはかなりの共通点が見られる。バントゥーとは19Cのヨーロッパ人言語学者が作った用語で「ントゥ」は「人間」という意味、「バ」は複数形を表す接頭辞であり、コンゴ、クバ、ルバなどの民族がそれぞれバコンゴバクババルバと呼ばれるのはそのためである。

また、東アフリカ沿岸部のバントゥー系言語とアラブ人交易者のアラビア語の接触の結果生まれたスワヒリ語はアフリカを代表する言語の一つに数えられている。


・ハンニバル ハンニバル=バルカはBC3〜2にかけてのカルタゴの将軍。前247年生誕、前183(182)年没。ローマとの第二次ポエニ戦争を始めた人物であるためこの戦役はハンニバル戦争とも呼ばれる。

前218年から前202年まで続いた第二次ポエニ戦争でハンニバルは戦部隊を率いてアルプス山脈を超えイタリア半島に侵攻するなど一時ローマを滅亡寸前まで追い詰めたが孤立無援の戦いが続き最終的にはローマに敗北した。

戦後カルタゴの行政府の長となったハンニバルは政治家としても優れた手腕を発揮するがそのためかえって、反感を買い国外に亡命し、その後自殺した。ハンニバルは現在でも世界軍事史上有数の名将との声も高く、チュニジアの紙幣にはその肖像が印刷されている。


・ハンノ 紀元前5C頃のカルタゴの船乗り。航海者ハンノとも呼ばれる。植民候補地を探していたカルタゴ当局に命じられて北アフリカ西岸からギニア湾にかけて航海した。

ハンノの艦隊が最終的にどこまで到達したかは明らかではなく、セネガンビアシエラレオネコートジボワールカメルーンなど諸説がある(全て現在の地名)。


・バンバ,
  アマドゥ

(アマドゥ
  =バンバ)
1850〜1927。セネガルの宗教、政治、経済に絶大な影響力を持つイスラム教・ムーリディーヤ教団の創始者。フランスによる植民地化への抵抗の象徴として大きな支持を集めた。
セネガルでは町や村の壁、立ち木などいたるところに彼の肖像が描かれている。ムーリディーヤの総本山トゥーバの町には壮麗なモスクが建ち、警察や軍も教団の許可なしには立ち入れないという。
パッチワークの服にドレッドヘアのムーリディーヤの托鉢僧「バイファル」達がバンバの写真を首からぶら下げているのを目にする機会も多い。
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・バンバラ マリの最大民族。バンバラは周辺民族による他称、自称はバナマ。マリンケデュラ等の民族と同じマンデ系民族。(マンデ系諸民族はマリ、ギニアブルキナコートジボアールに広く居住し、マンデ諸語は同地域での共通語となっている。)

かつての黄金帝国マリの末裔を自負し、ソンガイ帝国滅亡後は自らの王国を持ったこともある(セグー王国カアルタ王国など)。周辺の諸民族に比べイスラム化するのが遅かっため(仮面)結社=トンをはじめとする民族独自の文化を保持してきた。

直線的で堅牢、哲学的な印象の彫刻を制作することで知られ、中でもカモシカをかたどったチワラの彫刻は有名。マリのシンボルとしてさまざまなものにその図像が描かれている。

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・バンボレ コンゴ民主共和国中央部コンゴ河流域に居住する民族モンゴの一支族。18C頃にルアラバ川流域から現在の居住地に移動して来たと考えられている。リルワと呼ばれる結社組織が村々の暮らしを統治している。

卵形の頭、ハート型の顔が特徴的な彫刻をつくるが、バンボレの彫刻の中で最も有名なのはオフィカと呼ばれる首を吊られた人間の像である。これはリルワ結社の加入儀礼の際に、掟を守らなければこうなるぞという教訓として用いられたという。


 
・東アフリカ
 牛牧文化
 複合
東アフリカには多数の牛牧民が存在する。その多くはを神聖視し、経済的価値観、社会的価値観、宗教的価値観の中心にすえている。このように牛に重点を置いた東アフリカの牧畜文化・社会のことを「東アフリカ牛牧文化複合」と呼ぶ。

彼らは大きく分けてクシ語系アファールオロモソマリレンディーレなど)とナイル-サハラ語族東スーダン諸語マサイヌエルディンカサンブル)に属するものの二系統がある。クシ語系の諸民族は牛というよりもラクダが中心であり、ナイル語系牧畜諸民族には「お気に入りの牛」という、一定の基準に従って選んだ牛を特別にかわいがって育てるという習慣も広く見られる。

東アフリカ牛牧文化複合に属する民族の多くに共通する特徴として、色や模様に対する感覚が鋭い。これはさまざまな色・模様を持つ家畜(牛)を個体識別していることから来る能力と考えられ、この色・模様に対する語彙の豊富さ、感性の豊かさは彼らの文化の大きな要素となっている。
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・東スーダン
     諸語
ナイル-サハラ語族のサブグループを構成する言語群。スーダン共和国からタンザニアまで分布している。西ナイル言語群(ヌエルディンカシルックなど))、東ナイル言語群(マサイトゥルカナカラモジョンなど)、南ナイル言語群(ナンディなど)からなるナイル言語群はこの東スーダン諸語に含まれる。

ナイル言語群に属する民族は牧を伝統的生業とする牧畜民族が多く含まれ東アフリカ牛牧文化複合と呼ばれる独特の牧畜文化を形成し、「お気に入りの牛」という、一定の基準に従って選んだ牛を特別にかわいがって育てるという習慣も広く見られる。

ナイル言語群に属する民族(いわゆるナイル系・ナイロート系と呼ばれる民族群)の多くは15C以降大湖地方に移住をはじめた。大湖地方に移住したナイル系牧畜民族のうちのいくつかは遊牧・移牧生活で培った機動性と武力を背景に、移住先の各地でいくつもの王朝を打ち立てた(ウガンダキタラ王国ブニョロ王国アンコレ王国ルワンダブルンジルワンダ王国ブルンジ王国など)。


・ビクトリア湖 ウガンダ・ケニア・タンザニアの国境地帯、アフリカ大地溝帯の中に位置するアフリカ最大、世界でも三番目の面積を誇る大湖(6万9千ku)。ナイル河(白ナイル)の源流としても知られているがビクトリア湖に流れ込む川がいくつかあり、その川の源流こそ真のナイルの源流との見方もある。漁業も盛ん。

もともとの名前は「ニャンジャ/湖の意」であったが、1858年にビクトリア湖を「発見」したイギリスの探検家スピークが時のイギリス女王の名を取ってビクトリア湖と名づけ現代に至る。


・ピグミー コンゴ盆地を中心とした各地の森林地帯に居住する狩猟採集民族。いくつかのサブグループに分かれるが、世界で一番身長の低い民族といわれ(成人男子の平均身長が140〜150p。)、古代ギリシャ語で小人を意味するピュグマイオイに由来するピグミーという名で総称される(ピグミーの存在は古代ギリシャ、古代エジプトに知られていた)。

アフリカ最古の住民のひとつといわれ、かつてはコンゴ盆地を中心にアフリカの広い地域に居住していたがバントゥー系民族の拡張に伴い徐々に森林地帯の奥地に追いやられていった。固有の言語はすでに失われ近隣のバントゥー系民族の言語を借用している(現在も固有の言語を伝えているピグミー集団もいくつか存在するらしく、その言語はナイル-サハラ語族中央スーダン諸語に属するといわれている)。

森林地帯に簡単な小屋を作り女は採集、男は狩猟(弓矢猟、罠猟、槍猟:ゾウすらも槍で倒すという)に従事し、近隣の農耕民との間で肉と農作物の交換をする。ピグミーのほかに現在も狩猟採集生活を続ける民族はアフリカではサンハッザドロボなどがいる。

主なピグミー集団にはコンゴ・ウバンギ川間の地域に住むビンガ、コンゴ北東部イトゥリの森に住むムブティである。
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・ビサ ブルキナファソ中南部、ガーナ北西部を主な居住地とするマンデ系民族(トーゴ北部にも少数が居住)。伝統的生業形態は農耕であり、特に落花生の栽培で知られている。

14C頃にボルタ川沿いに現在の居住地へと移住したきたと考えられている。


・ビサップ ハイビスカスの一種のがく(花びらの外側の部分-よくアジサイの花びらだと間違えられる部分)をほしたもの。またはそれを水に漬けたり煎じたりして作られた赤紫色の飲み物の事。砂糖を加えて飲むことが多い。西アフリカ、サヘル全域で−西はセネガルから東はスーダン共和国まで−広く飲まれている飲み物である(スーダン共和国、チャドなどアラビア語圏ではではカルカデと呼ばれている。また北アフリカ、中東にも同様の飲み物があるらしい)。

ビサップの葉の部分を包丁でよくたたくと粘りのあるペースト状のものができる。セネガルなどではこれをご飯の付けあわせとして良く食べるが酸味があってなかなかの味である。


・ビジャゴ ギニアビサウビジャゴス諸島に居住する民族。かつては大きなカヌーを連ねて近隣の沿岸部を荒らしまわっていた。その強力な水軍力でポルトガルによる植民地化にも頑強に抗戦し、ポルトガルが同島域を支配することができたのは実に第二次大戦前夜の1936年になってからのことであった。

現在でも伝統的宗教や儀式がよくのこっていて、儀式に使う動物をかたどったヘルメット状のマスクはアフリカの中でも一二を争うほど写実性に優れている。またカヌーの舳先に彫刻を施した美しい船首飾りを取り付けることでも知られている。
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・ビジャゴ
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ギニアビサウから数10kmの沖合いに浮かぶ島々でありビサゴス諸島とも呼ばれる。。約90の島々がおよそ2500kuの範囲に散らばっていて、そのうちの20ほどの島に人が定住している。主な住民はビジャゴ人


・ピジン言語 2つ以上の言語の接触の結果生まれた混成言語。主な特徴として、たとえばA語とB語の接触の結果A’語というピジン語が生まれた場合、文法についてはA語の文法を単純化して受け継ぎ、語彙も多くはA語由来であるが発音などはB語的になる、またA・B両語に比べ表現手段が非常に限られている(あくまで補助言語としての役割)ことなどがあげられる。

古来異民族の接触が多く起こる交易の場などで生まれてきた。アフリカの代表的なピジン語としてはかつてのスワヒリ語リンガラ語があげられる。両者とも現在はほとんどクレオール化しているが、そのクレオール化したスワヒリ語とさらに別の言語の接触の結果ピジン・スワヒリ語とも呼ぶべきピジン語が生まれたりもしている。

また英語圏の国を中心にいくつものピジン英語が話されている。


・ビーズ アフリカでは古くからビーズ玉がタカラガイとともに貨幣の代わりとして交易等で重要な役割を担ってきた。インド、アラブの商人、ヨーロッパの交易者が持ち込んだガラス玉やトンボ玉が主としてその役を担っていたが、アフリカの一部の地域では独自のビーズ玉を製作していた。
西・中部アフリカで一般的に大粒のビーズを使ったアクセサリーが好まれるが、シード小ビーズを用いて仮面、彫刻、服、帽子、日用品などに色鮮やかな文様や絵を描き出すビーズ細工がナイジェリアヨルバ)、カメルーンなどで発達した。

古くからインド洋交易を通じて大量のシードビーズがもたらされた東・南部アフリカではシードビーズを用いたビーズ細工が盛んであり、コーサズールーンデベレなどのビーズ細工は世界的に有名である。

アフリカでビーズが貨幣の代わりとして流通し始めたのがいつかははっきりしないが16C頃ポルトガル人が本格的にアフリカとの交易を始めた時にはすでにビーズ(ガラス玉)がかなり普遍的な価値を持つ通貨として流通していたという。そのためこれらのヨーロッパ商人は通貨として大量のモザイクガラス玉(トンボ玉)持ち込み、支払いに当てた。

現在では貨幣経済の浸透により通貨としての価値は失われたが、アクセサリーの材料としてアフリカの人々に愛用され続け、今日では色鮮やかなビーズを用いたアクセサリーはアフリカンアクセサリーの代名詞となっている。。
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・ヒツジ ヤギ/ヒツジ
・ヒョウ ネコ科ヒョウ属に属する動物の総称。アフリカのほぼ全土とアジア大陸の広い地域に分布している。全身に斑状の模様を持ち優れたハンターとして知られている。。さまざまな種がいて、種により体の大きさは異なるが概ね体長は0.9〜2m、体重は40〜90kgの範囲に収まる。

ハンターとしての優れた能力と、優美な姿から多くの彫像・彫刻に表されている他、ヒョウを一族の守り神(トーテム)としてあがめる民族・氏族も多く、またヒョウを自らの象徴とする結社組織(秘密結社、仮面結社)も多くある。

アフリカには体や顔面に切り傷などで模様を描く瘢痕装飾の習慣が多く見られるが、いくつかの民族の瘢痕装飾はヒョウの爪痕を象徴している。

またダホメー王国は王女とヒョウの間にできた子供が王国の祖となったとの伝承を持つ。
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・ひょうたん ウリ科ユウガオ属の植物。現在世界中で栽培されているが原産地は西アフリカと考えられている。日本ではひょうたん(の実)といえば中央のくびれたいわゆるひょうたん型のものを思い浮かべるが、アフリカではさまざまな形のひょうたんが利用されている。

球形:丸型から扁平なものまであり、半分に切ってボール型容器として使用。または上部
    に穴を開けつぼ型容器としても使用する。半切りにしたひょうたん上部をそのまま
    ふたとして使用することもある。アフリカではこのタイプのひょうたんが一番多い。

胴長:ひょうたん胴体部のくびれが細長いもの。上部を切り落とし、容器として使用する。

円筒形:(長瓢とも)おおむね容器として用いるが、まれに衣服(ペニスケースとして用い
     る民族もいる。

他にもさまざまな形のひょうたんがさまざまに利用されている。日常生活に欠かせない液体や食糧の容器としてだけでなく、時として金庫、財布、衣装箱ともなり、嫁入り道具ともなるひょうたんは、民話や神話にもたびたび登場し、アフリカの文化と密接に結びついている。

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アフリカのひょうたん


・平織 織物の中で最も基本的で単純な織り方。経糸(たていと:の長辺方向に平行に織り込まれた糸。綜絖に取り付けられ、綜絖棒の運動によって杼口が開かれる)と緯糸(よこいと:布の長辺方向に垂直方向に織り込まれた糸。杼に取り付けられ、経糸に開いた杼口に通すことで布が織られていく)を交互に一本づつ織り込んでいく織り方。

アフリカの細幅布で無地のものや泥染め藍染用の細幅布はほとんどがこの技法で織られている。

アフリカの布


・ビルマ ニジェール北東部、テネレ沙漠の中央に位置するオアシス。ニジェール北部の中心地アガデスとの間800kmには世界で最も乾燥した沙漠の一つと呼ばれるテネレ沙漠が横たわる。

古くからトリポリ・キレナイカ方面(現リビア)を結ぶ交易路の要衝として知られていた。ビルマには塩水の湧く池があり、古くから製塩が行なわれていたことでも知られている。ビルマのは塩分の貴重な西アフリカ内陸部で珍重され、テネレを越えアガデスへ、アガデスからさらに各地へと運ばれた。

現在でも乾季にはアガデスとビルマの間を塩を運ぶためのアザライ(ラクダキャラバン)が往き来し、アガデスに運ばれた塩はそこからニジェール各地に移出される。アガデスから遠く離れたニアメ近郊の町の市場などでもビルマの塩を目にすることができる。またリビアとニジェールを結ぶ交通の要衝でもある。
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・ヒンバ ナミビア北部地方に暮らす牧畜民(ヤギなど)。近隣の民族ヘレロのサブグループのひとつとみなされることもあり、ヘレロ語に近い言語を話す。

現代でも多くのヒンバが伝統的な生活スタイルを維持し、ナミビア北部の乾燥地帯で牧畜(移牧)生活を送っている。ヒンバの女性は、アクセサリーと腰に巻いた皮のエプロン以外身に付けず、髪を含む全身に近隣で取れる赤土と牛脂(バター)を混ぜたものを塗りこんだ姿で有名である。この赤土とバターの混合物は化粧という目的のほか、日焼け止め、虫除けなどの実際的な効果もある。


 
・ファン ガボンに居住する農耕民。同国最大の民族グループ。16C〜17C頃にカメルーン方面から移住してきた。アフリカ屈指の彫刻の名手として世界に名高い民族でもある。納骨箱の蓋に付けるビエリと呼ばれる守護神像、細長い顔をした火の霊の仮面などが有名。(うろ覚えではあるが、何年か前にファンの古い仮面が750万ドルで落札されたというニュースがあった。)
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・ファンティ ガーナ沿岸部に住むアカン系民族。ガーナ中部に興ったアシャンティ連合王国としばしば対立し戦争を繰り返してきた。1868年にはファンティ連合というファンティ人の同盟を結成し、北方のアシャンティ連合王国、当時ガーナ沿岸部に勢力を伸ばしていたイギリスに対抗したが、内紛や主要メンバーがイギリス軍に逮捕されたことにより連合は1873年に崩壊した。

イギリスの勢力下に組み込まれていた時代、輸入綿布のアップリケで様々な軍旗を作り、それらはファンティ軍団のアサフォ軍旗(アサフォは戦士の意味)として知られ、アフリカのアップリケの中の代表的なものの一つに数えられている。
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・フェザーン トリポリ地方(リビア北西部)、キレナイカ地方(リビア東部)と並び現リビアを構成する三つの地方のひとつ。リビア西部内陸地帯がそれに当たり、その地域のほとんどがサハラに覆われている。

歴史的地名としてのフェザーンも概ね現在の行政区画としてのフェザーン地方に相当し、西の端はアハガール山地で、南端はジャド台地ティベスティ山地で区切られている。

前5世紀頃から後5世紀頃までこの地域を支配し、サハラ縦断交易に従事したガラマンテス人が現在もこの地域に暮らすトゥアレグの先祖ではないかと言われている(現在フェザーン地方にはトゥアレグのほかトゥブアラブアマジク/ベルベルなどが暮らしている)。


・フォニオ イネ科植物の一種であり、いわゆる雑穀と呼ばれるもののひとつ。雑穀類の中では一番小さな実をつける。アフリカ原産でありアフリカの半乾燥地帯(セネガルマリギニアからチャドを通ってスーダンエチオピアに至る地域。トーゴ南部でも栽培されている)で広く栽培されている。

播種から収穫までの間が非常に短く、6〜8週間ほどしかかからない。収穫された実は脱穀され、粥状にしたり、クスクスにしたり、パンにして食べるほか、雑穀ビール(チャパロ)の材料にもなる。


・フォン ベナン南部に居住する同国最大の民族集団。ベナンの政治、経済の中心的存在でもある。ヴードゥー教の信者が多い。17世紀初頭から19世紀末まで同地域に栄えた強大な軍事国家ダホメー王国を作った。ダホメー王国の時代宮廷美術が発展しダホメー王の紋章をはじめとする、動植物、人工物を題材とした寓意的なモチーフ(それぞれのモチーフが、ことわざ、物語の主人公、感情などと結び付けられている。)を、さまざまな工芸品に施すことでも知られている(アップリケは特によく知られている)。それらのモチーフを施したひょうたん細工はアフリカのひょうたん工芸の中でも最高のレベルに達したものと評価されている。

一説によればフォンの祖先は同国南部に居住し、アボメー方面に移住してきたアジャの一派であったともいわれている。

またフォンをはじめギニア東部(ギニア湾諸国東部:ガーナトーゴ、ベナン、ナイジェリア)の森林地帯の民族の造る彫刻(木彫)はスーダンコンゴの諸民族のものと違い、木を燻さない(黒くしない)、派手な彩色を施す(特に制作年代の新しいもの)、など一風変わった特徴を持っていることが多い。
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・ブガンダ
   王国
17C頃?から1966年まで東アフリカ現ウガンダ領を中心に存在した王国。北西部の大国ブニョロ王国の支配下にあったが17C頃にバントゥー系農耕民ガンダ人を中心に独立したと考えられている。

その後象牙交易などで蓄えた富をもとに軍備を強化、地域一の軍事大国となり、かつての宗主国ブニョロ王国を逆に圧迫するまでになった。

19C末には同地域に進出してきたイギリスの保護領下に入るが、ブガンダ王国は植民地体制化でもかなりの自治を維持し、1962年のウガンダ独立後も王国は存続。ウガンダの初代大統領にブガンダ国王がなるなどウガンダの政治に多大な影響力を保持していた。

1966年のクーデターの結果、ブガンダ国王は海外亡命し、ブガンダ王国は消滅した。1993年世俗権力を持たない文化指導者としての王位が復活された。


・フータ
  =ジャロン
ギニア共和国北部セネガルとの国境地帯にある山岳地帯。平均標高約900m、最高峰はルラ山で1515m。

主にフルベ人が住む。18C後半から19C後半西スーダンを席巻することになったフルベ人によるイスラム国家建設が最初に起こった土地としても知られている。フータ=ジャロン王国は17C前期に建設され1881年にフランス軍によって征服されるまで存続した。

この地域のフルベ人は自分たちの言葉をアラビア語で表記したアジャミーヤと呼ばれる文学を作り出した(アジャミーヤとはアフリカの言語をアラビア文字で記す表記法の総称でもある。アラビア語で外国語を意味する言葉「アジャミー」に由来する)。

山岳地帯であるので夏の夜でも結構冷え込み、1970年代のある日雪が降ったことがあるらしい。

・フータ=トロ セネガル河中流域を表す地名。古くはガーナ王国の領域であり、ガーナ滅亡後マリ帝国スーダンの覇権を争ったテクルール王国もこの地域を本拠地とした。

16C半ばから1776年まで同地域に栄えた王国も地名をとりフータ=トロ王国と呼ばれる。ソンガイ帝国の支配に抵抗したフルベ人の一派がソンガイ軍に敗れた後、マンデ系住民を吸収しつつ東に移動、旧テクルール王国領フータ・トロにあったソニンケ人の王国を滅ぼして建国した。

支配者であるフルベ‐マンデ人が自らをデニアンケと呼んだためデニアンケ王国とも呼ばれる。1776年にスレイマン=バに率いられたイスラム化したトゥクロール人により滅ばされた。


・フダル ソンガイ帝国に侵攻したサード朝モロッコ軍の隊長。生年不詳〜1606年。キリスト教徒としてスペインに生まれ幼くして捕虜となりイスラムに入信、サード朝モロッコの軍人となった。またフダルは宦官であった。

サード朝モロッコは、1590年にフダルを隊長とする4000人の部隊(ほとんどがイベリア半島出身の傭兵か囚人)を派遣し、サハラを越え直接ソンガイ帝国の首都ガオへ侵攻した。火縄銃、大砲で武装したこの部隊はサハラを越え、1591年3月13日ガオの北トンディビでソンガイ帝国の大騎馬隊と衝突した。ソンガイ帝国は西スーダンで無敵を誇った騎兵隊4万人を動員しこれを迎え撃ったが、モロッコ軍の火力(火縄銃)の前に敗退した。

モロッコ軍はガオへ、ついでトンブクトゥジェンネを攻略し、ソンガイ帝国は滅亡した(後継王朝は小規模な地方政権として残存した)。

ソンガイを滅ぼしたフダルはその後モロッコに帰国し、サード朝の後継者争いに巻き込まれ死亡した(1606年)。


・ブドゥマ チャド湖にある島々を主な居住地とする民族。チャド語派の言語を持ち、伝統的な生業携帯は漁労と牧畜である。近隣の諸民族との戦乱や紛争を避け、チャド湖の島に移住してきたと考えられる。イェテナ、イェディナ、ウォルウェイなどとも呼ばれる。


・ブニョロ
   王国
東アフリカ現ウガンダ領北西部に1966年まで存在した王国。ブニョロ-キタラ王国とも。かつてこの地に栄えたキタラ王国の後を襲い、16Cはじめごろにニョロ人によって建国されたと考えられている。

17C半ばの最盛期には地域屈指の大国であったものの、19Cには王国領南東部から分離独立したブガンダ王国に圧迫され、19C末にウガンダ全土がイギリス保護領下に入った後は、植民地体制化の小王国として存続した。

1962年のウガンダ独立後も王国は存続していたが、1966年のクーデターの結果ブニョロ王国は消滅した。1993年世俗権力を持たない文化指導者としての王位が復活された。


・ブビ 主に赤道ギニアのビオコ島に居住する民族。バントゥー系言語グループに属する。カメルーン方面からのファン人の移動によって当時無人島だった現赤道ギニアビオコ島へ移住してきた。18C初頭には独自の王国を形成した(その王国は現在も儀礼的存在として存続している)。


・フフ マニオク(キャッサバ)ヤムイモプランテインバナナなどを煮て、臼で搗いてつくる餅状の食品。ガーナトーゴなどで食べられている(特にガーナでは国民食といっていいほどよく食べられている)。各種のスープをかけて食べる。

ガーナを旅行しているとあちこちでフフをつくっている光景を見かけるが、竪杵と横杵の違いこそあれ日本の餅つきにそっくりである。

またフフに限らず、アフリカでは各種の穀物や根菜類から作った餅状・ペースト状の食品が主食となっていることが多い。


・ブララ チャド中部フィルティ湖周辺に居住する民族。ナイル‐サハラ語族に属する言語を話し、そのほとんどがイスラムを信仰する。近縁のクカ、メドゴとブララをあわせてリシと呼ぶこともある。

14C頃には現在の居住地周辺に住んでいたらしく(そのときは遊牧民だった)、同世紀中頃、当時その地方を支配していたカネム=ボルヌー帝国に反旗を翻し、チャド湖東部地方を征服、同地域にヤオ王国を建国した。

ブララ人によりチャド湖西岸へと追いやられたカネム=ボルヌー帝国だったが、15C初期には失地回復の戦いを開始。ヤオ王国はガルニ=キヤラの戦いで敗北し、カネム=ボルヌーの宗主権を受け入れたものの、イドリス=アロオマ王(彼の母はブララの王女であった)によって完全に再征服されるまで実質的にはチャド湖東岸地方の支配者であり続けた。


・ブリの名工 19C中頃から末にかけて活躍したと考えられるルバの彫刻家。コンゴ民主共和国北部のブリという村で彼の作品が大量に収集されたことから、欧米の研究者に「ブリの名工」と名付けられた(作品にサインなどがあるわけではなく、研究者が作風から同一人物の作と判断したもの)。

精巧な細工、深い悲しみをたたえた表情(もしくはヨーロッパ的文脈で見た場合に悲しみの感情をあらわしているように見える表情)などがの作風が特徴とされている。

19Cに同地域で高名をはせた彫刻家ンゴンゴ=ヤ=チントゥという人物がブリの名工の正体ではないかと考えられている。

アフリカ美術の歴史の中で最も有名、かつ優れた芸術家の一人と評価されている。


・ブラック
 アフリカ
サハラ以南のアフリカ
・フラニ →フルベ
・プール →フルベ
・ブルキナ
    ファソ
西アフリカの内陸国であり、面積約27万ku(日本の約3/4弱)、国土のほとんどをサヘルが占めるが北部には半砂漠地帯が、南部国境地帯では降水量の多い地帯が存在する。国土は起伏に乏しくほぼ平坦かなだらかな丘陵地帯が広がっている。かつてモシ王国が栄えた地でもある。

独立時はオートボルタ(ボルタ河上流の意味)といったが84年にモシ語とジュラ語の合成語で「(奴隷ではない)自由な人々の祖国」を意味する現国名に改名。国土のは大半はサヘルに位置する。アフリカ最大の映画祭FESPACOを奇数年に開催することでも知られている。

主な民族は、モシボボジュラロビフルベグルンシグルマンチェ等。モシ、グルンシ(ブワなどのサブグループを含む)、ボボ、ロビなどは木彫の名手として名高い。
また木彫のほかにもひょうたん細工、ブロンズ彫刻、かご細工(バスケタリー)、工芸品など上質な工芸品の製造で知る人ぞ知る西アフリカの隠れた工芸大国でもある。
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・フルベ 自称フルベ。フラニ、プール等の呼び名は周辺民族からの他称である。東はスーダン共和国西部から西はセネガルまで、北はニジェール北部から南はギニアカメルーンまで、サヘルの広大な地域に居住する牧畜民。ニジェール・コルドファン語族アトランティック語派に属する言語を持つ(大西洋語派はその名のとおり西アフリカ大西洋岸に分布するがフルベ語のみはフルベの居住地域の拡大に伴い大西洋岸からナイル河までの広大な地域で話されている)。

本来の生業は牧であったが過去二世紀の間に村落に定住し農耕に従事するもの、都市生活者となるものが急激に増え(もちろんそれ以前にもそのような生業形態をとるフルベはいた)、現在では伝統的な遊牧生活を送るのはウォダーベ(ボロロ)と呼ばれるフルベのサブグループだけである(ウォダーベ以外にも牛牧を中心とした生業形態を持つフルベはいるが彼らの牧畜方法はは遊牧ではなく移牧と呼ばれるスタイルである)。

18C後半から19C後半にかけて西スーダン各地でジハードをおこしいくつものイスラム神権国家を作り上げた。

フルベの女性は顔面に刺青を入れることで知られ、その文様は地域によってさまざまである(口の周りを黒く塗りつぶす:セネガル・マリなど。口の周り、頬、眉間などに幾何文様を彫る:ニジェールなど)。

アルジェリアタッシリナジェール遺跡の牛の時代(前4,000年頃〜前1500年頃)の壁画を描いた人々がフルベの祖先ではないかといわれている。
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・フルベの
  ジハード
18C後半から19C後半にかけて西・中央スーダンを席巻したフルベ人およびトゥクロール人によるイスラム宗教改革運動とイスラム神権国家樹立運動。

当時西アフリカ内陸部では一部の支配層や長距離交易に携わる商人集団などを除き、民衆層へのイスラム化はあまり進行していなかった。支配層のイスラム信仰に関しても非ムスリムである被支配層への配慮もあり、民族宗教、土着の信仰との集合が多く見られた。

西・中央スーダンで比較的早く民族単位でイスラム化した牧畜民フルベのイスラム指導者は習合的イスラム信仰を批判、正統なイスラムを広げるために西・中央スーダン各地で相次いでジハードをおこしイスラム国家を樹立した。フルベのジハードの結果西・中央スーダンの(民衆層も含む)イスラム化が進み、ヨーロッパ植民地勢力への抵抗の精神的支柱のひとつとなった。

主なフルベ・イスラム国家としてウスマン=ダン=フォディオソコト帝国(と、そこから枝分かれした一群の小王国。例:アダマワ王国)、マシーナ王国フータ=ジャロン王国、エル・ハジ=ウマルトゥクロール帝国などが挙げられる。


・ブルンジ 東アフリカ内陸部タンガニーカ湖の北岸に位置する国。国土の大部分が高原地帯に位置する。15C頃に移住してきた北方系の牧畜民フツが先住のバントゥー系農耕民ツチを征服しブルンジ王国を築いたという北隣のルワンダと非常によく似た歴史・社会構成を持つ(土着農耕民ツチと移住してきた征服者フツという構図は、植民地当局の都合により作り出された伝説という説もある)。

19C末から続いた植民地時代を経て1962年にブルンジ王国として独立。1966年のクーデターにより王国は消滅しブルンジ共和国となった。

主な民族はツチ、フツ、ピグミー系の先住民トワなど。三者ともにバントゥー系言語であるルンジ語(ルワンダの言語ニアルワンダ語と類似している)を母語とする。
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・ブルンジ
    王国
東アフリカ内陸部現ブルンジ共和国とほぼ重なる地域に存在した王国。ルワンダ王国と酷似した歴史・社会構成を持ち15Cごろ北方から現ブルンジ領に移住してきた北方系牧畜民フツによって、先住民であるツチ(バントゥー系農耕民)、トワ(ピグミー系狩猟採集民)を支配する形で建国されたと伝えられている(土着農耕民ツチと移住してきた征服者フツという構図は、植民地当局の都合により作り出された伝説という説もある)。

1890年からのドイツ植民地時代、第一次大戦後から独立までのベルギー領時代にも両国の間接統治政策の下、王国は存続し1962年にブルンジ王国として独立を果たした。

1966年のクーデターにより王国は消滅しブルンジ共和国へ移行した。


・ブロンズ 青銅器製造(ほとんどは失蝋法による)の歴史は西アフリカではそれほど古くない。古いところでイフェ文化(AD12C〜)、イボ・ウクウ文化(AD9C?)があり、そこから大きくは遡らないと考えられている。

西アフリカではヨーロッパ、アジアと違い鉄器文化が青銅器文化に先行していた(鉄器文化の起源はBC6〜5Cあたりまで遡れると思われる)。理由としてはアフリカで鉄が地表・地表近くで比較的容易に採集できたのに対し、銅鉱脈が採掘しにくかったということが考えられる。事実有名なベニンの青銅彫刻も原料のかなりの部分をヨーロッパ(ポルトガル)からの輸入に頼っていたと考えられている(アフリカに銅が無いわけではない。むしろコンゴ民主共和国南東部からザンビアにかけてはコッパーベルトと呼ばれる世界最大級の銅産地である)。

西アフリカ各地、特に今日のガーナなど金が豊富に取れる地域では金の計量のために銅、真ちゅう製などの分銅が盛んに作られてきた。当初は単純な幾何文様が刻まれていた分銅はやがて複雑な文様、ことわざ、様々な動植物をかたどった、アフリカのミニチュア工芸品へと進化していった。

またギニア湾岸の王国では宮廷の工房で盛んにブロンズ像、ブロンズ製品がつくられ、特にイフェの写実的なブロンズ像、ベニン王国の彫刻を施した青銅版はアフリカ芸術の傑作として高い評価を受けている。
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・ブワ ブワ:ブルキナファソ中部およびマリ南東部に居住する農耕民族。

近隣のヌヌマ(グルンシのサブグループのひとつ)から様々な文化的影響を受けグルンシと多くの共通点を持つ仮面を作成する。

特に円盤状の鳥の仮面やパピヨンマスクなどと呼ばれることもある横長の仮面などが有名である。
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・ベジャ スーダン共和国東部を中心に南北の隣国エリトリアエジプトにも居住する民族。アファールやサホと近縁のクシュ語系言語(アフロ-アジア語族)をもつ。古代エジプトにルーツを持つといわれ、その一部は現在も伝統的な遊牧生活を送っている(ラクダ遊牧民)。


・ベタマリベ トーゴ北部およびベナン北部の山岳地帯(アタコラ山地)に住む民族。塔と分厚い壁を持つ砦のような家(タタもしくはタタ-ソンバと呼ばれる)をつくることで知られている。雨季には家畜を収容することもできるその家は近隣の民族からの攻撃を防ぐのに役立ち、19C後半のドイツ軍の侵攻(於トーゴ)に対してもタタに立てこもり頑強に抵抗した。

タンベルマ、タマリ、ソンバなどとも呼ばれている。


・ベチレオ 主にマダガスカル中南部に居住するマダガスカル第三の人口を持つ民族。ベツィレウとも呼ばれる。マレー・インドネシア系の起源を持つ。17C頃いくつかの王国をうちたてたが、それらの独自の王国は全て19C前半にメリナ王国によって征服された。


・ベテ コートジボワール中西部を主な居住地とする民族。伝統的(観念的)生業形態は農耕狩猟民。クル語系の言語を持つ。

非常に抽象化が進んだ仮面を作るがその仮面は近隣民族であるダンゲレまたはグロと多くの共通点を持つ。ベテの伝統的な世界観の中で「人間界に対する荒々しい自然界の力」をあらわす「グレ」のマスクが特に有名。
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・ベディク セネガルギニア共和国の国境地域を主な居住地とする少数民族。セネガンビアの民族としては珍しく仮面を作る、イスラム化された周辺民族が多いなか民族固有の信仰(アニミズム)を維持しているなど、言語的にも近い近隣の民族バサリと共通した特徴がある。

マリ方面から戦火を逃れてやってきたケイタ家、カマラ家(マリンケまたはバンバラ?いずれにせよマンデ系の姓)の子孫だとの伝承がある。


・ベナ=
  ルルア
コンゴ民主共和国南部のルルア川流域に暮らす様々な民族の総称。この地域を支配したルルア王国の王カランバンが1875年からに行なった一連の宗教・社会改革により、ベナ=ルルア様式と呼ばれるアフリカでも最も美しいものの一つとされる美術様式(仮面・彫像・そのほかの木彫など)を生み出した。


・ベハンジン 第十二代ダホメー王国国王(アダンドザンを含めなければ第十一代)。1844〜1906.。在位1889〜1894。ダホメー王国の実質上最後の王。

1889年父王グレレの跡を継ぎダホメー国王となったベハンジンは即位後すぐに同地域への侵攻を企てるフランス軍との戦いに突入した(1890。第一次フランコ-ダホメー戦争)。さらに1892年から始まった第二次フランコ-ダホメー戦争にて、アマゾネス軍団を擁し東ギニア最強を誇ったダホメー王国軍は、装備において勝るフランス軍の前に敗退。1894年に首都アボメーが陥落しダホメー王国は実質的に滅亡した(名目上はアゴリ-アグボという王のもと1900年まで存続した)。

捕虜となったベハンジンはフランス領マルティニック諸島へ、ついでアルジェリアへの流刑に処され、1906年同地で客死した。

フランス軍に最後まで抵抗したベハンジンは現在のベナンでも国民的英雄として語り継がれている(ダホメーの王都アボメー市にはフランス軍を阻むかのように掌を突き出すベハンジンの巨大な銅像が建っている)。

ベハンジンの紋章は鮫と卵。鮫はフランス軍への抵抗を表している(海からやってくるフランス軍の船を鮫になって沈めてやる、といったことから)。
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・ベナン 西アフリカギニア湾に面した国。かつて内陸部にはダホメー王国、沿岸部にはウィダ、ポポ、ポルトノボなどの都市国家が栄えた。独立時はベナン人民共和国に、90年にはベナン共和国(現国名)に改称。。ベナンという国名の由来は現在のナイジェリアに栄えたベニン王国(13C〜18C)からきているが直接には関係が無い。またヴードゥー信仰の盛んな地(特にフォンの暮らす南部)として知られていて、1月10日のヴードゥー大祭の日は国民の祝日になっている。

主な民族は南部のフォンアジャヨルバ、北中部のバリバデンディフルベベタマリベなど。極彩色のアップリケ、フォン、バリバのつくる表面に緻密な彫刻を施したひょうたん容器などが有名。
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・ベニン王国 ナイジェリア南西部ベニンシティーを都とし、13Cごろに形成されたエド人の王国。西のヨルバ諸国の文化的、政治的な影響を強く受けていた。

初期にはベニンシティー周辺のみを支配する都市国家であったが、15C半ばにはすでにかなりの規模の国家となっていた。15C半ばに即位したエウアレ王の治世下さらに領土を拡大し、国家組織の整備に努めた。その後も英明な君主が何代か続き(エシギエ王など)、ヨーロッパ人との交易(15C末〜)で栄え、16、7Cには東ギニア最大の国となった。17C末から国内の反乱、西のオヨ王国からの圧迫などで国力が衰えはじめ18C末にはもはや滅亡寸前であった。

19Cにパーム油の交易などで一時勢いを取り戻したものの19C後半に相次いだイギリスとの紛争の末1897年に滅亡した。

ベニン王国では宮廷美術が発達し特に青銅彫刻、精緻な象牙細工などがよく知られている。中でもさまざまな場面でのオバ(王)の姿を浮き彫りにした青銅版、彫刻を施した象牙を立てるための人頭型の青銅製の台(王の肖像とも言われている)などは非常によく知られている。ベニンの青銅彫刻はアフリカ美術史上でも最高級の評価を受けていて、ベニン彫刻のなかには競売で470万ドルの値がついたものもある。

独立時はダホメー共和国といった現在のベナン共和国の名前はこのベニン王国に由来する(直接の関係はない)。
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・ベヌエ川 ニジェール河の最大の支流。カメルーン北部アダマワ高原に発しナイジェリア東部を横断しロコジャでニジェール河に合流する。支流とはいえ全長1400kmの大河であり、水量の豊富な時期にはほぼ全流域が航行可能で流域の重要な交通手段となっている。

14C?〜19Cにかけて流域に存在したジュクン王国は一時期はハウサ諸国一の強国ザリアをも支配下に置くほど繁栄した。


・ベヌエ-
 コンゴ語派
ニジェール-コンゴ語族を構成する語派のひとつ。言語数・話者数ともにグループ内最大の語派であり、ナイジェリアから中部アフリカ、東アフリカ、南部アフリカにかけて分布している。

バントイド、ダコイド、ジュクノイド、クロスリバー、プラトー、カインジの6つの語群に下位分類され、バントゥー諸語はバントイド語群に所属する。


・ベルベル 北アフリカ(マグレブ諸国)の先住民の総称。アフロ‐アジア語族ベルベル語群に属する言語を話す。かつてはマグレブ地方の広い地域に居住していたが、7,8Cに始まったアラブイスラムの侵入により、大部分が内陸の沙漠、山岳地帯に追いやられた。アラブとの交婚により多くがアラブ・イスラム化したが独自の言語、文化を保っているベルベル系民族もまた多い(トゥアレグなどがその代表格)が、現在では居住する全ての国で少数民族となっている。

ベルベルという呼び名は古代ギリシャ語のバルバロイ(野蛮人)が転訛したものであり、アラブ侵入以前の北アフリカの先住民族をまとめてあらわしていた呼称である(一口にベルベルといっても実際にはいくつもの民族集団トゥアレグ、カビール、サンハジャなどがある)。最近では古代ギリシャ人が「わけのわからない言葉を話す奴ら」という意味でつけたベルベルという呼称を避け、彼らの自称である「アマジク」という呼称を用いることも多い。

古代地中海史に登場するヌミディア人、ガラマンテス人などもアマジク(ベルベル)系の民族であったと考えられている。


・ヘレロ ナミビアを中心にアンゴラボツワナなどにも居住するバントゥー系民族。17Cごろ北東のほうから現ナミビア地方へ移住してきたと考えられている。いくつかの氏族に分かれていて、ナミビア北部で伝統的な牧生活を送っているヒンバもヘレロのサブグループのひとつである。

19C末のドイツ領南西アフリカ成立以降、ドイツ人入植者による土地、家畜の強奪、強制労働などに不満を募らせたヘレロは1904年大規模な武力闘争を始め、緒戦は有利に進めたものの最終的にはドイツ軍の圧倒的な軍事力の前に敗れ、その後の虐殺により人口の約80%を失った。

ヘレロの女性はヴィクトリア朝時代風の婦人服を民族衣装とし、その独特の衣装を身に着けたヘレロ人形はナミビアの人気土産物となっている。


・ベンゲラ
   海流
アフリカ大陸西岸南部(大陸南端からギニア湾まで)を北に向かって流れる海流(寒流)。

寒流が大陸の西岸を通る場所では、寒流の冷たい水温によって偏西風が冷却され、上昇気流が発生しなくなるため、砂漠気候が見られることが多い。これを西岸砂漠と呼ぶが、ベンゲラ海流の通るナミビア沿岸部にあるナミブ沙漠は典型的な西岸砂漠である。


・ベンバ ザンビア北東部およびコンゴ民主共和国南東部に居住するバントゥー系農耕民族。生業の基盤は焼畑農耕であるが狩猟にも優れた民族であり、腕の良い狩人は社会的に大きな尊敬を得る。

ベンバはルバの末裔であり現在の居住地に2世紀ほど前に移ってきたとも伝えられている。19C頃にはアラブ人との交易で手に入れた火器を武器に王国を形成し周辺民族を支配下に置いたこともある。

いくつかの結社組織を持ちそれぞれの儀式で仮面が使用される。ベンバの仮面は非常に抽象化が進んだデザインであり、主に直線と円で構成されている。木彫り像の製作はあまりおこなわない(小品は一部でつくられている)。


・ベンベ タンザニアとコンゴ民主共和国の国境に位置するタンガニーカ湖東西両岸地域を主な居住地とするバントゥー語系民族。コンゴ盆地東部の様々な民族の影響を受けた彫刻を作る。
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・ボーア 南アフリカ共和国のオランダ系白人住民(ボーアとはオランダ語で農民の意味)。アフリカーナともいい、オランダ語から派生したアフリカーンス語を話す。17Cから南部アフリカに移民をはじめたオランダ人の子孫であり、19C末のボーア戦争敗北によりイギリス統治下におかれたが、1920年代には南アフリカ連邦(南ア共和国の前身)の実権を握った。

1961年の南アフリカ共和国成立後からも1994年まで、南アフリカの政権は常にボーア人政党によって占められてきた。アパルトヘイトが廃止されANC(アフリカ民族会議)政権となった現在の南アフリカでもボーア人は白人人口の半数以上を占め、依然としてエリート層・富裕層を形成している。


・ボゴラン 泥染め
・ホガール
    山地
アルジェリア南部サハラの只中に広がる広大な山岳地帯。アハガールとも呼ばれる。東にはジャド台地を通ってチャドティベスティ山地が、南にはニジェールアイールマリイフォラ山地が連なる。

アルジェリアのトゥアレグの本拠地であり現在も伝統的な遊牧生活をおこなうトゥアレグが多数居住している。ホガール山地西部のアバレッサというオアシスで発掘された4Cの宮殿の遺構はトゥアレグの伝説の女王ティン=ヒナンの墓所と考えられている。

やや信じがたい話ではあるがこの山地の南部ははるか南のニジェール河の流域に含まれる。ホガール山地の南部に降った雨は、その水量が十分なときには普段は涸れ河(ワジ)であるダロル=ボッソを甦らせ、サハラを縦断してニジェール-ベナン国境でニジェール河に合流する。


・ポコット ケニア西部・ウガンダ東部国境地帯の高原を主な居住地とする()牧畜農耕民。南ナイル言語群(ナイル-サハラ語族東スーダン諸語)に属する言語を持つ。近隣のトゥルカナ人とは特に仲が悪く、お互いに牛の略奪や紛争などを繰り返してきた。


・ボゾ マリ中部ニジェール河大湾曲地帯を中心に流域に暮らすマンデ系の漁労民。ニジェール河の主と呼ばれることもある。ニジェール河の減水期に当たる10、11月から3、4月まで漁業キャンプを作り漁をする。最近では他国へ出稼ぎに行きその国での内水面漁業に従事するものも多いが、その漁の能力により西アフリカ最高の漁師とも評価されている。

ボゾは現在ニジェール河大湾曲地帯に住むどの民族よりも早くこの地域に住み始めたと考えられ、この地域の漁業権をつかさどる「水の主」、狩猟権をつかさどる「原野の主」はいずれもボゾである。

ニジェール河沿いの多くの町はもともとボゾの村であった所が多い(ジェンネ=ジェノジェンネモプティなど)。マリの首都バマコも19C末にフランスが街を建築し始める前はニジェール河の中洲にあるバンバ=コ(ワニの背中)と呼ばれるボゾの小村に過ぎなかった。
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・細幅木綿布 →布
・ボツワナ 南部アフリカの内陸国。国土の大部分が乾燥地帯(カラハリ沙漠)に覆われているが北部には世界最大級の内陸湿地帯オカバンゴデルタがある。古くはコイサンなどが先住民族として暮らしていたが16、17Cごろにバントゥー系民族の南下に追われカラハリの奥地へ追いやられた。19C後期からの英国による植民地支配を経て1966年に独立。ダイヤモンドに代表される豊富な鉱産資源を持ちサハラ以南のアフリカの中でもっともGDP/人口が高い国のひとつ。

主な住人は人口の八割を占めるツワナカランガコイ・サン系先住民など。サンやコイが作るダチョウの卵の殻の工芸品、卵殻ビーズのアクセサリーなどがよく知られている。


・ボディ 主にエチオピア南西部に居住する少数民族であり伝統的生業形態はを中心とする牧畜である。。ナイル-サハラ語族東スーダン諸語スルマ語系に属する言語を話す。同じ言語を話す農耕民もいてそちらはティシェナ、牧畜民をボディ、両者をあわせてメケン(またはメエン)と呼ぶ。

東アフリカの牧畜民族には牛を世界観の中心としている民族が多く(東アフリカ牛牧文化複合)、ボディもその例外ではない。ボディの子供は牛の色・模様にちなんだ名をつけられ、青年になると自分の名前と同じ色・模様の牛を見つけ出し、それを大事に育てる。この「お気に入りの牛」はその青年にとっては自分の分身とも言える存在であり、その牛が死ぬ時には特別の儀式を行い、さらにその死後には、牛の弔いとして他民族のものを一人殺すという習慣があった。


・ボノボ コンゴ民主共和国中西部の熱帯雨林に棲息する、サル目(霊長目)ヒト科チンパンジー属の類人猿(同属にはチンパンジーと本種のみが属する)。チンパンジーと非常によく似ているが比較的上半身が小さいのが特徴である。そのため以前はチンパンジーの一種と考えられピグミーチンパンジーと呼ばれていた。

知能においてはチンパンジーよりも高いとされる。本種を含む類人猿の研究においては日本から世界的な権威を何人も輩出している。


・ボノ=マンソ ガーナ共和国中部に存在した王国。おそらくはアカン系民族によってつくられた初めての国であると考えられている。「ボノ=マンソ」という名は国名ではなく都の名であり国名は「ボノ」であったとも言われている。

13Cごろ〜17Cごろまで存在したと考えられ、領内で取れる豊富な金を北方のマリ帝国、後にはソンガイ帝国に売却する事により繁栄した(この地域はおそらくアカン人の移住以前から金やコーラナッツの産地として北方のスーダン地方の王国、古代ガーナやマリ帝国、後にはソンガイ帝国などとの交易にかかわってきたと思われる)。


・ボヘミア 現チェコ共和国中部・西部を指す地名。9Cに始まる同地方特産のガラス工芸はボヘミアングラスの名で現在も世界中で知られている。

17C頃シードビーズの生産を始め、アフリカをはじめ世界各地に大量に輸出してきた。現在もアフリカに大量のボヘミア産シードビーズ、型押しグラスビーズ(19Cごろから作られ始めた型押しのビーズ。スネークビーズ、マーブルビーズ、水滴型、三角、勾玉型、電球型など様々な色・形のものがあり、特に西アフリカで好まれる)が輸出され続けている。
ボヘミア産型押しビーズ

スネークビーズ<アフリカのビーズアクセサリースネークビーズ<アフリカのビーズアクセサリースネークビーズ(細)<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズ(カンカンバ・太)<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズ(カンカンバ)<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズ(カンカンバ)<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズ(カンカンバ・細)一連<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズネックレス(太)・トーゴ<アフリカのビーズアクセサリーマーブルビーズブレスレット(細)・トーゴ<アフリカのビーズアクセサリーボンボンビーズ(電球型・大玉)ネックレス・マリ<アフリカのビーズアクセサリーボンボンビーズ(電球型)ネックレス・マリ<アフリカのビーズアクセサリーボヘミアンプレスビーズ一連<アフリカのビーズアクセサリーボヘミアンプレスビーズ一連<アフリカのビーズアクセサリー電球型ビーズ<アフリカのビーズアクセサリー
アフリカのアクセサリー(ビーズ・トンボ玉・貝・その他) 三日月形ビーズ(大) ニジェールアフリカのアクセサリー(ビーズ・トンボ玉・貝・その他) 三日月形ビーズ(小) ニジェール


・ボボ ブルキナファソ西部およびマリに居住する民族集団。マンデ系言語を話す農耕民族であり、ブルキナ第二の都市ボボデュラッソはボボ民族とジュラ(デュラ)民族の町という意味。一説によれば8C頃に北から同地方に移住してきたとも言われるがはっきりしたことは不明である。歴史上ボボ民族として統一されたことは無く、大規模な政治組織も持たなかった。

仮面製作の名手として知られている。また焼き鏝で繊細な文様(草花文様・幾何文様・動物文様など)を施したひょうたん容器(ボール・ひしゃくなど)・ひょうたん楽器(マラカスなど)のひょうたん細工はアフリカで最も美しいひょうたん工芸品のひとつに数えられている。
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・ホモ=
  ハビリス
現在(2010年)確認されている最古のヒト属。ハビリス原人ともよばれる。およそ240万年ほど前に東・南部アフリカでアウストラロピテクスから進化して誕生したと考えられている。1964年にタンザニアのオルドバイ渓谷で最初の化石が発見され、石器などを用いていたことから「器用なヒト」という意味のホモ=ハビリスと名づけられた。


・ボラナ ケニア北部からエチオピア南西部高原地帯にかけて居住する牧畜民。ボラナ=オロモとも呼ばれる。その名のとおりオロモと密接な関係があり、10Cごろに同地域に移住してきたオロモのうち牛牧に特化したものがボラナに、ラクダ遊牧に特化したものがガブラになったと考えられている。ボラナ語はオロモ語(アフロ-アジア語族クシュ語派)の一方言である。


・ボルガ
   タンガ
ガーナ北部ブルキナファソとの国境付近に位置する街。サハラ縦断交易の南の終点の一つに当たり古くから交易の街として栄えてきた。主な住民はダゴンバグルンシであり、マンデ系の住民も居住している。

現在はボルガタンガの大市、土壁に幾何学文様をペイントした伝統家屋などで有名。

ボルガタンガで作られるカラフルなもじり編みバスケタリーはガーナを代表する民芸品のひとつとして知られている。

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・ボルグー
    王国
15,6Cに現ベナン北部−ナイジェリア北西部に建国された王国。王国の主要民族はバリバであった。19C末に英仏によって分割された(仏領となった地域は現ベナンの、英領となった地域は現ナイジェリアの一部となっている)。


・ボルタ河 全長1600km、流域面積40万ku。アフリカ西部の大河。ブルキナファソ西部ボボデュラッソ付近に源を発する黒ボルタ河とブルキナ中部ワガドゥグ付近に源を発する白ボルタ河がガーナ中部で合流し南下。大西洋に注ぐ。河口から80kmほど上流に作られたアコソンボダムによって巨大な人工湖ボルタ湖ができた。


・ボルタ湖 1965年にボルタ川の下流に作られたアコソンボダムによってできた巨大なダム湖。南北約520q(ガーナ南部から中部)、面積は8500kuに及ぶアフリカ一の人口湖である。アコソンボダムはアフリカ屈指の発電力を持ち、隣国トーゴなどへも送電している。


・ホロホロ
   チョウ
キジ目ホロホロチョウ科ホロホロチョウ属の鳥。一種一属である。全長50cmほどの飛べない鳥(短い距離なら飛べる)であり、サハラ以南のアフリカほぼ全土に生息し、多くの地域で家畜化されている。肉は美味。
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・ボロロ ウォダーベ
・ホワイト
 アフリカ
北アフリカ
・ボンドゥク コートジボアール北東部、ガーナとの国境付近にある町。マンデ系の商人によって交易拠点として建設されたと考えられている(15〜16C?)。17Cはじめにアカン系アブロン人によって征服されグヤアマン王国の領土となった後も同地域の重要な交易都市として機能していた。

19C末に一時サモリ帝国の支配を経て、サモリ帝国崩壊後フランス植民地体制下に編入された。


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